青少年育成連合会 | 日本の未来を【夢と希望に満ちた国】にする為に日本人の心に訴えたい
子どもは日本国の宝|私たちは【子どもをいじめと虐待、性犯罪から守る】為にあらゆる方法を講じ解決にあたります




 

社会の敵、金で小・中・高校生を買う大人を撲滅する運動に協力を!
次から次へとあらゆる手口で狙ってくる出会い系サイト
国や地方の対策では、歯止めが効きません・・・
 今、我々プロ集団が立ち上がり、思い切った児童買春撲滅運動当連合会が開始します。
昨 今、インターネット・携帯電話の普及はめざましい勢いで、特に携帯電話は高機能化し通話・メールだけではなくパソコン並みに使える情報端末化してきまし た。最近では小中学生が持っているのも珍しくありません。このような状況下で、いわゆる出会い系サイト・家出掲示板が簡単に利用できてしまい、大きな社会 問題となっています。
援助交際・児童買春の温床といわれ、又そこに起因する殺人・強盗・強姦等の凶悪事件等も近年増加の一途をたどっています。そ して、そのような犯罪の被害者の大半は18歳未満の児童なのです。それに、児童買春を繰り返した子供達が、将来親になった時、自分の子供の教育をしっかり 出来ますか我々は、それが1番怖い。今でさえ家庭教育ゼロと言われているのに、これでは日本は必ず内部崩壊する。子供が壊れるという事はこの国が間違いな く壊れる。それに対して政治家を初め、多くの国民は真剣に考えなければならない時が来た。
 この問題の詳しい説明は、青少年育成連合会のブログ又 はメールでお問い合わせ下さい。我々が1番心配しているのは、児童買春が小学生にまで入り込んでいる事。社会が色々な対策をしているが、一向に成果が出て いない。この問題を解決する早道は、我々の主張する児童買春に対しての刑事罰。無期懲役、又は、3年以上の懲役に法律として成立させる。それによって児童 買春は消滅する。これ位の事をやらない限り、日本の将来は無い。是非、皆さんの御協力、御賛同を御願い致します。
又、当連合会としては既に子供SOSセンターを発足させていますが、特に買春をした為に脅されて警察にも、誰にも相談できないで泣いている多くの子供達を救う為に救済活動を開始しました。
しかし、この問題は非常に複雑で、皆さんの協力なくしては出来ません、
是非、この国の将来の為にも皆様方のご協力、ご支援を御願い致します。

 



青少年育成連合会の歴史
昭和52年、川崎市高津区を中心にボランティア活動の一環と して、多くの少年達を集めて空手の指導を開始昭和56年、青少年育成会を設立昭和59年、青少年育成連合会に名称変更昭和60年、シンナー・暴力が多発、 多くの不良少年達を更生させる活動を開始昭和61年、鹿川裕史君のイジメ自殺をきっかけに多くの子供達の自殺が日本全国で発覚し、大きな社会問題に発展。 当連合会も自殺で亡くなった裕史君の父(鹿川雅弘氏)を副理事長に選び、イジメ撲滅活動を開始。多くの遺族と実態調査と共に一緒に活動しながら全国活動、 現在は本部川崎市を中心にブログを開設し、多くの団体の協力を持って、子どもを犯罪者から守る活動を展開し現在に至る



多くの子供たちに夢と希望を与えるヒーローが出てきて世直しを



私と朝堂院大覚総裁と知り合うきっかけは、たまたま総裁の側近で空手をやっている親友がいて、総裁の話がでて 自分も非常に興味を持ち一度お会いしたいと思い事務所に行ってしばらく奥の方に入っていくと、周りにかなり高価な鎧や兜が並んでおり、何か別世界に入った ような気がした。
そこで奥の方に総裁がいて、一瞬言葉が出なかったけれども、話を始めたらなかなかの優しい人で総裁の口から、武道をやっている人たちが一同に集まり、祖国日本と日本国民ひとりひとりを守り、安全・安定・安心を手にするために身を徹して守って行こうという話に自分は総裁の真剣なお話に、本当にそのとおりだと思った。
私も多くの武道家に共鳴してほしいのは、現在毎日のように起きている凶悪事件がすでに我々の足元まで来ているので、力のある人たちが声と力をあげることによって阻止できれば、我々が武道を指導している甲斐があると思いますが、皆さんどうでしょうか?ぜひ、参加してください!!




では前回の続きでお願い致します。


ある日自分の先輩に民族運動を直接やりたいと相談したところ、2,3日してから先輩と、ある人物の事務所に一緒に行った
そこで、たぶん行く前に先方にアポはとっていたと思う。そして事務所に入ったときに、周りには何か威圧感のある人たちが何人もいて、私たちが入ったとき皆私の先輩に頭を下げていたので、やはり先輩は普通の人ではないと、それだけの威厳があった。
ちょっと待っていたら小柄な年配の人が出てきて、よく来たねと握手を求めてきた。そして自分にまあ座りなさいと。なにか凄く優しい人だなと感じたことが今でも思い出すと懐かしい。
それでしばらく話をしていたら、○○君を呼んでくれと言ったら、若い人がすぐに○○さんを連れてきて自分に紹介してくれた
私も○○さんを一目見たとき、ものすごい体の大きい人でこの人は、ただ者じゃないと凄い威圧感を感じた
そのときに○○さんに児玉邸から紹介されて来た人だから、これから面倒見てくれということで、○○さんの預かりとなり民族運動の世界に入っていった。
自分も民族運動の右も左もわからないので、最初は戸惑いましたが、自分が児玉邸から来たということで、ずいぶん諸先輩たちにかわいがってもらった
その時代は勉強会も時々あり、自分もしばらくして地元に帰り、自分の若い者に今度一緒に東京に出ようと誘い、最初は何人か連れて行ったところ、皆若いせいかまだ難しいし、よく判らないと言ってたので、改めて地元で少しずつ教えていくしかないと思い、空手道に専念する



紹介された○○さんは大学でレスリングをやっていた猛者で、有名な人でありその周りの人々も○○さんに対しては一目置いていた。
その当時は、○○さんは○○塾の塾長さんで日本を代表するレスリングの選手、そして○○大学を卒業した後、新興スポーツ大会がカンボジアの地で開催され、各種スポーツ関係者選手とともに民間の手で参加。
そして東南アジアを回ったときにあまりにも日本と違って貧困の差が激しく、この目で見てきたことがきっかけとなって、帰国後アジアにたった昭和の偉人・頭山満先生の思想に共鳴し、かつ心身の鍛錬の場として民族運動に入っていった。
私もそこの塾に所属し、○○さんの思想に共鳴、それから私の大先輩であり塾長としてついていくことに決心した。
それと同時に国内でも多くの少年たちは荒れ放題、この少年たちをどのように取り組んでいくことが結果的に空手道を通して世直しをしていこうという決心をした。
そこで、地元で空手を教えながら少しずつ政治活動をしようと思った。なかなか最初から理解させることが、よほどの意識が無い限り、難しいと思い、ただ興味がある人だけ誘い、それでも常時三、四十人は集まり街宣運動をした。
今の若者と違って、30年前の少年たちは割と純粋ではなかったかなと思う。それから、空手を教えるため会社の一部を空手道場として一般開放し、誰でも空手をやりたかったら何時でもいらっしゃいと毎日無料で教えたところ、ますます道場生が増えた。
今と違ってあのころの子供社会は上下関係の厳しさは半端ではない
それに、道場生の8割がたは不良少年。その中で段々やっていると子供の考え方とか流行その他のことが見えてきて、逆に空手以外に社会勉強をしていこうと決心した






私が25年前に、青思会の毎年行われていた、菅平高原での秋季合宿訓練に参加。そのときの勉強会の風景。

連合会の紹介 / 2009年03月24日の記事に対する、元記者Sさんから素晴らしいコメントを頂きましたので、紹介いたします。
青育連の皆様、こんにちは。
私も横田理事長の人脈により、何年か前、一度、朝堂院大覚総裁にお目通りし御名刺を頂くことができました。
記事にも少し書かれていますが、総裁にお目通りできたのは和式の整然とした部屋で、日本の武将が命を掛けて着用して闘った鎧や兜がズラリと並んだところで、雰囲気に圧倒されました
側近の方の一人が、丁寧におしぼりとお茶を出してくださったことが印象に残ります。
総裁は予想とは逆に柔和な表情でしたが、眼の奥の光は鷲のように鋭く、無理のない落ち着いた中にも寸分の隙も感じさせない、戦国武将もかくの如しかと思わせる威厳を備えておられ器の大きさを感じさせられました。
鎧や兜は常に死というものを意識した真剣勝負の象徴であり、朝堂院総裁の心を表しているのだろうと思いました。
横田理事長が繰り返し提唱するように、真の優しさとは強さに裏付けられたものだと思います。
弱い奴の優しさなどは所詮、自分を慰めるための方便や逃げの口実や気休めでしかない。
狡猾な悪に簡単に屈してしまい、弱き存在を助けられないような優しさなど所詮は安っぽい偽善に過ぎません
朝堂院総裁には、単なる武道家や右翼の枠を超えて、人の生きる道を無言で教えられたような気がして、清冽な記憶が残りました。
そして、朝堂院総裁のような方とパイプを持つ横田理事長は真の活動家だとつくづく感じました。




理事長は、眠り猫さんのことをよく知っていますよね。私は会ったことが無いので、教えてください。



眠り猫さんのことは、よく知っている以上によく知っています。彼とは子供のいじめの問題で連合会の十人集の一人で、元々雑誌記者。
さすがに弁が立つし、文章力もしっかりしていて、非常にわかりやすい。さすが、プロフェッショナルだ。
人柄は、非常に温厚であり、しかし闘う時には高度の戦術を使う。記者だけあって、よく社会の動きを知っているし、我々が活動しているときに非常に役に立った。
今は、なかなか彼も忙しいし、直接会って話をすることも出来ませんが、彼の考え方その他が非常に冷静で、我々と違って直ぐに行動は起こさず、戦略的に物事を運ぶことが出来るのは、さすがである。
その辺、我々も勉強になると共に、物事がスムースに進んだ。これからも我々の運動に時間がありましたら、参加してもらいたいと思っています。



いじめ根絶の執念
横田理事長のいじめ問題に対する情熱には本当に頭が下がります。口先だけの評論家ではなく、常に自身の体を張って先頭に立って実戦的に動く。
議員や役人たちも横田理事長のこうした実戦活動があるからこそ動くのでしょう。
世の中広しといえども、遺族でもないのにこれだけ動ける人はいないと思います。本当に素晴らしい人と出会えたことを喜ばしく思っております。
昨年の南菅中学の事件は絶対に曖昧なままで終わらせ風化させてはなりません。


やくざの親分が本気で子供の問題を取り組んだらどれだけの子供が助かるだろうか



理事長は、結構任侠系の何人かの親分とお知り合いですよね?私も長い間連合会との係わり合いを持っていますが、理事長と一緒に出会った親分とかその関係者と話しても、ものの考え方とか話がしっかりしていて、一般社会が悪く言うような感じはしません



私が20数年前、子供のいじめ問題で活動をしているときに、何故か、阿形会長と知り合ったきっかけを思い出せませんが、なにしろ素晴らしい人に出会ったことは確かだ。
私はいつも親分を会長とか先生とか呼びますが、実際今は私の先生だと思っています。阿形会長から学ぶことが沢山あったし、それによって私の活動も色々変えて、随分助かりました。
先生は、長い間青少年の育成に力を注ぎ、民間の教育団体から講演を依頼されたり、PTAの父母からも非行に走る少年たちの更生について相談を受けたりもする。
教育熱心な親分で、特に、いじめ問題に対して警笛を鳴らしている。 私も時々会合のときとかに、我々の仲間を連れて行き、そして引き合わせたときに、皆何故か会長のファンになってしまう。いつも仲間が言う言葉は、やくざは 怖いと思っていたけれど、とても信じられないというのが、出会った仲間の声だ。それに会長のでる講演の時は大勢のお客さんがいつも来ている。やはり会長の 求心力は凄い。
ここで、阿形充規先生のプロフィールを紹介。

 


昭和14年11月24日阿形充規先生は東京都中野区野方で生を受ける。
父方は代々医者の家系・母方は教育者の家系で、母親は女学校の国語教師、父は旧帝大(現東大)を卒業し、上級公務員を務めた。
父方の家系は徳川松平家の御殿医という名家の出


阿形充規先生のプロフィールを紹介。

大日本愛國者団体会議 最高顧問
國民協議会 名誉顧問
大日本朱光会 名誉顧問
 

私は長い間、子供のいじめを含めた非行問題をやっておりますが、その長い間にも危険な場面がたくさんありましたが、私も武道家、それなりに切り抜けることができたから、現在があると思っております。
また、家出した子供を捜すのにどうしても見つからず、その世界の知っている親分に頼んで見つけたこともありますし、薬物で女性を追い掛け回している人間に対して、追い込みをかけたときにも、色々助けてもらったこともあります
今、全国の学校で構内暴力が戦後最多と新聞に書かれておりましたがその地域の親分の力を貸してもらえば一発で収めるぐらいの力量はある。本当はそれが一番近道でいいのだけれど、世間が馬鹿みたいに騒ぐから、ただ出来ないだけであると私は思いますがね・・・
しかし、いくら何百人のカウンセラーを動員しても親分一人の力にはかなわない。私は自信を持って言える。終戦後、日本の治安は至る所で無警察状態で混乱しているときに、任侠系の介入でいかに治安が守れたのか、その事実を知っておりますか
それと同じで、今現在ますます学校内暴力事件がおきても、何故学校も地域も収めることが出来ないのか!!答えは簡単だ、本当の力が無いからだ。言葉だけでは暴力は抑えられないことを知っておくべきだ。
今まであたらず触らず遠くから見てきたつけが結果として、戦後暴力最多になったのだ。我々がいつも声を上げている、力なき正義は無能だということをしっかりとかみ締めるべきだ。これは、一般社会も同じだ。
私が日頃から言っているのは、家庭・地域・学校にしても、子供には、いいこと・悪いことをしっかり教えるためにも、多少の体罰ぐらいは絶対必要だ。
私が長年子供の非行問題で多くの子供たちと一緒になって社会生活を送って来ましたが、多少の暴力は子供だって自分が悪いことをしているから、やられるのだと判っているから納得している。しかし、後のフォローがいいから、私に対して恨むようなことは一切無かった。
たぶんそれは、空手を教えていることが、平行して育てているからでしょう。やはり厳しいところは厳しいところで育てていかなければ、強い人間になれない。それが私の持論だ。





今夜のNHKGのSONGS長渕剛は、ちょっと面白かった。「お家へ帰ろう」ではセブン・イレブンがそのままOK、字幕まで出ていた。かつて山口百恵の歌ではポルシェが別の言葉になっていたと聞いたことがある。いろいろと非難されるNHKにも変わったところはあるようだ。それにしても敗戦後生まれの60代が世の中をだめにしたことを非難するフレーズもあった。いろいろ日本の世の中を風刺しているから、聞いたほうがいいと思う。

長渕剛 お家へ帰ろう 04
  

早起きは聖徳太子が始めて書に記した(しるした)そうだ。国の繁栄と安定の為に・・・