今日の女王サマ

映画、本、音楽、お出かけ、思ったことなどズラズラ書き連ねています。

20歳

2005年12月21日 | 家族
12月21日は娘の誕生日。ハタチになりました。
  ←これは小学生のときのわが娘。(初公開)

出産予定日は翌年の1月10日だったのが、3週間早まっちゃった。実はその数日前から妊娠中毒症で入院していたんですよ。
ムクミの極致で、身体、指、足、顔・・・すべてがむくんでしまっていたんです。オシッコがほとんど出ないから喉が渇いても水が飲めない。スプライトをゴクゴク飲む夢を何度みたことか。

入院したその日から管(くだ)を通され、強制的な排尿です。これがツラかった!管が細いものだから、出したいのに出せないという苦しみ。夜中も眠れずウンウン唸っていました。この嵐が去ったあとは風邪です。体力が落ちているものだから、外からきた見舞い客からもらってすぐ発病。6人部屋のほかのママさんたちにうつすといけないというので個室に移動させられました。

このころには身体にたまっていたオシッコがあらかた出てしまっていたので、6人部屋にいた仲間が顔を見に来てくれた時には「別人みたい」と言われてしまいました。顔がホッソリ痩せていたんです。

個室の自由もほんの数日。公務員の女性が入院してきて同室になりました。彼女は今回が3人目なので安心していたのと、職場が男性ばかりで体調が悪くても「休みなさい」と言ってくれる女性の同僚がいなかったことで、かなり容態を悪くしての入院でした。生まれた子供は女の子。お母さんがいらして「手のひらに乗るぐらいの大きさだった」と教えてくれました。そしてすぐに赤ちゃんは亡くなったのです。

私もベッドの上で毎日、点滴と安静の日々。ある日、病室で、妊婦さんたちがチャンピオンベルトとよんでいる胎児のモニターをするベルトをしていた時、急にピピピピと異音がしました。私がキョトンとしているとナースセンターから看護婦さんが顔色を変えて走ってきたんです。私の赤ちゃんに異常がおきたようでした。

産科の医師が2人呼ばれ、帝王切開することが決まりました。麻酔をしてもお腹を切られるときの痛みは感じます。看護婦さんが手を握ってくれていました。この手が本当に心強く、ありがたかった。

「女の子ですよ、苦しがってお腹の中でウンチをいっぱいしてました」と、朦朧とした頭で先生の声を聞きました。

帝王切開ですから、抜糸(私のときはホチキスのように金属でバチバチ留めるものでした)までに少し時間がかかるので、病院で年越ししました。病院食にもちゃんとクリスマス用やお正月用があるんですよ。もちろん紅白歌合戦も病院でみました(雑誌などの細かい字を読むことは厳禁なので、テレビとラジオぐらいしか娯楽がない)

3週間の早産で12月中に生まれたので、扶養者控除がその年の1月まで遡ります。
親孝行な娘です(笑)。

しかし早産で心臓に少し障害が残りました。心室中隔欠損症といって、心臓の壁に穴があいていて(というより、壁が出来上がる前に生まれてしまった)、新しい血と古い血が心臓の中で混ざり合ってしまうという先天性疾患です。

でもまあ、その後は3歳まで心臓専門の医師に診てもらい、現在はまったくの健康体です。

病室で一緒だった公務員の女性は、安静にしていなければならない私に代わって、娘にお乳をくれたり、お互いの身体を気遣ったりしてママ友になりました。今でも年賀状のやりとりが続いています。

女性は、何年たっても出産の時の様子を昨日のことのように思い出すことができます。1人生まれたら、かわいくてもう1人欲しいと思ってしまう。
でも、最近は子供を生みたくないという人が増えてちょっと寂しいな。


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