クリスマスですので、今日は少しその話を・・・・。
イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。
その時、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。
「ユダヤの王としてお生まれになった方はどこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みにきたのです。」
これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。
エルサレムの人々も皆、同様であった。
マタイによる福音書2章1節〜3節
イエスのお生まれになったのは、静かな静かな夜だったろうと想像します。
外は宿屋に泊まっている人々や街中を歩く人々の声、足音などで賑やかだったでしょうが、
それらは遠くから聞こえてくる音で、
身近では家畜小屋にいる羊や馬や牛が時折鳴いている、
そんなのどかな夜だったでしょう。
しかしながら、
彼を取り巻く世の中は、不安に満ち溢れていました。
当時ユダヤをおさめていたのは、ヘロデ王。
この時代、何人ものヘロデが出てきますが、
この人がもっとも有名な「ヘロデ大王」。
ローマから任命されての立場だったのですが、
彼自身はイドマヤ人。
ユダヤ人ではありませんでしたから、
国内でも色々な対立分子との闘争があって、
彼なりの豪腕さで、
厳しく取り締まったり、好意を見せたりと、
飴と鞭の政策でユダヤの地域を支配してきました。
全盛期には、国内あちらこちらに大要塞都市を建て、エルサレム神殿の改築を行い、
今でもイスラエルに行くと、その権勢を感じることができる様々な業績が残っています。
ただし、晩年は家庭内でも不和が続き、
結局息子を粛清するような事態にもなり、
疑心暗鬼の塊のようになっていたのでしょう。
それがよくわかるのは、
東方の学者たちがエルサレムに到着し、
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか。
わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」と言うと、
2章3節「これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた」と書かれているところからもです。
王にとっては、あらゆる疑心暗鬼にとらわれていた晩年の時期、
その上に「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」の存在を知った時の心のうち。
自分自身、そしてヘロデ一族の足元を揺るがす存在と本能的に感じ取った王。
そんな王のお膝元にいたエルサレムの住民も、
「エルサレムの人々も皆、同様であった」と書かれているように、
不安を抱いたのです。
「息子まで殺してしまう王だ。そんな話を聞いて黙っているわけはない・・・・」
そうエルサレムの人々は思ったことでしょう。
「ユダヤ人の王のお生まれ」を心から喜ぶよりも、王の狂気を恐れた人々。
案の定、ヘロデは行動に出ました。
マタイによる福音書2章16節以下には、
「人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、
ベツレヘムとその周辺一帯にいた2才以下の男の子を、
一人残らず殺させた」と書かれています。
無防備な赤子としてこの世に来るというのは大変なこと。
今の世のようにあらゆることが整っていても
日々自分の力では生きていけないわけで、
いつも死と隣り合わせの弱い存在です。
そんな赤子が、当時力のあった王から狙われる、
その赤子だけでなく、あたり一帯の赤子たち全てが殺される、
そんな状況を想像するだけで心が凍ります。
子供を授かったはいいが、
すぐさまエジプトに逃避行しなければならなかったヨセフとマリアの一家の日々は、
わたしたちの想像を超えて大変だったと思います。
しかし、
赤子は、主の天使の導きとそれに従った両親、ヨセフとマリアの守りによって、
最悪の状況の中でも守られ、
成長していくことになります。
クリスマスというのは、
あっけらかんとしたあったかい雰囲気を想像してしまいますが、
その周辺では人間の弱さとずるさ、自己保身、恐怖心などが渦巻いていたのです。
主イエスはそんな人間の罪のど真ん中に来てくださった、
それも無防備な赤子の形をとって来てくださった、
そしてそれは、人間の罪の一切合切を背負って十字架にかかるためだったということ。
これこそが本当のクリスマスです。
まさに「主イエスがこの世に生まれてくださったこと」を祝う日が、
今日12月25日なのですね。
そう、日にちが重要なのではないのですね。
そのことを、もう一度深く心にとめたいと思いました。
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24日夜のイブ礼拝。

今年はマーさんも加え、家族全員で参加しました。
帰りにもらったジンジャーマンクッキー。

帰宅後は、
「クリスマスディナー」を家族で。
その後久しぶりにみんなでテレビを見ながらワイワイやって、
クリスマスイブの夜は過ぎていきました。
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