LOVE AND GLORY

-サイキックの眼-

虚構の泡

2014-04-19 07:52:17 | サイキックの眼

        
       
虚構の泡
      
   
確たる(核たる)想いが在るかどうか。
    
ベタに言いますと、
「自分の本当に好きなモノが無い」
「自分の好きなモノが解らない」
こういった状態であっても、生活が成り立ってしまっている。
だとしたら・・・いつ笑ったらいいのやら?、いつ怒ったらいいのやら。
なんとも掴みどころの無い状態。
なのに生活は成り立っている。
      
そんなスグに自分の好きなモノが解って、それを手に入れることは出来ません。スグに手に入るモノは、所詮大事なモノではありませんから。
それが、戦後からの高度成長期には「誰でも」手に入れる事が出来たのです。
兎に角働いて、給与で手に入るモノはトコトン手に入れてきた。
「バブル経済」とか言いますが・・・もともとはバブル人口(第1次ベビーブーム)が造り出す社会です。
そもそも人間そのものが、その世代自体がバブルだったのです。
なので、「第1次バブル・ベビー世代」と言う方が適正。
勿論、戦争で多くの人が亡くなったので・・・多くの子供が必要となった。
      
泡のように死に。
泡のように産まれてきた。
      
こんなことを言っては失礼ですが・・・。
      
そして次に。
「第2次バブル・ベビー世代」が、アブクのように産まれてくる。
1970年生まれの僕も、その泡の気泡の中のヒトツです。
カエルのタマゴかッ!ちゅーの。笑
      
アブクブクブク。
      
もとをたどれば、戦争で多くの人が亡くなったのです。
それで戦中に、「産めよ育てよ!キャンペーン」が行われ・・次から次へと子だくさんの家庭が増え。
そして戦後をむかえたのち、その大量の子供たちは全国に散らばって、自分の新たな住みかを確保し。
それも、泡のチカラは凄まじく。
膨れあがる。もう止められない。
ポン菓子のように、爆発とともに一気に巨大化する。
泡の魔法がかかったスペシャル世代。
      
洗濯機に洗剤を入れすぎた時のように。
膨大な泡の渦の中で、みな必死に泳いできた。
    
その自負は有るのでしょう。
泡に誇りを持っている。
      
しかし。
泡はアワでしかない。
    
日本人はみなどこかで知っている。
所詮、国のお金は泡でしかない。
だから、自分のお金だけは手放さず持っておこう。
      
これが現状。
      
愛情?。
んなモン知らんわぃ!。
泡が消えないように必死やっ!つ~の。
泡の中で幸せ探しゴッコして。
泡の富を減らさないようにすることが最優先だべさ。
      
んで。
その子供である「第2次バブル・ベビー世代」も中高年になり、泡の維持に四苦八苦する。
      
四苦八苦する、というのは色々ですが。
先程も言ったように、泡だらけの洗濯機の中で、どのように生きられるか。
      
泡の中で産まれ。泡のように死ぬ。
    
細胞レベルでいうと、みなそうかも知れませんが。
でも生きているこの時は、一個体で在りたいのです。
名も無き泡ではなく、現実の中の自分自身で在りたい。
      
それが愛と言える、確たる(核たる)想いであろう。
      
それが、泡世代が泡で造り上げてしまった、この泡社会の中では通じないのです。
      
名も無き「泡」が良しとされ。
その子供もまた、名も無き「泡」となり苦しくなり。
      
自分であってはいけないのか?。
いつまで「泡人間」で居なくてはならないのか?。
      
ここで親子喧嘩や、世代間での話しあいが出来ればいいのですが・・・。
バブル同士、泡と泡がぶつかり合っても・・また薄くなった泡がブクブクいうだけで終わる。
      
ちゃんとした個体が無いのだ。
ちゃんとした個体を持つことが「愛」そのものと言える。
泡ではなく、一個体で在ることが今一番大切な事である。
      
泡は・・どこまで行っても泡でしかない?。
泡のシアワセだってあるのかな?。
      
いいや。
誰だって、自分がホンモノで在りたいはずです。
ハンス・クリスチャン・アンデルセンの「人魚姫」のお話しがそうでしょう。
人魚姫はどうして泡になってしまったのか?。
僕は今、これを綴っていて思います。
      
陸の上の王子様は、人魚姫という本物に恋をしたが。
虚構の自国である、泡の人間社会を選んだのです。
人魚姫は・・虚構の泡に恋をしてしまった。
そして・・自分が泡になってしまった。
虚構の泡である王子の命を絶てば、人魚姫は自分が本物の愛に戻れたのでしょう。
なので。
人魚姫は・・地上のバブル社会に憧れを持ち。
・・そして、自分がバブルになってしまい。
自分を失ってしまった。
水の中の仲間達は、あれほど注意したのに。
人魚姫は・・バブルに負けてしまった。
何が本物で・・何が虚構なのか?、見失ってしまった。
これがアンデルセンの人魚姫。
或いはジャン・ジロドゥのオンディーヌのお話しの核の部分なのでしょうね。
      
人魚姫が泡になり。
そして、その泡からまた自分を再生させるにはどうしたら良いのか?。
いまの時代に一番必要な事だと思います。
      
みんな・・泡のクセが抜けない。
でも自分自身を成り立たせる為には、
泡に「ノー」を突きつけなければなりません。
    
そうなると。
人魚姫がもし生まれかわったなら。
今度こそ「虚構の王子」にナイフを突きつける必要があるでしょう。
      
今、そんな時代なのです。
       
         
サイキック 山本 浩二
       
            
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