LOVE AND GLORY

-サイキックの眼-

傷みの無視。

2014-08-11 19:54:34 | サイキックの眼

       
         
傷みの無視。
       
       
自傷行為。
人を傷つける。
   
親から虐待を受けた子は・・
「人を傷つけてはいけない」と我慢をする。
我慢し続けてしまって、神経や肉体に支障をきたす。
我慢出来なくなって、人を傷つけてしまったり、
自傷行為にいたる・・・。
      
それも、エスカレートするケースが増えるいっぽうだろう。
それを世間のそういった専門家の間では、『問題行為』として見て留めるところ。
      
子供の問題行為・・、いつもと変わった点など注意深く見ることが大切だそうだ。
      
ヘンな話しだが、どうして我々オトナだって子供の頃に同じ苦しい想いをしてきたのに・・子供の気持ちが解らなくなってしまうのだろう?。
      
イジメる。
イジメられる。
動物や生き物に悪戯。
そして
大きな事件に発展する・・命の取り返しのつかないような狂気な行為。
       
オトナから見れば、「なぜ子供は異常行為に走るのか!。」
こう言うに留めて・・、なんの解決も見ぃ出せない。
「解らない」と言う。
       
            
答えから言いますと。
      
『傷み(痛み)を訴えている行為なのです。』
    
傷みを訴えている行為、
それがエスカレートしているコトが、
「問題行為」と捉えられているのです。
      
         
今回のテーマ    「傷みの無視。」
唐突に話しを始めています・・ハードな内容です。
子供が起こしてしまう・・命の取り返しのつかない事件を含めた、日々の問題を取り上げてのコトを述べたいと思います。
       
命の取り返しのつかない事件に発展するまででも・・、
小さな傷みや、
膨らんだ痛み。
みんな持っているはずです。
      
『自分の傷み(痛み)と向き合い、知る努力と理解する努力を知っている人は、他人の傷みを無視出来ないモノなのです。』
      
「問題行為をおこす子供をどうして良いのか解らない」
と、その専門家ですら頭を悩ませている。
      
どうして専門家も保護者も解らないのか?というと、
『自分の傷みを無視しているから』です。
自分の傷みと向きあっていないから、人の傷みが解らないのです。
      
以前、アトピーで悩んでおられた20代女性のカウンセリングをおこなったとき、彼女は「顔中にピアスを開けたい」と深刻に言っていました。
僕の返答は、
「それは、周りや両親に痛み(傷み)を見せつけたい・・痛みを理解してほしい!。だからでしょう?。」
そう伝えると、深く理解し・・笑みを浮かべて・・うなずかれました。
彼女の父親は厳格な性格で、四角四面の教育を強いていました。
       
       
「人の心が傷つく。」
      
これに鈍感な家庭に、「イジメる側」「イジメられる側」の双方が両方存在します。
自分さえ良ければいい。
自分さえ傷つかなければいい。
このような考えをもったオトナの居る家庭の子供は、「人をイジメる」・「人からイジられる」、両方が存在するのです。
自分の安全のコトしか考えないのが共通点です。
      
「傷みを無視」できる性格が、共通点。
「傷みを無視」され続けてきた子供が、傷つけ・傷つけられ・傷つけ合う行為を行うのです。
      
傷みを理解してくれない、傷みが理解出来ないオトナの社会環境が、問題行為をおこすに至る子供を育てているのです。
       
傷みの無い。
心の傷みの無い、傷みを撲滅した人間関係が良いのではありません。
ちょっとしたコトでも苦しい・・。
成長すれば、それだけの責任とリスク・・、そして傷みだって正比例して増えるのが当然。
      
社会という建前は、傷みを乗り越えるコトを教えてはくれない。
    
「心や精神が痛みを訴えるコトはアリマセン!ゴザイマセン!」・・と、言えることが立派な社会人で、立派なオトナというコトになっている。
      
ココロや精神が病んでいるコトは、「あらら・・カワイソウ」というカテゴリーにされるようですが、僕は「正常な心と精神だからだよ!」と、言ってあげたい。
       
誰にだって在る、「傷み」と「痛み」。
自分の中にも在る「痛み」を無視し、人の中にも在る「痛み」を軽蔑する方が、よっぽど精神が病んでいると思う。
      
なにも、「傷みを分かち合いましょう」と、言うようなボランティアを言っているのではありません。
      
自ら、自らの「傷み」を無視せず向き合い、知る努力と、理解する努力、そして乗り越えるコトを続ける。
そして。
その積み上げた精神を持って、子供を見守るのです。
その無言の説得力を、子供は見て学ぶのです。
子供に限らず、人は人の無言の説得力から「傷み」を学ぶのです。
      
自分の傷みを無視していない人は、他者を無視しないのです。
自分の苦しみを無視出来ない人は、他者を無視しようと出来ないモノなのです。
      
      
傷みや苦しみのあるコトは、悪い事。
いつも気持ち良く、清々しい気持ちでいるコトが、良い事。
いつも笑顔で。
苦しみや傷みは・・顔に出さず。
       
・・・・・?。
      
でも、傷みは感じます。
色んなカタチをもって、傷みの膿みはバクハツするのです。
         
          
サイキック 山本 浩二
       
      
※あとがき
2014年7月26日・佐世保でおこった事件から、「傷みの無視。」というテーマで、当記事を記しました。
一番の原因は、「傷み」に対し・・極端に無頓着な両親と家庭環境だったと推測します。
加害者は、両親を始め、周囲にも、「傷み(痛み)」を訴え・・知らしめたい行為をおこなってしまったのだと思います。
       
         
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