正しくない事が、まかり通る家庭で。
「正しくない事」と言うのは…つまりは、
「後ろめたい気持ちになる」ことをさす。
教科書や道徳やらで学ぶような正解・不正解よりも、
気持ちが先ず、後ろめたく、疚しく感じるもので、それが一番の正解となる。
家庭内、親子、兄弟などの血縁関係の問題は一生消えることはなく。
同じ血の通った者、同じ血と細胞を分け合った者どうしの中で、信頼無き関係性が永遠に続いて行く家族。
根底にある人生の問題のすべては、家庭に在り。
他人がどうすることも出来ない。
各々が自分一人でその根底と向き合わなければならないのです。
悩み事の相談ご依頼の話しを伺っていきますと必ず、「有ってはならない出来事」が家庭内に存在するのを確認出来るのです。
相談者さんは、その「有ってはならない出来事」が本人には日常の当たり前の事なので、不思議には思わないのが実状です。
「有ってはならない出来事」 各家庭の数だけあるでしょう。
ですがそれは、家族関係内で…命にかかわる出来事、とだけは申しておきます。
恐怖心、被害妄想、強迫観念。
そして次には、これらを抑える為の薬品治療と、癒し系精神世界への依存。
と、その後遺症。
根底に根付いてしまった、家庭内の有ってはならない出来事と、その癖(パターン)。
そこから逃げ出せない、回避すら出来ない、助けを求めようとも家族を崩壊させることはしてはならない。
『自分が我慢するしか丸く治める方法は無い!』
子供の頃からこうやって育ってきた人は多い。
(※因みに僕は、親も学校も社会も、ずっと信じずに自分を信じ続けてきた!泣)
♥ 間違いを正しましょう (裏・道徳編) ♥
そんな一言で正せるんならこんな世の中になってないわぃ!!
小さい子供だったら間違いを知って、認めて、直して、正せるでしょう。
でもきっとこう思うよね、「大人だって間違ってるまんまじゃないか!」って。
Q じゃあどうして大人は間違いを認めて直そうとしないのですか?
A それはねぇ~
『間違いだらけの後ろめたさと疚しさが何重にも入り乱れ過ぎて、
目の前にある間違いをヒトツだけ正したところでドーシヨウもないのです、
だからもう直したくないざぁます』
間違った判断、正しくない事ってのは、先祖伝来受け継がれてきている。
疚しさ、後ろめたさが、永遠に引き継がれてきているものなのです。
疚しきこと、後ろめたい事は、誰でも持っていて、誰もがひた隠している。
そして、同じ種類の後ろめたさを持った者どうしが社会で出会いを持ち、人間関係を構築し合っている。
そして、その同じ種類の後ろめたさを互いに認め合い、互いに擁護し合う。
だが、家庭内は息も出来ぬ状態になっていくだろう。
それからがまた、恐怖心、被害妄想、強迫観念に苛(さいな)まれる。
「私は悪くない、私は頑張っている、私は間違ってない!」 と。
〔答えはこうです〕
自分一人の責任においての間違いや不正は、仕事だったら頑張って修正したり乗り越える事は出来るでしょう。
しかし、他者から押し付けられた不正はどうしたら良いのでしょう?
実際に職場でもおおいにあるでしょう。
「どうして他人の不正を背負わされるんだ!、どうして私が後ろめたい疚しい立場に立たされなければならないんだ!!悪いのはアイツだろう」
社会で…奇しくも? (※奇(く)しくもの意味→偶然にも。不思議にも。)
よくある事です。
では例えば、上司は助けてくれるのか?
いいえ。
なぜなら、上司にも隠しておきたい後ろめたい事がイッパイあるからです。
上司はこう言う…
「それくらいのことでカリカリしないでさぁ助けてやってよぉ~ん」
なぜならね、みんな自分の疚しさ後ろめたさを隠してそれを現状維持するので必死だってことなんよ。
「みんなで見て見ぬフリ」が合言葉なんだわ。
社会で…奇しくも?
いいえ、偶然でもなく、不思議にも起こっていることではありません。
『 正しくない事が、まかり通る会社で。』
というタイトルなら答えはこれでオッケーですが…
一番の根底問題として、これが一族・家族・夫婦・親子・兄弟姉妹の中で発生していることなんです。
会社ならば規定に反していないか?などで軌道修正をおこなう時もあるだろうが、生身(なまみ)の家族となれば、このように理由付けてアーダ・コーダひと言で纏められる訳でもない、それは分かっている。
しかし、ご相談者の心の内を掘りおこしていく中で、やはりどう考えても…やってはならない出来事が家庭内に潜んでいる事が見受けられるのです。
それが、親から子へ~子から孫へと引き継がれているのだ。
おいそれと正しくは直しようもない長い時間の蓄積であり、それは血と細胞の中にも引き継がれていく。
絶対にしてはならない間違い。
それは間違っていると本人は解っている。
それで平然とした精神で過ごせる訳ではない。
後ろめたさと疚しさで苛立ちを起こす。
そして
・ストレートに虐待行為・無視行為に走る人もいれば。
・口封じの為の?暖かい家庭を演出するタイプもいる。
だいたいは、この両方が混在している場合が多い。
これが、先祖代々受け継がれているのだ。
これで、平然と健康に暮らせている家族は居ません。
家族の誰かにシワ寄せまわり、先程から例を上げている精神疾患や、アトピー性皮膚炎、その他の原因不明とされているアレルギーなど、発症している。
そして、交通事故など、重大な人身事件や事故も、原因の根源は…
『 正しくない事が、まかり通る家庭 』 から始まっているのです。
問題ごとを解決していない家族は、問題が増え続けていくのです。
そこで健康グッツを買いあさっても、神だのみをしても、先祖供養しても、癒し系精神世界のパワー?とやらを追い求めても、無理ですよ。
大事なのは、先ず、
後ろめたい出来事、疚しい気持ち、正しい判断をしなかった事を認めるんです。
正しい事は何か?なんて、誰だって分かってるんです。
だけど出来ない…
悔しい!腹が立つ!自分ばっかり我慢を強いられて!
正しい以前に、ウップンを晴らさないと気が済まない!!
先に不正を押し付けてきたのは、相手(親・祖父母など)の方だ!!
怒りや憎しみも、すべて認める。
先祖代々、疚しさを隠して、見て見ぬフリをし、そしてまた後ろめたい出来事が勃発し、またそれを隠して、見て見ぬフリの繰り返し。
それでも生きて行かなけりゃならないなんて。
今までのブログ記事にも再々綴っていますが、
僕は子供の頃から感じていた、
「未来には親子で殺し合う時代が来るだろう」って。
なぜか?それは、
『誰だって、正々堂々と自分の正しい気持ちと意志で生きて行きたいものね。』
だから、親子が互いに殺し合う時代が来るだろうと予測していたんです。
建前と、見栄と、嘘と、後ろめたい出来事と…、労力以上の報酬と、トッカン工事で背伸びしてきた高度成長期の家族たちの心と精神は、手抜き工事の建売住宅みたいなモノだ。
そもそも、敗戦後から現代に至ってまでも、戦争の後ろめたさ、疚しさをいつまでも背負って生きているのも否めない。
ハンバーガーを何故か後ろめたい気持ちで食べてしまうのも、豊かさを与えられたからだろう。
罪を与えられているような。
話しを戻して言えば
疚しい後ろめたい事を隠している親が、口封じの為に子供に与える小遣いや御馳走です。
ニートや引きこもりの親子問題をどうやったら解消できるか?なんて、その親が正直に生きるコトを認め選べば済むことだ。
み~んな、後ろめたさと疚しさと、それを隠し通せる財源が絡み合っている。
後は、破綻が待っているのみだ。
自分にとっての正しい事を選択し、生きて、生活を続けることは、大変です。
先ず勇気がいる。
不正ばかりの建前社会で生きるには勇気と精神力がいる。
しかし、野生の動物や植物だって、恐ろしく正し過ぎる天然の自然の脅威の中で生きるのだって、勇気と精神力が必要だ。
どちらにしても、この宇宙の流れの中で、正面から生きることは恐ろしく正しくあって、いずれにせよ苦しく辛い。
その脅威と恐怖を忘れて生きながらえる社会の実現が幸福な人生とされているが、本当の現実は、逆に恐怖が増す一方なんですよね。
自然の恐怖を感じたくないから忘れようとするから、余計に恐くなり、生きていけなくなる。
僕はずっと悩んで悩んで…悩み倒してきて、まだ若かった時にいつも自分に言い聞かせていたコトがある。
「同じ悩み苦しむんだったら、好きなことで悩み苦しもう」
「迷った時は、自分が良いと思った方を選ぼう」 って。
自分で選んだ事は、自分で修正出来るんです。
他人から与えられたモノは、自分で修正出来ない。
「正しくない事が、まかり通る家庭で。」
正しい事、正しくない事、誰だって…モノゴコロついた子供だって、動物だって、ペットだって、みんな分かっている。
そういう気持ちになるんです。
身体も、心も、精神も、全身で分かっている。
その全身が、ストレートにノビノビと、強く真っ直ぐに生きた心地が、欲しんだよね。
それが歪むと、不幸で不健康でノイローゼになるんよね。
だから、ヒトツづつ、丁寧に、自分に正直になる。
不正に負けないよう。
他者から与えられた不正に負けぬよう。
そして、自分の中にうごめく不正に負けないように。
本当の正しい事ってのは、恐怖です。
でも、正しくない事は、もっと恐ろしい事だと思います。
どちらも怖いんだから、正しい方の怖さで乗り越えていきましょうよ。
サイキックの眼 ヤマモト・コージ