好き・嫌い
「好き?嫌い?って・・言っちゃダメですか?。」
「空気よめよ。みんな我慢してんだからさ。」
このような会話は実際ありませんが、みなさん心の中で常日頃感じていることですよね。
なぜ言えないのでしょうか?。(なかなか斬新でしょ!笑)
言ってはいけないからです。
なぜ言ってはいけないのでしょう?。
図星になってしまうから?。
なぜ図星になってはいけないのでしょう?。
相手が傷つくから。
なぜ傷つくのでしょう?。
自分も言われると傷つくから。
なぜ傷つくのでしょう?。
怖いから・・?。
なぜ好き・嫌いを言えないのでしょう?。
言ってはいけないから。
いつ頃から言ってはいけなかったのでしょう?。
気がついた時にはもうみんな我慢していた・・?。
好きなモノに我慢していた。
嫌いなモノに対して我慢していた。
好きなことだけをする子は悪い子。
嫌いなことでも我慢して出来る子が良い子。
嫌いなことをたくさん出来る子には、少しだけ好きなことをしても良いことを許します。
嫌な人生・・毎日がおっくうでさ、ちょっとくらい好きな事してもバチはあたらないっしょ。
みんな陰では好き勝手やってるし。
こう我慢の連続だとストレスがハンパないっちゅーの。
自分の好きなことって何だったのでしょう。
どうして好きなことに一生懸命になってはいけなかったのか?。
実際・・学校や社会の流れの中。
それにね、それ以上に家庭内の空気を読めばいたしかたなく・・、「みんな我慢してるんだから私もそうやって我慢してるのもまぁいいことだよ」、と・・みなそう思ってきたに違いありません。
『好き・嫌い』
思いっきりに言ってみたくありませんか?!笑。
バイキング・ビュッフェレストランで、好き・嫌いを楽しむのとでは違います。
本当に『好き』なことを持ち、そしてその好きを達成にいたることが叶えば。
その時、『嫌い』なものへの嫌悪感から卒業できるのです。
『好き』なものへの達成と。
『嫌い』なものへの達成です。
好きなものをシッカリと持ち、努力の末に達成すれば、嫌いなものから逃げ続ける必要は無くなります。
「好きなもの」とは、本当に好きなものをさします。
「本当に好きなもの」とは、愛を感じるものです。
嫌々スタートさせたモノの先には・・嫌なことしか残りません。
その嫌なことから逃げたくなることばかり考えるようになるでしょう。
そして・・毎日が我慢の連続になり・・同じような人との人間関係ができ、周りの嫌な空気をいつも読みながら・・更なる我慢ができてしまいます。
それが家庭環境にも言えることで、子供が無邪気に好きなことをしようものなら・・。我慢に我慢が出来ない状態となり、自分と同じように「嫌なことだけを我慢して出来る子」を育て褒めるようになり・・、子供は親の嫌々な空気を読み続け。
この何処に?、「好きなものを好き」と言える隙間があるでしょうか。
「好きなものを好き」と言う事は、エゴではありません。
本当に好きなモノとは、周りの人をも幸せにするものなのです。
本当に好きなモノとは、人間の感性に共通する豊かさをもったものなのです。
「エゴ」とは、他人に盗られる前に自分が独り占めしてしまおうとすることでしょう?。我慢人生の中で・・不自由になっている人が思いつく欲求が「エゴ」です。
自分さえ良ければいいという「エゴ」は、必ず破綻します。
「好き」から始めたものには、「好き」なものへの強さが成長します。
「好き」なものへの賢さや尊さ、深さにも到達します。
「好き」なものへの責任を抱くことが出来るのです。
時々・・しんどいなぁ~と思っても、「好き」なものへの情熱が再燃します。
↑これを「嫌い」に置き換えて考えてみてください。
「嫌い」から始めたものは、嫌悪感の連続です。
「嫌い」なものへの同情心だけが成長し。
「嫌い」なので・・無責任になり。
何もかもイヤになります。
自分の「好き」を今一度、抱いてみて下さいね。
本当に好きなものです。
「好き」なものを認めると、「嫌い」なものへの嫌悪感をも認められるようになるものなのです。
「嫌い」なものを嫌々やると・・「好き」なものも嫌々やるようになる。
不思議なものです。
時代が進化してきたからこその悩みではあります。
昔はこのようなことは考えなかっただろう。
自分の一番に好きなことって何ですか?。
「好き・嫌い」を乗り越えていきませんか?。
極論ですが。
「好き」の中で育ってきた人は、「好き」に正直です。
「嫌い」の中で育ってきた人は、「嫌い」との葛藤の連続です。
みんなが、自分の正直な「好き」をスタートラインに持てますようにと思います。
サイキックによるカウンセリング。
ご相談、心よりお待ちしております。
サイキック 山本 浩二
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