臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の「朝日歌壇」から(10月3日掲載分・其のⅠ)決定版、急遽再掲!乞う、ご再読!

2016年10月22日 | 今週の朝日歌壇から
[馬場あき子選]
○  囚友のJAМALが今朝出所する硬くハグすれば別離が惜しき (アメリカ)郷 隼人

 「ここだけの話だがら、他さ行ってあんまりぺちゃくちゃ喋らねでけろな!郷隼人さんの短歌は、横文字とそれさ振った振り仮名だけが魅力の歌だど、あんたがだは思いませんか?」
 「私は、とっくのむがしからそんなふうに思ってだんだけんど、作者の環境が環境だがら、はっきり言うのを遠慮してだんですよ!」
 「この作品の場合も、二句目の『JAМAL』に〈ジュモーム〉なんちゅう、あんまり必要だどは思われない振り仮名を振ってるし、それに五句目の『別離』なんかは、そのまま素直に〈べつり〉ど読ませでもいいし、どうしても〈わかれ〉と読ませだいなら、『別離』と書かねで、〈別れ〉と書げばいいだげの話でありんしょう。わだしの歌詠み仲間の、大分県出身の老人の詠む作品が、郷さんの作品と同じように、あまりにも度の過ぎた振り仮名頼みの作品ばっかりだがら、わだしはいつも苦虫を噛み潰すような思いで歌会に出でいだんですよ!今だがら、他ならぬあんただから打ち明けますけんどね!」


○  大学の死体解剖教室や数百年の静けさのあり  (静岡市)篠原三郎

 「『大学の死体解剖教室や』なんて書ぎがだは、俳句を想わせる書ぎがだですね!三句目の終わりに、間投助詞の〈や〉を持って来る遣りがだは、正直言ってわだしはあんまり好ぎになりません。わだしは古典文法をある程度おべでるがら、この〈や〉が間投助詞の〈や〉だど、すぐに解ったけど、わたしよりも不勉強で馬鹿な奴らならば、この〈や〉が、〈あれやこれや〉などと言うどきの〈や〉であるど、すなわじ、並立を表す副助詞の〈や〉だど誤解したりするごどだって考えられますよ!いずれにしても、この〈や〉には少なからず問題があります!」
 「それに、内容面についで言えば、『大学の死体解剖教室』に『静けさ』があるのは、よぐよぐ考えでみれば、極めであだりまえのごどではありませんか?それにしても、『数百年の静けさのあり』とは、あまりにもオーバー過ぎますよ!わだしの言う〈オーバー〉は、ゆぎ降ったどきに着る〈オーバー〉どは違いますよ!」


○  大洪水水面に浮ぶ玉葱の涙の河水畑をおほふ  (北海道)大戸秀夫

 「作者の大戸秀夫さんとやらは、あの北海道の畑作地帯を襲った『大洪水』の被害者なんですかね?」
 「もしかすて、そうで無がったりするど、作者は他人が受げだ災害を短歌を詠むネタにしてる、などと、抗議のメールや電話がじゃがすかじゃがすかと来たりして、困るようなごどだってありますよ!他所様のごどながら、わだしには、その点が、とでもとでも心配ですよ!」


○  不安なる一夜の明けてわが道路泥なまなまと土石流の痕跡  (岩手県)山内義廣

 「作者の山内義廣さんは、『不安なる一夜の明けて』『なまなま』と『泥』が溜まっていで、『土石流の痕跡』が見られるのは『わが道路』である、などと仰ってるけども、その『道路』とやらは、私道なんですかね?」
 「もしかすて、そうで無がったりすると、『山内義廣さんは歌詠みのくせして、私道と公道との区別もつかない馬鹿者だ』なんて笑われちゃいますよ!」


○  豆腐とは思い出せない記憶たち崩してもくずしてもただ白く  (神奈川県)九螺ささら

 「いい年してカッコ付けちゃって、神奈川県の九螺ささらさんってキザな奴だって、このブログの読者から笑われますよ。」
 「同じ神奈川県内でも、九螺ささらさんのおすまいの在るどごろは、横浜市や川崎市とはとことん違った、ど田舎なのかも知れませんね。」
「わだしの友だぢの一人が山北町という、同じ神奈川県内の町に住んでいるので、わだしはあるどぎ遊びに行ったごどがありますが、何と驚いたごどに、その町は山一つ跨げば静岡県という、ど田舎だったんですよ。」
 「わだしがつらつらと思うに、本作の作者の苗字が〈九螺〉だがら、彼女の住む町の住民は、未だに田螺を沼がら採ってきて、晩餉のおかずにしてるんではありませんか?」


○  秋祭りの流鏑馬終わりしずかなる社に馬の残り香のする  (仙台市)沼沢 修

 「この作品の中に出て来る『馬』って奴は、同じ『馬』でもサラブレットではなくて、農耕馬か、いずれ〈馬刺し〉にされる食肉馬か、どんなに高く見積もっても、せいぜい地方競馬出の廃馬程度のものでしかありませんね。」
 「なにしろ、奴らのまげる糞ったら、臭くて臭くてたまりませんからね!」
 「作者は、澄まし顔して『しずかなる社に馬の残り香のする』なんちゃってますが、『しずかなる』も道理、まかり間違って、件の『社』の境内に足を踏み入れようものなら、足の爪先がら頭のテッペンまで黄色く染まってしまって、その後、十日ぐらいは、あの独特な匂いが取れませんからね!」


○  ひぐらしの声のかなたに母の声そのかなたにもひぐらしの声  (館林市)阿部芳夫

 「実体験に基づくものであったかどうかは存じ上げませんが、流石に館林市の阿部芳夫さんである。」
 「ここまで巧みにお詠みになられると、私・鳥羽省三としても、潔く脱帽せざるを得ません。」
 「でも、禿頭のわだしが帽子を脱ぐと『稲妻が走ったような気がするから脱がないで!』と妻が言うがら、やはり脱がないでおごうかしら?」


○  転んでも走り続ける級友はこの夏休みで一皮ぬいだ  (芦屋市)室 文子

 「室文子さんよ!あんたは『転んでも走り続ける級友はこの夏休みで一皮ぬいだ』なんちゃったりしてますけんど、人間の『皮』というものは、〈脱いだり剥いだり〉するものではなくて、〈むける〉ものですよ!それなのにも関わらず、あんたは『一皮ぬいだ』なんちゃったりする。あんたも歌詠みを志しているなら、ここのあだりで、『一皮』も二皮もむけなければダメでござんしょ!」


○  「ごんぎつね」教えし生徒らも父母となり意のままならぬ子育て嘆く  (舞鶴市)吉富憲治

 「一体全体、当朝日歌壇の入選作作者の常連中の常連歌人・吉富憲治さんの本職は何なのがしら?」
 「この作品を素直に読めば、彼は過去の一時期、小学校の教壇に立っていたようにも推測されるのであるが、わだしの知る限りを於いでは、彼はつい先年まで、大きな革鞄を抱えで、アメリカ大陸を歩ぎ回って、何かを売るセールスマンを遣っていだように思われるのですが?」
 と、ここまで書いてそのままに放置していたところ、昨日の深夜、「吉富先生不肖の生徒」と仰る方より、次のようなコメントが寄せられましたので、以下の通り、それをそのままに転載させていただきました。

 即ち、「(吉富先生不肖の生徒)/2016-10-22 03:00:47/はじめまして、ここに書かれている吉富先生の不肖の生徒です。/http://www3.osk.3web.ne.jp/~seijisya/seijisya_tsuushin/seijisya_tsuushin_013.html///
↑にも書かれていますが、彼はもともと大手真珠・宝飾品会社の駐在員として米国に赴任し、独立後は現地で学習塾を経営していました。/(土日に現地の日本人学校があってそこでも教鞭をとっていました)/私が教えていただいたのは20年程前で、その時にはセールスの仕事はやっていなかったはずです(汗)」とのこと。

 深夜にも関わらず、このような真に貴重な情報をお寄せになられた(吉富先生不肖の生徒)と仰る方には、篤く篤く御礼申し上げます。
 

○  体育祭子供みたいに日焼けしたほんとの大人になっちゃう前に  (富山市)松田梨子

 「富山市議会が政務活動費の件でてんやわんやの大騒ぎをしている折りも折り、わだぐしだぢのヒロインの松田姉妹のお姉さんの梨子さんは、またぞら、いきなし『体育祭』などと名詞を冒頭に置いだ歌を詠んでる。」
 「あんたのつもりとしては、この『体育祭』という名詞は、本歌の総タイトルとして置いだ名詞、青春ドラマが展開される場面を先ず最初に設定して置ごうどして置いだ名詞、とでも思っているのかも知りませんが、ここ最近は少し違ってはきたけれど、あんたの過去の入選作の多くは、これと同じような手法、一首の冒頭に一個の名詞を於いて時間設定だどが場面設定だどがをする、極めて安易にして、極めて常套的な手法に依る作品なんですよ!」
 「そうした点に於いでは、あんたの妹の松田わこさんも同じで、もしかすたら、こうした安易な手法で歌を詠むのは、富山市の松田家の父祖伝来の手法、短歌の家・松田家に漂っている臭みなのがも知れませんね。」
 「と、いうわげで、ここの辺りで一皮も二皮もむけなければ点に於いては、あんたがだ松田姉妹も、前述の室文子さんと全ぐ同じですね。」
 「えっ、わだしとしたごどが、まど外れでよげいなことを言ったのかしらん?」


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