[稲畑汀子選]
(横浜市・松永朔風)
〇 屋根にある猫だけの道秋高し
下五に「秋高し」といった季語を伴った語句を置いた作品は多い。
作者としては、謂うところの「二句一章」に則って作ったつもりでありましょうが、そうした作品の中には、「上五・中七から成る一句と下五の一句との間に、何一つ照応関係が認められなく、かと言って、両者が互いに反発し合っている訳でも無い」といった作品。
敢えて言うならば、「下五に季語を置かなければ俳句にならないから」といった理由だけで詠まれた作品が多く見られるのである。
しかし、本句の場合は、「『屋根にある猫だけの道』と、作中主体の視線が先ず屋根の上に向けられ、軈てその視線が更に上に向けられた結果、『秋高し』という形で季節の微妙な変化を発見することが出来た」という仕掛けになって居て、二句一章が形式的にも実質的にも完結をみているのである。
つまり、本句の作者は、わずか十七音の中に作中主体の視線の動きを表し、更には、心の動きをも表し得ているのである。
〔返〕 屋根に在る盗賊の道 蛇の道 鬼平の眼がキラリと光る 鳥羽省三
(西宮市・黒田國義)
〇 八千草の秋のみじかし蝦夷大地
「蝦夷」の「大地」には、農産物の収獲が終わったのも束の間、野山の「八千草」たちに草紅葉する暇も与えず、アッという間に冬将軍が襲来するのである。
〔返〕 八千草のかほる未だにご息災皇潤売りて生き恥曝す 鳥羽省三
恥ずかし乍ら、隠れファンであったが故に、あの「皇潤」というサプリの売り子となって生き恥を曝している姿に「もののあはれ」を感じるのである。
(三鷹市・村井田貞子)
〇 心地よき疲れ車窓に望の月
三鷹駅(15:45発・JR中央線快速東京行き)
↓
新宿駅(16:04着・JR湘南新宿ライン、快速宇都宮行きに乗り換え・16:09発)
↓
大宮駅(16:40着・あさま533号、長野行きに乗り換え・16:50発)
↓
軽井沢駅(17:27着・しなの鉄道、小諸行きに乗り換え・17:33発)
↓
小諸駅(17:57着・JR小海線、小淵沢行きに乗り換え・18:02発)
↓
野辺山駅(19:53着)
と言う具合に事が順調に運べば、小海線・野辺山駅に到着する直前に「車窓」から「望の月」を眺めることも可能でありましょうか?
但し、国立天文台の発表に拠ると、「本年十月の満月は十月十九日(土)であり、南中時刻は午後八時三十八分」とのこと。
ところで、「疲れ」が「心地よき疲れ」であるか否かは、当日の健康と日頃からの心掛け次第でありましょうか?
〔返〕 車窓から田ごと田ごとの望の月 小海線での程良き疲れ 鳥羽省三
(東京都・長谷川弥生)
〇 爽やかに難題とけてゆきにけり
「難題」が解けたから気分が「爽やか」なのである。
即ち、本作の叙述は本末転倒である。
〔返〕 努力して難題解きて行けばこそ後に待ち居る爽やか気分 鳥羽省三
(芦屋市・長瀬千恵子)
〇 一年の力いただく今年米
「ありがたや!ありがたや!」という場面でありましょうか?
何と言っても、新米(今年米)は美味しいから!
〔返〕 死に際に筒に入れたる米振りて黄泉に往かせし南部の古潭 鳥羽省三
(富津市・三枝かずを)
〇 風渡る梢にしかと秋の声
「風」を受けた「梢」が、微妙に揺れ動いているのでありましょうか?
〔返〕 風渡る梢に凧が引っ掛かり「父さん取って」と子がせがんでる 鳥羽省三
(松原市・加藤あや)
〇 大寺の萩に触れざる道はなく
本作の作者・加藤あやさんがお住いの関西地方の「萩の寺」と言えば、豊中市の東光院、河内長野市の観心寺、堺市の南宗寺、京都市の迎稱寺、同じく真如堂、同じく常林寺、同じく高台寺、同じく大覚寺、同じく二尊院、同じく鹿王院、同じく天徳院、同じく勧修寺、同じく金戒光明寺、同じく光悦寺、同じく妙心寺、同じく龍安寺、同じく鹿苑寺、福知山市の養泉寺、京丹後市の如意寺、京都府下加茂町の浄瑠璃寺、奈良市の白毫寺、同じく新薬師寺、同じく元興寺の極楽坊、同じく唐招提寺、同じく秋篠寺、同じく薬師寺、同じく般若寺、斑鳩町の法隆寺、王寺町の達磨寺、神戸市の明光寺、養父市の高照寺、加古川市の鶴林寺、長浜市の神照寺、長浜市の孤篷庵、米原市の徳源院、同じく悉地院、大津市の石山寺、橋本市の子安地蔵寺と、枚挙に暇が無いほどに在るのですが、ずばり言うと、作中の「萩に触れざる道」は無き「大寺」とは「白毫寺」でありましょう。
〔返〕 白毫寺 阿弥陀如来がご本尊 高円山の山麓に在り 鳥羽省三
(西海市・前田一草)
〇 無花果に目の無い母でありにけり
「無花果に目の無い」程度の「母」なら宜しいのですが、親友のK君の「母」は「嫁苛めに目の無い母」であったので、K君は「嫁を取るか母を取るか」といった瀬戸際に追い込まれて、会社での仕事にも手が付かなかったそうですが、そんな生活を3箇月も続けている中に、母がぽっくりお亡くなりになられたとか。
「めでたし、めでたし」と言いましょうか? 何と言いましょうか?
〔返〕 無花果に目無し耳無し口有りてぱっくり空けて身をば曝しつ 鳥羽省三
(大阪市・小玉ヒロ子)
〇 何事もなくて秋晴続きをり
「何事もなくて」なら宜しいのですが、私にとっての今年の秋は、「妻女のS子が便秘を再発させて不機嫌になる、自分自身の足腰が痛くなって整形外科に通う、電氣洗濯機と電氣冷蔵庫が引き続いて壊れる」と、「余りにも多くの事が有り過ぎて困った秋」でありました。
〔返〕 この秋は掛かり多くて間に合はぬダイヤモンドを質入れせむか 鳥羽省三
(大牟田市・祖父江和子)
〇 思ひきり古き物捨て冬支度
つい先日、私も「冬支度」方々古い衣類を捨てましたが、着るはずのないコート、ジャンパー、背広の上着だけのヤツ、更にはシミの付いたTシャツ、サイズの合わなくなったズボンと、出て来るわ、出て来るわで、結局、40ℓ入りゴミ袋を2つも使って捨てました。
〔返〕 思い切り棄てたいけれど捨てられぬ祖国日本とこの吸殻と 鳥羽省三
(横浜市・松永朔風)
〇 屋根にある猫だけの道秋高し
下五に「秋高し」といった季語を伴った語句を置いた作品は多い。
作者としては、謂うところの「二句一章」に則って作ったつもりでありましょうが、そうした作品の中には、「上五・中七から成る一句と下五の一句との間に、何一つ照応関係が認められなく、かと言って、両者が互いに反発し合っている訳でも無い」といった作品。
敢えて言うならば、「下五に季語を置かなければ俳句にならないから」といった理由だけで詠まれた作品が多く見られるのである。
しかし、本句の場合は、「『屋根にある猫だけの道』と、作中主体の視線が先ず屋根の上に向けられ、軈てその視線が更に上に向けられた結果、『秋高し』という形で季節の微妙な変化を発見することが出来た」という仕掛けになって居て、二句一章が形式的にも実質的にも完結をみているのである。
つまり、本句の作者は、わずか十七音の中に作中主体の視線の動きを表し、更には、心の動きをも表し得ているのである。
〔返〕 屋根に在る盗賊の道 蛇の道 鬼平の眼がキラリと光る 鳥羽省三
(西宮市・黒田國義)
〇 八千草の秋のみじかし蝦夷大地
「蝦夷」の「大地」には、農産物の収獲が終わったのも束の間、野山の「八千草」たちに草紅葉する暇も与えず、アッという間に冬将軍が襲来するのである。
〔返〕 八千草のかほる未だにご息災皇潤売りて生き恥曝す 鳥羽省三
恥ずかし乍ら、隠れファンであったが故に、あの「皇潤」というサプリの売り子となって生き恥を曝している姿に「もののあはれ」を感じるのである。
(三鷹市・村井田貞子)
〇 心地よき疲れ車窓に望の月
三鷹駅(15:45発・JR中央線快速東京行き)
↓
新宿駅(16:04着・JR湘南新宿ライン、快速宇都宮行きに乗り換え・16:09発)
↓
大宮駅(16:40着・あさま533号、長野行きに乗り換え・16:50発)
↓
軽井沢駅(17:27着・しなの鉄道、小諸行きに乗り換え・17:33発)
↓
小諸駅(17:57着・JR小海線、小淵沢行きに乗り換え・18:02発)
↓
野辺山駅(19:53着)
と言う具合に事が順調に運べば、小海線・野辺山駅に到着する直前に「車窓」から「望の月」を眺めることも可能でありましょうか?
但し、国立天文台の発表に拠ると、「本年十月の満月は十月十九日(土)であり、南中時刻は午後八時三十八分」とのこと。
ところで、「疲れ」が「心地よき疲れ」であるか否かは、当日の健康と日頃からの心掛け次第でありましょうか?
〔返〕 車窓から田ごと田ごとの望の月 小海線での程良き疲れ 鳥羽省三
(東京都・長谷川弥生)
〇 爽やかに難題とけてゆきにけり
「難題」が解けたから気分が「爽やか」なのである。
即ち、本作の叙述は本末転倒である。
〔返〕 努力して難題解きて行けばこそ後に待ち居る爽やか気分 鳥羽省三
(芦屋市・長瀬千恵子)
〇 一年の力いただく今年米
「ありがたや!ありがたや!」という場面でありましょうか?
何と言っても、新米(今年米)は美味しいから!
〔返〕 死に際に筒に入れたる米振りて黄泉に往かせし南部の古潭 鳥羽省三
(富津市・三枝かずを)
〇 風渡る梢にしかと秋の声
「風」を受けた「梢」が、微妙に揺れ動いているのでありましょうか?
〔返〕 風渡る梢に凧が引っ掛かり「父さん取って」と子がせがんでる 鳥羽省三
(松原市・加藤あや)
〇 大寺の萩に触れざる道はなく
本作の作者・加藤あやさんがお住いの関西地方の「萩の寺」と言えば、豊中市の東光院、河内長野市の観心寺、堺市の南宗寺、京都市の迎稱寺、同じく真如堂、同じく常林寺、同じく高台寺、同じく大覚寺、同じく二尊院、同じく鹿王院、同じく天徳院、同じく勧修寺、同じく金戒光明寺、同じく光悦寺、同じく妙心寺、同じく龍安寺、同じく鹿苑寺、福知山市の養泉寺、京丹後市の如意寺、京都府下加茂町の浄瑠璃寺、奈良市の白毫寺、同じく新薬師寺、同じく元興寺の極楽坊、同じく唐招提寺、同じく秋篠寺、同じく薬師寺、同じく般若寺、斑鳩町の法隆寺、王寺町の達磨寺、神戸市の明光寺、養父市の高照寺、加古川市の鶴林寺、長浜市の神照寺、長浜市の孤篷庵、米原市の徳源院、同じく悉地院、大津市の石山寺、橋本市の子安地蔵寺と、枚挙に暇が無いほどに在るのですが、ずばり言うと、作中の「萩に触れざる道」は無き「大寺」とは「白毫寺」でありましょう。
〔返〕 白毫寺 阿弥陀如来がご本尊 高円山の山麓に在り 鳥羽省三
(西海市・前田一草)
〇 無花果に目の無い母でありにけり
「無花果に目の無い」程度の「母」なら宜しいのですが、親友のK君の「母」は「嫁苛めに目の無い母」であったので、K君は「嫁を取るか母を取るか」といった瀬戸際に追い込まれて、会社での仕事にも手が付かなかったそうですが、そんな生活を3箇月も続けている中に、母がぽっくりお亡くなりになられたとか。
「めでたし、めでたし」と言いましょうか? 何と言いましょうか?
〔返〕 無花果に目無し耳無し口有りてぱっくり空けて身をば曝しつ 鳥羽省三
(大阪市・小玉ヒロ子)
〇 何事もなくて秋晴続きをり
「何事もなくて」なら宜しいのですが、私にとっての今年の秋は、「妻女のS子が便秘を再発させて不機嫌になる、自分自身の足腰が痛くなって整形外科に通う、電氣洗濯機と電氣冷蔵庫が引き続いて壊れる」と、「余りにも多くの事が有り過ぎて困った秋」でありました。
〔返〕 この秋は掛かり多くて間に合はぬダイヤモンドを質入れせむか 鳥羽省三
(大牟田市・祖父江和子)
〇 思ひきり古き物捨て冬支度
つい先日、私も「冬支度」方々古い衣類を捨てましたが、着るはずのないコート、ジャンパー、背広の上着だけのヤツ、更にはシミの付いたTシャツ、サイズの合わなくなったズボンと、出て来るわ、出て来るわで、結局、40ℓ入りゴミ袋を2つも使って捨てました。
〔返〕 思い切り棄てたいけれど捨てられぬ祖国日本とこの吸殻と 鳥羽省三