「豊饒の海」第二部で、前作「春の雪」のその後を描いている。主人公は異なっているが、一応設定上は同一ということになろうか。というのも今回の主人公、飯沼の息子、飯沼勲は「春の雪」の主人公、松枝清顕の生まれ変わりという設定になっているからだ。
この飯沼勲の行動原理は純粋である。
信念のために死をも厭わず、むしろ積極的に死を受け入れるようにまっすぐ突き進む。それが勲の美学「純粋」の本質だ。
僕は三島の人生を表面的にしか知らないけれど、恐らくこの中には三島が本気で信じた信念が隠されているのだろう。一応、小説内には勲の考えに反対する意見をいくつか載せているけれど、三島はどこかでその信念を信じ抜きたいと思っているように感じられる。
確かに、そんな勲の純粋さは一つの美学としては魅力的かもしれない。だけど同時にその純粋さはあまりに激烈すぎる、とも僕には感じられた。
たとえば、勲は、殺すほどでもないと思いながら、暗殺を決行しようと動き出す。僕はそんな行動を取る、勲という男にどれほどの思想性があったのだろうか、という気もしないではない。僕から見れば、彼は単純に何でもよかったのではないか、という気がしてならなかった。
彼が本当に求めていたのは、純粋な行為であり、それを言い訳にした死への陶酔ではないだろうか。思想は無く、いかに美しく死ぬかという、死への願望があるだけではなかっただろうか。
もちろんそれならそれでもかまわない。それはそれでいかにも若い勲らしい生き様だと思う。
しかしそれゆえに僕はどうしてもこの作品には共感できそうにはなかった。ここにあるのは結局テロリストの論理だからだ。まあ若いテロリストを扱った作品だから、当然なのだけど。
僕はこの作品をいろんな意味で(ストーリー、文章、勲という男の持つ純粋さ等々)すばらしいと思う。面白いと思ったことは間違いない。
しかしこの作品に共感するか、といったらノーだ。そして、この作品に関してはそれでいいのだと思う。
評価:★★★★★(満点は★★★★★)
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