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「やっぱりあいづ又三郎だぞ」谷川の岸の小学校に風のように現われ去っていった転校生に対する、子供たちの親しみと恐れのいりまじった気持を生き生きと描く表題作や、「やまなし」「二十六夜」「祭の晩」「グスコーブドリの伝記」など16編を収録。多くの人々を魅了しつづける賢治童話の世界から、自然の息づきの中で生きる小動物や子供たちの微妙な心の動きを活写する作品を中心に紹介。
出版社:新潮社(新潮文庫)
宮沢賢治でもっとも好きな作品は何か、と聞かれたら、ほかの人はどの作品を挙げるのだろう。
僕の趣味で言うならば、『やまなし』こそが、宮沢賢治のベストと思っている。
とは言え、『やまなし』自体は、何て言うこともない、ただの小品でしかない。
そもそも筋自体、大したことはないのだ。
幼い蟹の兄弟の目の前で魚が鳥に食べられる話と、やまなしが川に落ちて、お酒ができるかもしれないぞ、という、ただそれだけにすぎない。
そんな小さな話なのに、それが僕の心に届くのは、蟹の子供たちのセリフ回しがおもしろいこと。
そして風景描写が冴え渡っていることにあると思う。
冒頭の「クラムボンはわらったよ」ってセリフからして、すてきなのだ。
クラムボンって何だよってつっこみたくなるし、会話の意味はわからない部分が多いけれど、変にユニークで、テンポも良くて、兄弟の仲が良さそうなのも伝わってきて、読んでいて微笑ましくなってしまう。
また風景描写の美しさもこの作品の特質だろう。
魚がつうと通り過ぎる際のゆったりとした描写とか、水の中で光がきらきらとしている様、かわせみが登場するときの緊迫感とか、夜の川の情景のかすかな光とか、本当にきれいで、強烈で、すばらしい。
宮沢賢治は童話作家でもあり、詩人でもある。
蟹たちの会話には童話作家としての側面を、風景描写には詩人としての側面を、見る思いがする。
『やまなし』は、宮沢賢治の両方の個性が、存分に発揮された一級の作品と、強く思う次第だ。
表題作の『風の又三郎』にも触れよう。
十五年以上前に初めて読んだときは、はっきり言って大した作品とは思わなかった。
世評は高いけれど、そこまで言われるほどのものとは思えない。それは今回読んでも変わらなかった。
ただ少年たちと又三郎との交流はすてきであることは確かだし、当時の子どもたちの素朴な遊びや生活が反映されている点は、読んでいてちょっと楽しく感じられた。
他人はともかく、僕個人はまあまあの作品という(上から目線っぽい言い草だが)印象である。
そのほかにも、本作品集にはすてきな作品が多い。
いくぶん教訓めいているが、ラストのお父さんの言葉は深いよな、と感じさせられる、『貝の火』。
ブラックユーモアがおもしろく、性格の悪い三者の個性が記憶に残る、『蜘蛛となめくじと狸』。
因果応報めいているが、持ち前の性格の悪さから自滅していく姿が読ませる、『ツェねずみ』。
皮肉の利いたラストのセリフに、虚勢を張って自滅することの愚かしさを見る、『クンねずみ』。
いくぶん重いが、される豚の運命をリアルに描いてて考えさせられる、『フランドン農学校の豚』。
森を愛していた男の思いが、後世へとつながっていく姿が感動的な、『虔十公園林』。
ノスタルジックな祭りの描写と、山男とのふしぎな交流の様が印象的な、『祭りの晩』。
物語として単純におもしろいし、何より主人公のラストの行動に美しい心情と、近しい人への愛情を見る思いがして、切なくも考えさせられる、『グスコーブドリの伝記』、など。
宮沢賢治の優しさと、優しさとはまた異なる皮肉さも見つけることができ、楽しく読み進めることができる。
この作品も、また印象的な一品であった。
評価:★★★★(満点は★★★★★)
そのほかの宮沢賢治作品感想
『新編 銀河鉄道の夜』
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