心理学の本(仮題)

【職場に】心理学書編集研究会(略称:心編研)による臨床心理学・精神医学関連書籍のブックレヴュー【内緒♪】

たとえこの世界がみな,とドラえもんは言った:後編~現科conf. PART5

2007-04-09 11:11:33 | 効果・実証・エビデンス関連
これの続きです。

たとえこの世界がみな、とドラえもんは言った:前編~現科conf. PART5

なんか説明しきれてないなと思いつつ,これまでの話を強引にまとめますと,現代科学の特徴として,

1)確率論
2)観測問題

ってところは,心理学的なトピックとつながってく感じがしますかね,なんとなく。心理学は統計科学であるわけですしね。ちなみに,行動主義=現象,認知主義=モデル,ということを考えると,行動→認知の流れは,意識ウンヌンをさておいても,必然であったのだなと思います。そういう科学の流れと心理学の歴史を概括できる良書があるのですが……紹介してよいでしょうか。いいですか,そうですか。



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古いといえば古いけど……,きちんと概括できる価値は普遍で,オススメです。

ちなみに心理学は科学になろうなろう明日なろうと頑張ってきたわけですが,心理学の何が科学的なのかというと,ひとつには,神様がサイコロを振り始めて以降の科学,という文脈があるわけなのですね。ただし,神様がサイコロを振り始めると,ほとんどなんでも科学の対象として扱いうることになり,晴れて社会のセントラルドグマとしての科学が成立するわけですね。

一方で,すべての実験に対し必要な条件を必ずしも揃い得ないとか,たとえ条件を全部揃い得ても結局サイコロを振るしかない,っていうのも,厳然と残るわけでして。

それでもって,一応,当ブログは,心理学とりわけ臨床心理学なんかをメインにしてるので,ここらで,これを臨床の話に強引にもっていきましょうか(なかば言葉遊びですが)。

面接室にセラピストとクライエントが同席する時,一定時間経過後,クライエントの相談事は解消されているか否か,っていう話は,もうこれ結果論なわけですが,ドラえもんと押入れとドラ焼きに比べて,考慮すべき条件のなんと多いことか! 

科学実験であれば,厳密に条件を統制――統制しても確率論ですし,事実上統制し得ない――したとしても,問題が解消されているか否かは,面接室から出てこないとわからない,出てきてもわからない,ってことでして,よくよく考えるとものすごく無茶なことですよね。無茶しやがって。

しかし,ここで日常感覚を持ち出せば,確率論を持ち出さなくとも,ドラえもんはドラ焼きが好き,との洞察を得ていれば,問題はない,ドラ焼きは確実になくなりますよね。それは科学でもなんでもないけどね。ドラえもんの過去のドラ焼き消費量を調べ上げる必要もなく,調べ上げたのと同じ結果が得られるわけですね,良いか悪いかは別として(詭弁っぽいなあ)。もちろん過去のデータがあるに超したことはないですが。

あと,これはドラえもんの話に換言できなくてアレですが,心理療法の効果,ということを考える時,それはひとつの重要な条件ではあると思うのですが,統制しようがない条件,統制しようと思わなかった条件,いろいろあってマジ混沌,そのなかで何かをハッキリさせようとすればハッキリさせたいことだけをハッキリさせることができるわけでして,ハッキリさせようと思わないことは依然ハッキリするはずもなく,これ,捨象の問題というのでしょうかね。

わけのわからんものをとりあえず留保するのは科学者としては妥当な態度ですが,臨床家としてどうかはわからない。そして実証にのらないものが無意味かどうかもわからない。過度に神秘化するのも考えものだけど,そもそもの複雑性をそれと認識することは自体は重要でありますね。

もうひとつ,確率論的な有効性つうのは,ひとつの有力な価値基準ではあるけれど,それがすべてではないし,クライエントの人生は確率論ではないですし,それで納得すべきかどうかはさておいて,少なくとも一般人的には納得するはずはないですよね(100%でない限り)。

結局,ある条件を過大に評価すれば,結果がその条件に沿った(あるいは沿わない)形で得られることになるのは自明であります。なぜなら,結果は結果を見たときに確定するからでありますね。その結果をひとつの前提に立って評価すれば,その前提に沿った評価は得られます。しかしその前提がそもそもどうなのか,というのは考えられて然るべきなのであり,当然考えられているのですね。



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まあ,以前から何度も紹介しておりますけどね。いわゆるナラティブっていうコンセプトがどういうものかを理解するための,最良のテキストのひとつではないでしょうか。

ちなみに,観測問題,つうのを臨床的に考えてみた場合,間主観性つうのはハマる気もしますね,素人的に。セラピストは条件であると同時に観測者でもあるわけでして,当然,そのコンテクストに影響を与えざるをえないわけですね。


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ま,この中でも「心の量子論」なんつう話が出てるわけでして,psy-pubの話なんて,なんら新奇性はないわけですけどね。

と,こうやって眺めると,いわゆる臨床における科学性つうのは,いろいろ考えられているようです。立ち位置の違いこそあれ,ね。

というわけで,ねじくれまくった挙句,こんな方向に着地するとは僕も思っていなかったのですが,どうも科学というのは,量子論以降,無限の可能性を得たともいえるし,「誰もいない山奥で木が倒れた」的な哲学的な認識論の話になっていってるともいえるような気がします。

一方で,サイコロを振っている神様とはすなわち俺でーす! なんてのたまうケシカラン輩も昔からいるのでしょうね。世界五分前仮説じゃないけれど,水が言語を解するかどうかも知りませんけど,科学的には,限りなく可能性は低いがゼロではない,としか厳密には言いえないバカバカしさもあるわけでね。んなわけ,ネーんですがね。ここらへんはなんともヤヤコシイ。直接観察から離れざるを得なくなった今こそ,難しい問題でありますね。

少なくとも,科学でわかること/わからないこと,っていう議論が,結局はその科学者自身の認識論とリンクしてるわけで,そうなると,結局,神様はいっぱいいて,サイコロもいっぱいあって,それぞれの神様が一斉に振ったり時間差で振ったりするとき,そのサイコロが全部同じ目になればハッピーですけど,それすらも確率の話なんだなと,わかったようなわからないような話(詭弁,乙)。

ま,要は,事実は小説よりも奇なり,でして,理論と実践,そんなにガチっとはこないんですよね。ガチっとこないどころか,噛み合わせは実はかなりユルい。そもそもそんな噛み合わせは,日常感覚的にも論理的にも科学的にも,あらゆる意味で,ガチっとくるべくもない。だから結局,実践的知性,これ重要なのね,どうしようもなく。

ただでさえ,複雑な臨床的状況において,今後いくら科学が進展しようとも,適確な予測ができるはずもなく,仮に未来においてそんな状況がおとずれるとしても,わしらその頃には確実に死んでるんですよね。だから,現時点において,実践的知性,これマストなんですね。少なくともまともに臨床をやろうとするならば,幻想を捨てて現実を見るべし。



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そこでこれですよ。こうならざるを得ないのですよ。以前紹介した,ご存じ,EBMきっての論客,名郷先生の新作です。この対談も面白かったよん。

医師の頭はイシアタマ?---週刊医学界新聞第2719号 2007年2月12日

ちょこっと引用してみますかね。

某大学医学部でEBMの講義をした時,私としてはEBMのステップ4*1“患者さんへの適応”について,「判断に困ることがたくさんあるよね。ここで考えるのが,臨床医の仕事だよね」ということを強調して話したのですが,後で出てきた質問の多くは「95%の信頼区間の説明は,ちょっとおかしくないですか?」とか統計学のことだけなんですよ。これはヤバイなぁと思いました。

これ,当然の帰結なのですが,これに新鮮さを感じるとすれば,科学に対して,非常に保守的な考えをもっている,あるいは統計的推論を観測事実と勘違いしてる,のいずれかでして,そういう人は,科学の信奉者とは呼べるかもしれませんが,科学者とは呼べませんな。AruAru大好き人間とそう大差はないのさ。

……

しかし,神がもしいるとしたら,その神は科学を信仰するのか,魔法を信仰するのか,どっちなんでしょうか……,と松本零士的ブン投げ,あるいは神様はサイコロを振るからサイコロジーと言います,なんつう愚にもつかない駄洒落を吐きつつ,今日はこれにてバイナラ。


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