聖書に学ぶ神のみことば

teacherが感じ、思ったことなどをいろいろと綴ります。聖書の一節をちょっと添えて。

ラジオ体操からみた世相

2006-07-31 22:50:44 | みことば
  お父さんは来られないのかな??

  ああ主の瞳 眼差しよ 三度わが主を否みたる 弱きペテロを 顧みて 赦すは誰ぞ 主ならずや

 これは、新聖歌221番の歌詞である。(讃美歌243番でもあります)ルカ福音書22章61節と62節からとられています。
 大祭司に捕らえられてしまったイエス・キリストを前に、「知りません」と否むペテロ。どうもこれは「背信」とは解説されず、ペテロに超自然的な力が働いていたからとされる解説もありますが、それはそれとして、クリスチャンもふりかえってみたときに、身をおくべき場所ではないところに身をおいていることがないでしょうか?主のまなざしを意識して毎日をすごしたいものです。

  世のお父さん族はラジオ体操にも来られないかな??

  ラジオ体操が始まるのは朝6時半。人それぞれの生活があるからすべてを平準化して言うことは難しいが、やはり世のお父さん族が一人も会場である公園にいないというのはおかしい。ジェンダーフリーの時代となって、お母さんが公園に来て、お父さんは朝食の準備しているのでしょうか。そんな家庭は実際ほとんどないでしょう。「女性の時代」という世相が、そこにみえてきます。はっきり言えば、お父さん族は、元気がないのですね。朝6時半にはもう出勤していなければならない人ももちろんいますが、そうではない人もいっぱいいるはず。世のお父さん族は、ちょっとだらしないのでは?と、teacherは勝手に思うのでした。

 ちなみに、先週土曜日も今朝も、子ども22名、大人16名(teacher含む)参加でした。大人の内訳は、ご老人10人、付き添いのお母さん5人、そしてteacherである。お父さんとおぼしき人はゼロ。この地域の特徴なのかな~?と思ったりもするが、どうにも悲しい風景。
 ああ、今朝も風が冷たかった~。それにしても、体操後のハンコ押しが子ども22名だと、流れ作業1分半くらいで終わる。6時42分には、公園はガランとなってしまうのだ。これも時代の変化を写し出すひとコマだといえるのではないだろうか。

 ★みことばホームページ★ こちらです!! 8月のみことばを掲載しました!!

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  NHKラジオ体操のホームページ 8月1日は滝川市からの中継だそうです。8月2日は浦河町から。

 昨夜のPMF演奏会 観衆7000人か・・すごいな~でも札幌ドームのSMAPには勝てないってか。あちらは4万3千人。

 明日から8月です。

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4 コメント

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回復への第一歩。(長くてすいません。) (Kenji)
2006-08-01 22:35:17
1『自分が霊的に貧しいということを知っている人は幸いです』私は神ではないと言う事を認めます。悪い事をしてしまう自分をコントロールする力が無い事、そして自分の人生が手に負えない状態にあることを認めます。2『悲しんでいる人は幸いです。その人は慰められるからです。』神が生きておられること、神にとって私は大切な存在であること、そして神には私を回復させる力があることを心から信じます。3『柔和な人は幸いです。』私の人生と意志の全てを、キリストの配慮と導きに委ねる事を意識的に選択します。4『心のきよい人は幸いです。』正直に自分の心を点検し、自分の犯した過ちを自分と神と信頼出来る人に告白します。5『神の御心に生きる事を何よりも願う人は幸いです。』神が私の人生において変えたいと願っておられるすべての事に喜んで従い、性格上の歪みを直してくださるように、へりくだって神に求めます。6『あわれみ深い人は幸いです。平和をつくる人は幸いです。』すべての人間関係を振り返り、自分を傷つけた人達を赦し、また自分が傷つけてしまった人達に償いをします。ただし、その人や他の人達をさらに傷つける事のない場合に限ります。7日々、神と交わる時間を確保して自分自身を吟味し、聖書を読み、祈ります。それは神ご自身を知り、私の人生に対する神の御心を知って、その御心に生きる力を得るためです。8『神の御心を行っているために迫害されている人は幸いです』自分の生き方とことばを通してこの良い知らせを伝えるために、神が用いてくださるよう、自分自身を神に明け渡します。「人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る。」…僕の愛する友のために…そして僕自身のために…
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この箇所はよく読みますよ (teacher)
2006-08-01 22:43:48
Kenjiさん

  こちらは強風で夏にしては「寒い」日でした。いろいろ好き勝手書いている僕ですが、聖書のこの箇所は大切にしている箇所です。といいながら、そこに書かれているほんの少しもできていない自分に気付くときもあります。
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こちらは…。and愛する友を想って…。 (Kenji)
2006-08-02 22:04:31
『寒い?』ほぉ~。こちらは『暑い!』です。33℃でした!……イエス様の山上の説教です。御心から逸れた歩みはなんと辛くて、怖くて、不安で、まるで生きている実感がないものでしょう。僕はそれを経験して今に至りました。困難の中で平安?あり得ん!いやいや、思い切って主に自分を明け渡し、従う時なんともいえない穏やかな気持ちになれたのを覚えています。逃げたらこの先ずっと何かにぶち当たると逃げ続けます。「このままがいい」と思っても『御心』でないなら、苦しいだけ。最初の一歩が『怖い』のは当たり前。でもイエス様の声が聞こえたなら信じて一歩を出してほしい。『神様を第一とする人』とはイエス様が山上で語られたことを意識的に行おうとする人ではないかな。神様が必ず守ってくれると信じて……。愛する友のために……祈らずにはいられません。
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一気に秋かな・・・ (teacher)
2006-08-02 23:41:45
 若い青年たち、小さな子どもたちと信仰の年齢層はバラバラですが、年月の経過、年輪ともいうべきものが堅く熱い信仰へとつながることも多いのではないでしょうか。僕は、若い青年たちがいろいろ悩みながら、あれこれ考えながら教会に来ていることはとても健全だなって思うのですよ。それが「団楽」の場とならないように正しく伝道することが難しいのだと、これはわが宣教団理事長K師のことばです。

 こちら、なんだか強風とともに一気に秋めいてまいりました。
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