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『孤独の太陽』 桑田佳祐

「魚」

夏が終わって
ひとりぼっちの静かな海に
昔おまえを探しに訪れた
ぐうぜん おまえはとびついたっけ
うたがいもせず・・・・・・・・・・・・
ぼくのエサに・・・・・・・・・・・・

そんなところがあわれだね
涙ぐみながら見つめたりして
ぼくまでなんだか悲しくなったみたい
おまえをやっぱりかえしてやったよ
わびしいぼくらの出逢いだった
今はどこでどうしてる?

「追記」
魚を捕えてみて、痛感したことがある。
何も知らない小さな魚をつり上げるなんて、
だまして殺すのと同じだって。
あんな小魚が人間の知恵に勝てっこないから。
つり上げた魚はまた海へ逃がしてやった。
でも、それはあの時の静かでさびしい海辺が
私をそうさせたのかもしれない。

作/高(普)二 桑田佳祐(1973頃)
鎌倉学園高校論文集「星月」より引用
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とある方のHPで見つけた、桑田佳祐高校時代の詩。
やっぱり、桑田さんって、天才だったのかな、って
この詩を読んで、そう思った。
天才、という言葉、桑田さんにあまり簡単に使いたくない
のだけど。

「ぼくまでなんだか悲しくなったみたい」 とか、

「今はどこでどうしてる?」 終わるところなど、ぐっとくる。

そして、この詩でわかるように、桑田さんにとっての
「海」「海岸」は、やっぱり、子供の頃からか生れた
時からかわからないが、彼にとっては、いつでも側にあり、
そして、いつでも寂しく、哀しく、切ない静かなものなのだ。

夏だ!サザンだ!TUBEだ!イエーイ!・・・と、
世の中の多くの人が、サザンの歌を、夏のにぎやかな歌
だと思っているのではないかと思うのだが、
実際に、桑田さんの詩の中の「海」「海岸」「夏」に、明るく
にぎやかな歌詞は、ほとんど、ない。というか、ない。

「砂まじりの茅ケ崎 人も波も消えて」
「一人で渚に立って寄せる波に吐息だけ」
「砂に書いた名前消して 濤はどこへ帰るのか」
「渚に埋めた涙には秘密も思い出が」
「遠い思い出の夏は 冷たい夜しか残さない」
「誰かが落とした麦わら帽子が 波にさらわれて夏が終わる」
「真っ赤な太陽が黄昏に沈む時 海が悲しげに揺れる」

書き出すときりがないのだ。
結構、人の哀しい繊細な気持を歌っている。
だけど暗くならないのは、メロディラインの美しさ、と、
桑田さんの繊細さ、暗い気持を暗く歌わない、という
一種のテレ、のような感覚のせいかもしれない。
自分の繊細な一面を、どことなく隠してしまう、ような
そんな感覚が、桑田さんの、きっと何気なく書いた高校生
の頃の詩に、すでに現れているのを知って、唸った。

唯一、桑田さんのそんな繊細な一面が、ドーンと前面に
出てきてドキリとなったアルバム この「孤独の太陽」は、
桑田さんのソロのアルバムだが、ちょうど彼が母親を
亡くした時の作品である。どの歌もどことなく重く、暗い。
「月」とアルバム最後の曲「JURNEY」などは、今でも
聴くのにちょっと力が入ってしまう。泣けてくる。

大好きなアルバムである。
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