飼っている犬(パグの親子)、映画、本、音楽、その日感じたこと、なんでもない、ただのひとりごとです。
ひとりごと日記
東京タワーのライトアップ

世界的に有名な照明デザイナー、石井幹子さんによって
デザインされたこのライトアップ。
ラグビーボール大のランプ176器により、照らされているそうだ。
デザインは青白い光の夏用と、暖かみのあるオレンジ色の冬用が
あるそうで、その衣替えの時には、高所作業専門の職人らが
約20名ほどで、ランプをリュックにつめて、鉄骨を登り、
手作業で付け替えられるそうだ。
ところで、気になる?電気代だけど、一日約25000円らしい。
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ドロボウさん

谷中はとても好きな町だ。いつもお墓参りに行くと、
お寺に行く道すがら、あちこち路地を見てまわる。
こんな看板を見つけた。
これを見たドロボウも、きっと先へは進まないだろうなあ。
こんな感覚も、またいいでしょ。
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イチョウの幼稚園

大きなイチョウの木のある幼稚園がある。
秋になると、その大きなイチョウの木の下には、
黄金に輝くきれいなイチョウの葉が、
まあるく、絨毯のように敷きつめられる。
その様子も美しいのだが、何よりその美しさを
引き立たせているのは、この幼稚園の校舎だ。
イチョウの木が真ん中にある校庭を囲むように
たたずむ校舎は、平屋の木造で、
木でできた校庭に面した廊下や、アメガラスの窓、
古くて大切に使われている椅子。
て何とも言えない、美しい校舎なのだ。
いつも散歩の時には、この幼稚園を眺める。
そしてその映画のセットのような風景にみとれてしまう。
秋にはとりわけ美しい。
こんな幼稚園で過ごした子供達は、この風景を大人になっても
きっと忘れないのだろうなあ。
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岡山へ

仕事なので、まるで観光している時間はないのだが、
せめても、と言うわけで帰りの新幹線で駅弁を食べた。
岡山の名物、と言っても、桃やきびだんごなので、
無難であり、大好物の地どり弁当なるものにした。
じゃこ天ときびだんごはおみやげに。
新幹線の窓から流れゆく景色を眺めつつ、
お弁当を頂きました。
味はまあまあ。
でも、やっぱり列車の中で食べる駅弁は
気分的においしいかな!
しかし、こうして見ると、日本の風景もなかなかいいね。
山に霧が降り、キレイに耕されている田畑の緑が美しい。
などと、ぼぅ~っと景色を見ていたら、いきなりトンネルに突入。
窓が真っ暗になり、自分のしまりのない顔が写し出され、びっくり!
富士山は見えるかなあ?
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谷中にお墓参りに

東京台東区。江戸の風情を残す寺町、「谷中」。
谷中には、70以上もの寺院があるという。
その1つに、父方の先祖代々のお墓がある。
年に1,2回のお墓参りに行くのだが、行けば、
その町を散策するのが、ひとつの楽しみになっている。
谷中は坂と猫の多い下町。そして、芸術の町でもある。
下町の情緒豊かな町並みが人気で、最近では、
カメラ片手に町を歩く若い人や外国人が増えている。
古い家を少し手直ししてアトリエにしているアーティスト
も居て、その中には外国人も居たりする。
日本で一番ニューヨークに近い町、などとも言われている
らしい。
谷中銀座ももちろんのこと、いたる所に、昔ながらの
古い店が立ち並ぶ。その合間合間を縫って、オシャレ
ないまどきの店が顔をのぞかせている。
三崎坂にある、江戸千代紙の店「いせ辰」などは、
しびれてしまうのだ!
いつも、犬を連れてお墓参りに行くので、あまり散策は
できないのだが、ぜひ、一度見てみたいのが、私の母の
お気に入りでもある「朝倉彫塑館」。明治の彫刻家、朝倉文夫
の旧居。今は、区立美術館となって公開されているのだ。
塑像ももちろん展示されているのだが、その建物も素晴らしい
のだそうだ。
「谷根千」と呼ばれる、谷中、根津、千駄木。
他にも、下町風俗美術館や、数々の寺院、アート、情緒たっぷり
の路地や、ひなたぼっこをしている猫たち。
近所のおじいちゃんやおばあちゃん。
一日かけて、のんびりと散歩を楽しみたい。
そんな町。
だから、いつもこの町にある、私の家のお墓参りに来ると、
のんびりとした、優しい気持ちになれる。
お墓参りの持つ独特の雰囲気と、この町のせいだ。
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愛に溢れたひととき

ペット霊園の、共同墓地に埋葬することにしている。
私が物心がついた時、いや、生れる前から、必ず、我が
家には、犬や猫が何匹も居た。
そして、一緒に育ち、何匹もの動物の死と向かい合うこ
とになった。
初めて「死」ということを知ったのも、我が家のペット
たちを通じてのことだ。
ペットとして、というよりも、家族同然に生きてきたも
のの死というのは、言葉にならぬほど、悲しい辛い、切
ないものなのだが、それでもともに生きる喜び、という
ものには替えられず、いつも何かしらの動物が、生活の
中に居ることになった。
そんな家族同然の動物たち。死んでしまったら、早く忘
れてあげたほうがいい、と言う。バカ、がつくほど飼い主
たちに対して忠実な彼らは、飼い主が忘れてくれないと、
いつまでも、この世に魂を残してしまう、というのだ。
そんなこと言われても忘れられるわけもなく、死んでしまう
と、しばらくは立ち直れない。共に生きた時間を思い出し、
涙が止まらない。
そんな彼らに生前の感謝の意を込めて、我が家(親戚ふくむ)
では、彼らが一人で寂しくないよう、歴代の我が家の動物
たちや、他の動物たちと、楽しく生きていけるよう、共同墓地
を選んだのだ。
そして、今日。
先月、19歳の命を閉じた、叔母の愛猫「平ちゃん」もその
共同墓地の仲間入りをした。その供養に、東京は府中にある
ペット霊園に行った。
いつも行くたびに思う。ペット霊園というのは、人間のそれと
また違う意味で、「愛」に溢れている。
共同墓地に手を合わせる人、個人でたてたペットのお墓に手を
合わせる人、みな、涙を流し、亡くなった家族のためにお祈り
をしている。お墓を見ても、どこもここも、共に生きてきた
ペットたちへの感謝の気持、愛する気持で溢れ返っている。
そのお墓へのお供物や、捧げる言葉、涙を流して手を合わせて
いる人たちの優しい姿、いつ見ても、泣けてくる風景なのだ。
それでも、そこへ来る人たちは、みな優しい。そして静かな
時が、そこには流れている。
ペット霊園に行くと、救われたような気持になる。
小さな小さな命だけれど、大きな大きな愛を、人間に残してくれ
たたくさんの動物たちに、今日もまた感謝をし、愛を贈る。
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