ポン助の迷走日記

30歳目前・無職から、まあ何とかなるでしょうという日々を綴ったブログ。実際、何とかなりかけている。

根拠のないパターン

2007年06月17日 | 日記
小学校低学年の頃、隣の席にいた女の子をよくいじめていました。
筆箱を隠したりして、その子が泣くと返すといった事を繰り返していました。

ある日先生に呼び出されて、

「ちょっかいを出すのは好きだからだろ?」

と言われ、はあ?バカじゃねーの?
と思ったのをよく覚えています。

泣くのが面白いからやっているだけで、
好きだからちょっかいを出すのとはまったく違う次元の話です。
むりやりこじつけるなら、すぐ泣くから好きだとは言えるかもしれません。

パターン化されたそれっぽい理屈というのは結構あるもので、
○○のこと好きなんだろー、と言われて好きじゃないよと反論すれば、
むきになるのが怪しいと言われたりします。

小説や漫画などでも、それまで順風満帆な人生を送っていた人が
急に何もかも失ってしまった時に、雨の中で笑い出したりするのが
パターン化された理屈だと思います。

自分がそのパターンに当てはまったことや、
あるいは当てはまった友人の話なども聞いた事がありません。
それでいて、この理屈が広まっているのはどういう訳なのでしょう。
何か説得力を持った元ネタがあるような気がします。

「おとっつぁん、おかゆができたわよ」
「ゴホゴホ・・・・・・、いつも迷惑をかけてすまないねえ・・・・・・」
「おとっつぁん、それは言わない約束でしょ」

みたいな。

根拠が希薄であるのに、
パターン化された理屈には妙に人を黙らせる力があります。
不思議なものです。

ちなみに、先生にそれとなく諭されても
隣の席の女の子にちょっかいを出すのをやめなかった私は、
ある日、帰りの会でつるし上げを食い、

「自分がいろいろ隠されてもいいんですか?」

と言われ、つい、

「教科書以外なら、別に隠しても構いません」

と言ってしまいました。

そして翌日学校に行くと、
上履き・紅白帽・給食袋などなどが見事になくなっていて、
教室中に、にやにやした顔が並んでいました。

見ないふりをして、朝の15分マラソン
(授業が始まるまえに500mくらい走ってはんこをもらう)をしてくると、
きれいに教科書だけ残して、ランドセル・筆箱が隠されていました。

これはやばい!と思った私は、それから先生が来るまで泣き続け、
事情を知った先生が隠したものを持ってくるように言い、
私もそれからは隣の席の子をいじめなくなって、
めでたしめでたしとなりました。

カッコ悪。

ここで狂ったように笑い出していたら、
伝説になれたかもしれないのに。

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