履歴書を送り、勉強をして、特に変わった事のない日。
たまには脳内だけの理屈っぽい話でも書いてみようと思います。
最近、アニマックスで「攻殻機動隊」というアニメにはまっています。
科学技術が発達し、身体のほとんどを機械に変えることができたり、
脳とネットを直接つなぐ事もできる世界が舞台となっています。
最後まで見たらアニメのカテゴリに記事を書こうと思っているので、
詳しいストーリーは省きますが、この作品のモチーフに
「身体のほとんどを機械にしてしまったら、それは人と言えるのか」
「ものを考えられる機械は人と何が違うのか」
というものがあります。
このアニメの中では脳とネットを直接つなぐ事ができると書きましたが、
それを利用して人の脳にウィルスを送り込み、
視覚情報や記憶を改ざんする事も可能になっています。
もし、人の記憶が意図的に改ざんできるものだとすれば、
その人自体はいったいどこにあるのでしょう?
ある特定の個人が、自分を自分だと認識できるのは
連続した記憶によるところがほとんどです。
仮に完全な脳のバックアップを作ることができるとすると、
バックアップの方は自分をバックアップと認識できないはずです。
それを認識させるためには自分がバックアップであるという
オリジナルには無い偽の記憶を入れなければいけません。
ただ、それができるのならば、オリジナルに偽の記憶を入れて
オリジナルに自分がバックアップであると思わせる事もできます。
こういったことが技術的に可能になったら、
自分が本当に自分であるのかということに不安を抱いてしまうでしょう。
そして、記憶の改ざんが可能であるならば、
データを入力された機械と人は、いったいどこが違うのかという話になってきます。
ソニーのAIBOは電池残量が少なくなると、
充電器のところに行って自分で充電すると聞きました。
この行為は、お腹が空いたから食事をする人間と何が違うのでしょう?
もし、人型の機械にコミュニケーションを取るプログラムと
学習プログラムが搭載されていたら、人と機械の境界線はどこなのでしょう?
攻殻機動隊では、タチコマという機械が出てきます。
こんな奴なのですが、AI搭載で喋る・動く・考えるという
3拍子揃ったキュートな奴なのです。(今、我が家で大人気)
タチコマは複数いるのですが、定期的に記憶の並列化を行っているので、
1人の記憶はみんなの記憶として記録されていきます。
その経験によって学習していくので、みんな同じように成長していくはずが、
次第に個体間で特性が出てきてしまいます。人で言えば個性です。
そして、タチコマ達は死についても考えるようになります。
機械には死の概念は分からない。
人と違ってゴースト(たぶん魂のこと)を持っていないからといいます。
そう言いながらもタチコマ達は、
自分達が廃棄処分になるかもしれないという恐れを抱き、
自発的に情報を集めて真実を知ろうとします。
ここまで来ると、見た目は機械でもタチコマが人にしか見えなくなってきます。
機械に近づいていく人間。
人間に近づいていく機械。
いったい境目はどこなのでしょう?
死という概念、死に対する恐怖。
それは自分を自分だと認識している自分が消滅してしまうことに対する
恐怖なのではないでしょうか。
最初に書いた脳のバックアップの話。
Aさんが脳のバックアップをとって、A’さんを作ったとします。
Aさんの脳が停止した時に入れ替えられるよう、
A’さんの脳は大切に保管しておきます。
ただし、タチコマのように常に記憶を並列化しているとします。
そして、Aさんの脳が機能を停止したのでA’さんの脳と取り替えました。
外から見たらAさんは元通りになっています。
A’さんからしても、Aさんの脳が機能を停止するまでの記録が入っているので
何の問題もありません。
ただ、Aさんの脳は死んでしまいました。
Aさんの脳と認識されていたものの働きはそこでおしまいです。
記憶は受け継がれても、個体自体の死は通常の死となんら変わりは無いのです。
いずれ、このA’さんの脳も機能を停止し、
記憶はA’’さんに引き継がれていく事でしょう。
自分を自分と認識できる自分が消滅してしまう事を
恐ろしいと考える事ができれば人であり、
コピーができるのだから同じだと考えられれば機械なのだと思います。
ですから人も機械になり得るし、機械も人になり得るのではないのでしょうか。
存在したいという欲求が人を人たらしめ、
もしかしたら機械をも人たらしめることになるのかもしれません。
ここまで書いて気付きましたが、記憶や知識の引継ぎが効率的にできるとは言え、
脳のバックアップというのは、人の営みと変わらないのではないでしょうか。
自分達のDNAを引き継がせた子供を生み、
いろいろな事を教え育てていき、そして自分は死んで、
次の世代がそのまた次の世代に命をつなげていく。
死は避けられなくても、そこに希望を持つのではないかと思います。
ううむ、世界は思っていたよりも懐が深いようです。
攻殻機動隊に刺激されて、はるか彼方の世界まで想像をめぐらせたと
思っていましたが、神の手というものはそれ以上に広かったと
実感させられてしまった思考実験でした。
以前の記事に書きましたが、脳の信号を読み取って義指を動かしたりする事は
現在の技術力で可能なようです。(ソースはNHKの番組)
ファンネルかナノマシンか電脳化かは分かりませんが、
世界が変わるような技術革新は意外と早く現実化するかもしれません。
神の視点から見たら何も変わっていないかもしれませんが、
人間の立場からすればもの凄い事だと思います。
見たいような見たくないような・・・。
しかし、ずいぶん長々と書いちゃったなあ。
これ、最後まで読んでくれる人いるんだろうか。
もし、ここまで読んで下さった方がいたらお礼を言います。
ありがとうございました。そして、お疲れ様でした。
さて、現実に戻るか。