重症筋無力症に負けてたまるか!

写真の無断転載禁止です カメラ抱えてスタコラサッサ
築地・浅草・京都・エゾリス 
興味を持ったものを写真とともに

筋無力症のお薬

2007-05-17 10:44:15 | 重症筋無力症

ポンスケが飲んでいる重症筋無力症の薬は、

『メスチノン』といいます。




重症筋無力症の薬で、ステロイドを使わない方は、

メスチノンのような抗コリンエステラーゼ剤を服用することが多いです。

抗コリン剤は、神経による筋肉のコントロールが正常にはたからない状態を、

副交感神経を興奮させて正常に近づける作用があります。

この薬は対処療法なので、根本的な治療の薬ではありません。

副作用がけっこう強くて、

自分の場合は、下痢と発汗が強く出ました。


そしてもう二つ。



右の袋の薬は、

『リボトリール』と胃薬の『マーズレン』です。

抗けいれん剤なのですが、

メスチノンで副交感神経を刺激して、それが強くなっていたせいか、

まぶたにピクツキがでてきたのでリボトリールが処方されました。


左の薬はリンラキサーという、

肩こりの薬です。

重症筋無力症の症状のせいでまぶたが下がりっぱなしで、

それを無理に開けようとしているから、

眼精疲労のような感じで首から肩、背中がひどくこるのです。

この左右の薬に関しては、副作用は特に感じないかな?

という程度です。


メスチノンはだいたい4時間程度効果があると言われていて、

自分は1日2錠服用しているので、

計8時間くらいはわりとまともに動けることになります。

ほんとはもう1錠増やしてほしいのですが、

抗コリン剤の副作用で『クリーゼ』という恐ろしいのがあって、

呼吸困難になってしまう可能性があるので、

まだ1日3錠にはなっていません。


3錠になれば、もうちょっと動けると思うんだけどなぁ

岩見沢の発展は石炭にあり~JR岩見沢駅再建①

2007-05-17 00:07:16 | JR岩見沢駅


来月、JR岩見沢駅の新駅舎が半分完成します。

今作ってるのはJRの施設で、

2009年には岩見沢市の施設ができあがり、

そこで全て完成となるわけです。



1878年、幌内の石炭を運び出すために小樽~幌内間の鉄道工事が始まり、

1882年に幌内まで開通しました。

その工事期間中、幾春別川の川辺に工事関係者の休憩所ができて、

「湯浴み」をしていたのが起源で、

『岩見沢』と名前ができたと言われてます。


その後、室蘭までの線路もできて、

幌内の石炭を小樽と室蘭の港に運ぶ中継点として、

岩見沢は交通の要所として栄えていきます。


しかし石炭の歴史は永遠ではなく、

1975年に国鉄最後のSLが岩見沢に到着しました。

それとともに、国内エネルギーの転換により、

国内産の石炭の需要はなくなっていきます。


ほどなく、万字線や幌内線といった炭鉱路線は廃止され、

岩見沢の街は徐々に廃れていったのです。

石炭の全盛期、駅の職員が500人近くいて、

駅前にはたくさんの飲み屋があり、昼間から開いていた店もありました。

そういう駅前の飲み屋も今では数えるほどしかありません。

連動するかのように、街中には人通りが少なくなっていきます。



2000年12月。

漏電による火事のせいで、岩見沢駅は全焼してしまいます。

しばらくプレハブの駅で再建を待つことになるのですが、

2005年にやっと駅舎のデザインコンペが全国公募で実施されることに

なったのです。