重症筋無力症に負けてたまるか!

写真の無断転載禁止です カメラ抱えてスタコラサッサ
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興味を持ったものを写真とともに

平成最後の日に撮ったヒヨドリの写真

2019-04-30 17:52:03 | 趣味嗜好

 

 

平成も残りあとわずかとなりました

今朝、エゾリスと野鳥の様子を伺う為に近所の公園を散歩したのですが

エゾリスさんは遠くでうろちょろしていて近くには来てもらえず

帰り際にヒヨドリが近くにいたので写真を1枚撮らせていただきました

 

令和の時代も穏やかでありますように

 

 


スイセンが咲きました

2019-04-22 20:42:01 | 岩見沢

 

 

 

 

北海道岩見沢市ではすっかり雪が溶け

4月頭に咲いた福寿草が先週終わり、次にスイセンが咲きました

花壇のスイセンは少しかないのですが

毎年咲いてくれることがありがたいです

 

 

スイセンが咲き、桜はもうすぐでしょうか

朝晩はまだ冷えこみますが

昼間の北海道はそこそこ暖かいです

 


今熊野観音寺と新熊野神社の御朱印を頂きました(京都御朱印巡り)

2019-04-07 00:47:07 | 京都

 

 

京都駅から歩いて泉涌寺・東福寺方面にある今熊野観音寺と新熊野神社

後白河上皇の熊野詣でに関わる両社寺の御朱印を頂きました

 

右ページが今熊野観音寺の御朱印

西国三十三所の十五番

大悲殿(観音様がある本堂)

観音寺

 

左ページが新熊野神社

御朱印上部に八咫烏のスタンプが押されています

 

 

まず最初に参拝したのは今熊野観音寺

以前訪れた泉涌寺のすぐそばにあります

 

泉涌寺の御朱印を頂きました(京都・伏見稲荷〜泉涌寺) - 重症筋無力症に負けてたまるか!

京都の御寺泉涌寺へ参拝し、御朱印を頂いてきました(2018年3月某日)入り口の大門から仏殿を見下ろすような下り道多くの神社仏閣が拝殿、または...

泉涌寺の御朱印を頂きました(京都・伏見稲荷〜泉涌寺) - 重症筋無力症に負けてたまるか!

 

以前いただいた泉涌寺の御朱印は上記ブログをご覧ください

 

今熊野観音寺の御朱印を頂ける場所は本堂の階段を上がって左手

分かりやすく「御朱印」と朱色の紙が貼ってありました

 

 

手前の道路右手へ行くと泉涌寺

ここを下っていくと今熊野観音寺です

 

今熊野観音寺の鳥居橋

お寺なのに鳥居?と思うのですが

この地に熊野権現社が鎮まっていたからとのこと

 

熊野権現とは熊野三山に祀られる神

熊野三山とは世界遺産になっている紀伊山地の霊場で

神様なのに観音寺とはこれいかになのですが

神仏習合が関わっています

明治元年に神仏分離令が出されるまでは神も仏を区別することなく拝み

その先駆けとなったのが熊野信仰と言われています

 

熊野信仰に熱心だったのが後白河上皇(即位1155年)

熊野詣でをしたいけど熊野は遠いということで

今熊野と言われていた地に熊野権現を迎入れ

当時その地にあった東山観音寺を今熊野観音寺と改めたとのこと

 

 

左手の高台のような場所にあるのは茶所

ここで休憩しました

 

 

 

今熊野観音寺から新熊野神社までは歩いて13分

 

 

新熊野神社の本殿です

先ほどは「今熊野」でしたが、こちらは「新熊野」

どちらも「いまくまの」と読みます

紀州の古い熊野に対して新しい熊野、京の今の熊野ということらしいです

 

こちらの新熊野神社も後白河上皇によって創建されています

1158年の天皇退位後、院政を敷くのですが

住まわれたのが三十三間堂の東側にある法住寺で

その鎮守社として創建されたのが新熊野神社

鎮守寺として創建されたのが三十三間堂と言われています

 

法皇時代も含めて生涯で34回も熊野に参拝したとのことですが

熊野遠いから京都に熊野権現呼んじゃえと今熊野観音寺と新熊野神社を創った

神仏習合の時代だから熊野のお寺も神社も作ったよ!ということでしょうか

 

 

新熊野神社といえば本殿屋根の上にある三本足が目印の八咫烏(ヤタガラス)

八咫烏は熊野の神社の御神鳥

 

 

新熊野神社では社務所にて八咫烏の置物が授与されています

口に咥えた大幣(おおぬさ)が白いのは神様の象徴で

赤い方は仏様の象徴とのこと

今回は白い大幣の八咫烏を頂きました

こちらの置物は身代わりになるとのことで

この八咫烏が壊れた時は

自身に降りかかった難を身代わりになって壊れたと神職の方から聞きました

 

 

東大路通りに面している新熊野神社

右手側に進むと智積院・三十三間堂方面となっています