(銀河のきら星に向かって叫ぶ…🌌🍼🌈🌟)私は(あの仏のデイヴ・グロールをも怒らせた。。元カート・コバーン夫人コートニー・ラブより…)ブロンディのボーカルデボラ・ハリー姐さんの方が百万倍好きっす・・・(I WANNA BE…っす〜〜)夫でブロンディのギタリスト🎸、クリス・ステインが免疫性疾患になった時、全てのパワーを注ぎこんで、看病、病気全快に努めた姐さん👩🏼✨☜10代の頃、師匠のYさんに教えて貰ったエピソード💬 吾、男女問わずの人格者(☜心根の清い、温情のある人という意味で使ってる…)フェチ。。。 最近姐さん両性愛者💏👩❤️💋👩であることをカミングアウト💋💬したとか… ☜ 此方の方のブログ情報🙏)
デボラデボラ あばずれ天使という詩を書いたことが😅👼(☜好きなあまり、失礼スレスレ or 極まりない感嘆の声を漏らす…💬 おそらく21歳くらいの頃??)
マリ〜ア〜〜❤️⛪️🍼👩💖
軌跡!ザ・ベスト・オブ・ブロンディ | |
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軌跡 ベスト盤は宝石箱〜〜〜
恋のハートビート | |
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☝︎これがわたしの愛聴盤〜〜〜
昔から、安楽死したいとか思ってたタイプ。。。=半分死人 類似語?→半分女
27歳で死にたいとか思ってたタイプ←今時的に言うと厨二 ブライアン・ジョーンズみたいに... イーディ・セジウィックみたいに...
カート・コバーンが死んで、動揺の後、冷静さを孕みながら、決心して睡眠薬を大量に飲んで、親を困らせた経験あり。→当時22歳 3日間昏睡 母、看護師だったので、即席胃洗浄ができたので命が繋がった。 「あなたの屍体が腐らぬうちにKISSをする いろんな事実に動揺して驚愕しながら、何事もなく無事な自分の肉体が嫌だ これ以上人の死を当たり前と受け流すのが嫌だ」 などという詩を書きながら。。。 同じ歳に、断食芸人の真似事=ハンガーストライキをしたのも思い出す。。。(そんな心配をたくさんかけたので〈10代の頃は家出して帰らなかったりとかもたびたびあったし... 母は気が気でなかっただろう... ...一人暮らしをすると言って、武蔵小金井のレオパレスに母と父と部屋を見に行った時、母が具合が悪くなって、歩道橋の上で座り込んでしまったのを思い出す...〉、母の方が色んな持病持ちになってしまいました。。。 その責任を、ほんとは生きてとりたい... 私の“マザコン”はそんなところからも来てるのだと思います...)
そんな荒れた生活をしながら(酒も飲み過ぎだった。。。実は今も。。。 ...摂食障害もあった。20代は栄養不足でほとんど生理がなかった。心で止めてしまってた。 だから、結婚前後、30代、摂食障害が治り、生理が順調になった時には、体って復活するんだ すごい と感動して 何かに感謝した。 噛みしめるように、毎月、お月様がくるたび、愛おしく思ってた。 それは世界を受け入れ、順調にシンクロしてる感覚...)、たびたび様々なことに心を揺らしながら、43歳まで生きられたのは、ある意味奇跡だとも思います... 拾い物(もしくは授かりものの?)の幸せな人生、的な... でも、やっぱり、ツケがきて病気になったけど。。。 それでも、このような事態になった今も今まで生きられたことに、感謝してます...
デニス・ホッパー監督作品「アウト・オブ・ブルー」Out of the Blue
1994年頃、藤沢のカルト映画が多く置いてあったレンタルビデオ店で借りた(そこでは、素晴らしき、涙ものの、ドジソン教授と彼の心に共鳴する紳士たちのアリス愛、美しき奇跡の瞬間ゴールデンアフタヌーンへの憧憬に満ちた映画、「ドリームチャイルド」も借りて観た。)
もう、アルコールの鼻を突く香りと共に在った記憶しかない。(その頃は、カルアミルクやミドリリキュール、ストロベリーリキュールなどにハマってた憶え...)
そして、この映画で初めてニール・ヤングの“ヘイヘイマイマイ”(“マイマイヘイヘイ”)を知った。
そのすぐ後に、ニルヴァーナのカート・コバーンが自らの頭をショットガンで撃ち抜いた際、(そのニュースを知った途端大荒れした記憶...。とんでもないやり方で)遺書にその(ヘイヘイマイマイの)フレーズを引用したことを知り、大きなショックを受ける。(その事実を知ったのは彼の自殺から数年後...)
アウト・オブ・ブルー デラックス版 [DVD] | |
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パイオニアLDC |
1992年のロッキンオンに、カート・コバーンとコートニー・ラブの結婚報告が二人が寄り添う写真と共に載せられてたの、まだ鮮明に記憶してるんだけど、その時のYさん(Kちゃん)と私の会話...
ルル「なんだ、相手フツウの綺麗な金髪ねーちゃんじゃない?? やっぱ、こういう人が好きなんだねー (カート、ロッド・スチュアートみた~いと言ったかどうかは不明...)」
キミ「えっ? でもこのねーちゃん、多分Holeのボーカリストだよ」
(ここで知識差が出る。。。 ルルまだまだ音楽創世記~~~)
その後、どこかのワゴンセールでHoleのアルバムPretty On The Insideを買った~~~
Pretty on the Inside | |
クリエーター情報なし | |
Caroline |
↑このアルバム... どこで買ったかは完全に記憶喪失。。。
でも、やっぱり、私はデボラ姐さんの方が数万倍好きだな...(Pretty On The Insideもあんまり聴かなかった... 早い段階、22歳の第一次大量CD売りの時に売っちった。。。)
デボラ姐さん!!!
歌と踊りにとても感動したよ 最後のメッセージは彼の遺言だね こうしてる間にも自然はどんどん破壊されていってるんだよ 怖いよ 仲良く暮らしてね
ってメールに書いてありました
そういえば、1994年にカート・コバーンが亡くなった時、私がめちゃくちゃ荒れたから、2009年、去年マイケルが亡くなった時も心配してメールをくれたのよね。。。(母の中では、カートとマイケル、同じカテゴリーみたいです。。。)
昨日、お通夜に行ってきました
クラフトワークが斎場内にかかる中(ジャーマンミュージックフリークであった、彼のための演出。ずっと彼のそばでいっしょに生きてきた、彼女の千明ちゃんがそう斎場に頼んだそうです。ずーーっと一緒にいると、愛するひとが何を求めているのか、手にとるように解るようになるんだね..)、彼と最後のお別れをしてきました。
今日は、告別式(お別れ会)。
彼とわたしの共通点は、カート・コバーンが亡くなった時の、反応。
彼と会う前に、ダンナさんにそのことを聞いていたから、会う前からお話するのが、すごく楽しみだった。
私が、しっぽふって、わんわんって、前のめりになりながら、かなりしつこめに音楽のはなしをし始めたから、相手がドン引きになってしまったくらい。。(「あの人スノッブなの!?」って、後でダンナさんに言ってたみたい。。笑 シバッチゴメンネ..汗)
その後すごく仲良くなりました。ダンナさんとみんなと、2004年から2005年にかけて、いっぱい遊んだ。(ヒキコモラーの私にとっては、ありえないくらい。)彼がDJをしたイベントでは、以前わたしが(しっぽふりながら)渡した、2001年宇宙の旅のサントラに呼応してくれたのか、電子音楽のアーティストによる2001年~のカヴァーをかけてくれました。
まだ信じられない、信じたくない。
亡がらは見たんだけど...
それでも認めたくない。
私の死生観は今だこんな感じ
そしてこんな感じ...
そして、このコメント欄にも..
(“共に生きる”ということ)
彼は、音楽友達から「九月にファウストが来るんだよ!」
とのはなしを聞いて、(ファウスト=71年に結成された実験性の高いジャーマンロックバンド..wikipediaより)
「ファウストのライブを見るまでは死ねないなー。」
って話してたそう.....(号泣しました....)
昨日、彼へのお手紙で、彼が好きだった文化、音楽を、いっぱい見聞きしていくこと。
彼が大好きだった彼女の千明ちゃんに、せいいっぱい優しくするからね。
ということを、彼と約束しました。
私が唯一知っていた(たぶん..)Faustの曲、"I've got my car and my tv"
そして、今日仕事から帰ってきて、シャワーを浴びながら、シバッチに捧げる曲を考えてたんだけど、
ドイツ出身の指揮者、フルトヴェングラーの指揮によるこの曲も思い出しました。
つたない贈り物かもしれないけど、
天国のあなたと、そして、千明ちゃんに捧げます。
Wagner - Tristan und Isolde - Liebestod (Furtwängler)
ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」第2・3幕ルードヴィヒ・ズートハウス,シュターツカペレ・ベルリン,エルナ・シュルター,ゴットロブ・フリック,ヤロ・プロハスカ,マルガレーテ・クローゼMEMORIES REVERENCEこのアイテムの詳細を見る |
P.S.まだ混乱が続いているのもありますが、相変わらず、上手に伝えられなくてごめんなさい
ユージン・ケリーのヴァセリンズはカート・コバーンにその脱力センスを伝えた・・はずだけど、なんでカートはリラックスを持続することが出来なかったのだろうか・・・???
The Way of the VaselinesThe VaselinesSub Popこのアイテムの詳細を見る |
The Vaselines - Molly's Lips
↑カート・コバーンが愛した曲
IncesticideNirvanaGeffenこのアイテムの詳細を見る |
↑自分なりの解釈でカヴァー。やっぱり激しくなっちゃう。。
The ShaggsThe ShaggsRounderこのアイテムの詳細を見る |
the shaggs
↑脱力系といったらこのバンドも思い出す・・。天然でサイケデリックそのものですな・・(爆)
でも、今はジャック・ハリーと呼ぶらしい・・・。この前、映画本のお仕事でネットを調べてて初めて知りました。
やっぱり、私の中で大変な違和感が生まれました。そんなはずない、彼はジャック・ヘイリー、ジャック・ヘイリー。ヘイって勿体ぶって発音するところに意味があるのよ~!!(怒)と思いながらも、飛ぶ鳥落とす勢い?生き馬の目を抜く早さ?で進む時の変化には文句は言えない・・・。
しぶしぶと(だいぶダンナさまに説得されて、だいぶ納得するのに時間がかかりましたが・・・)“ジャック・ハリー”とパソコンで打ち込みました。まさに断腸の思い(←大げさ)でした。
そして、「ザッツ・エンタテインメント」の監督は、ジャック・ヘイリーの息子だったからこれもジャック・ハリー・JRで・・・。カシャカシャ(←パソコンで打ち込む音)
〈例〉カート・コバーン→カート・コベイン
ヤン・シュワンクマイエル→ヤン・シュヴァンクマイエル
パティ・スミス、パティ・スマイス(別人)
涙の出るようなたくさんのコメントのお返事を早く書きたい!と、そのことが気になるのですが、もう少し、待っててください・・・。
小説をもうひとつ書きます。またも稚拙な内容なのですが・・・。
この小説をなぜ書き始めたか、お話したいと思います。
28歳の時、とある音楽学校の受付の面接を受けて、かなり好感触だと、思い込んだ後、落ちた私は、(その何年か後、そのリベンジ?で、同じ系列の音楽学校の面接を受け、合格し、働くようになりましたが・・・。)ひどく落ち込み、数少ない友人のうちのひとりで、悪友とも言える男の子に電話しました。
話が進むうちに、彼が語ったこと・・・、「そういえばさぁ~・・・、ルルさんって、俺の故郷の友達に似てるんだよね。そいつもキレイでかわいい顔(おこがましくてスミマセヌ・・・。)してるんだけどさぁ・・・。久しぶりに会った時、俺に、『キミ、まるくなったよね~。』って言っててさ~・・・。・・・そいつ、24歳で首吊りして、死んじゃったんだ。」
思春期が始まったころから、膨大な感情量や、感傷に耐えられなくなり、いつか自分が、自死するんじゃないかと恐れていた私は、自分の屍体を見せつけられたような気がしました。カート・コバーンがショットガン自殺(以前の記事に、“猟銃自殺”と書いてしまいましたが、それは、アーネスト・ヘミングウェイでしたっけ?)した時も、同じ気持ちになったのですが・・・。
絶望的になった私は、電話を切った後、とりつかれたように、ノートに殴り書きを始めました。
そうすることでしか、自分を救う方法がなかったのです。
それが、これからアップする小説です・・・。
みなさま、稚拙ではありますが、是非、読んで下さいませ・・・。
最近泣いたり喜んだり感情の起伏がはげしいので、はたからみているダンナさまは心配なようです。でも泣くのは感動泣きが多いですよ。ほんとにいいとしをして、おちつかなくて、おはずかしいです・・・。
私はちょい自閉っぽいところがあるので、人の心や思いやりをなかなか気がつかない時があるんだけど、昨日は感情が溢れ出して、涙がとまらなくなってしまいました。
落ち着いたら、かならず、アンサーを書きます。ありがとう・・・☆
おととい“不寛容”という言葉について日記を書きましたが、その日に私が考えていたことを話すと、ある人は、くだらないといい、ある人は理解できないというかもしれません。
見ていたニュースというのは、塾講師による12歳の生徒の殺人事件のことなのですが、誤解を生むようなことなので、口をつぐもうと思ってました。12歳の少女はどうやら塾講師に「気持ち悪い」という言葉を言って、それが最後の言葉になったようです。
ダンナさまに話したら、「それってまるっきりエヴァじゃん!」と言ってました。たしかに「新世紀エヴァンゲリオン」という8年ほど前に大ヒットした少年向けアニメーションの映画版にそんなシーンがありました。登場人物の少女が、主人公の少年を罵倒し、げきこうした少年が少女の首をしめる・・・。
12歳の少女に寛容な心を持つように願っても、それは、まだ無理なのかもしれません。逆に23歳の塾講師に心ない言葉をゆるす寛容さがあったら・・・。12歳の少女に寛容する心を教えるには、どうしたらいいんでしょう・・。でも失われた命は戻ってきません・・。
私もそうです。寛容する心があれば、旦那さまとは喧嘩にはならないと思います。
もうひとつ。ニルヴァーナのカート・コバーンが猟銃自殺した時のことを思い出していました。まだこの時の私の状況は、お話できるような・・・いえ、あまりにも恥ずかしいので、自粛しようと思いマス。とにかくその時無理をしながら続けていた仕事は辞めてしまいました・・。そして、ニルバーナのアルバムはつらすぎて聴けなくなってしまい、私の持ってた2枚のアルバム「ネバー・マインド」と「イン・ユーテロ」を他の私の持ってる何%かのCDと共に売りました。(今までに私は2回大量にCDを売ったことがあるのですが、私にとっては、それは儀式みたいなものでした。大好きだったCDを売ったこともあります。ダンナさまとの結婚が決まった時にも大量のCDを売りました。その中には、エイミー・マンのアルバム「バチェラーNO.2」も入ってました。このCDもつらすぎて聴けなくなったCDです。)
シアトルから始まったいわゆるグランジムーブメントは、私にとってどんぴしゃのリアルタイムのシーンだったのですが、語り合うひともいなく、ちょっと冷静に見ながら、何枚かCDを買うくらいでした。
だけどもカート・コバーンの死はショックでした。ニック・ホーンビィの小説「アバウト・ア・ボーイ」でも、カートの死にショックを受けて、荒れまくる少女が出てきましたが、カートが死んでからずいぶん時が経ってこの小説を読んで、私のあの時の反応は、おかしかったんじゃないんだなぁ・・。とはじめて思いました。
とにかくあの時の私の周りの人間の反応はしごく冷静でした。“不寛容”という言葉で、もうひとつ思い出したのが、あのひとこと、「またくだらない伝説を残しやがって。」
これは愛情のうらがえしなのかな?私はこの言葉を言った人を直接は知りません。
でもひとずてに聞いて、すごく傷つきました。でも愛情のうらがえしだったとしたら、それがわからない私の不寛容だと思います。
おとといは、そんなことを考えてました・・・。