ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】生きることと愛すること

2007年03月07日 22時17分14秒 | 読書記録2007
生きることと愛すること, W.エヴァレット (訳)菅沼りよ, 講談社現代新書 503, 1978年
・"愛"について。愛の定義、自己愛、恋愛、親子の愛、神の愛などについて平易な言葉で説く。多くの日本人にとっては、気恥ずかしさが先にたち表立って話づらいテーマではないでしょうか。著者はもともと宗教家なだけあって、かなりバイアスのかかった内容ですが、それを差し引いて考えても、とてもいい本だと思います。にもかかわらず、この新書版はなぜか現在絶版らしい。調べてみると別な出版社から出ているようです。
・主題の"愛"とは別に、知っているようでよく知らないキリスト教の考え方の一端も垣間見えた。
・「"To Live is to love"――これがこの本のテーマである。愛することなしでも、人間はたぶん存在することはできるだろう。しかし、それではほんとうに生きているとはいえない。人間にとって、生きることは愛することなのである。」p.3
・「人間にとっていちばん重要なもの、人格の中心を形づくっているものは、その人の「愛する能力」である。ひとりの人間の進歩をはかるのは知能テストではなく、その人がどこまで愛されているか、そしてどこまで愛することができるかである。人間は「理性的な動物」ではなく、「愛する動物」と定義されなければならない。」p.4
・「キリスト自身も、「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」といったとき、きっと同じような孤独を感じていたにちがいない。」p.16
・「エロスとは、自分を満たしてくれるさまざまのよいものを求める欲求である。たとえば、食物・衣服・知識・美などである。」p.20
・「愛するためには、まず十分な愛を取り入れる必要がある。人は、愛されることによってはじめて愛する力を得るのである。」p.21
・「このように見てくると、愛について次のような大原則が引き出されると思う。すなわち、「人間は、愛する前にまず愛されなければならない。そして、深く愛された人ほど、深く人を愛することができる」。」p.26
・「愛に関しては、奇妙なことに、私たちは帽子をさし出して金を恵んでもらうこじきとまったく同様、だれかが自分を愛してくれるのを待つよりほかはないのである。」p.27
・「このように、ひとくちに愛するといっても、ふたつの意味が混同されやすいので、今後この本のなかで「愛する」というときは能動的なアガペの愛のみをさすこととし、エロスの愛を受動的な愛と考えることにしよう。」p.30
・「私が相手をどのくらい愛しているかを知るには、何ではかればよいだろうか。答は簡単である。時計ではかるのである。」p.34
・「私たちはいつも忙しがっている。忙しくて、手紙を書いたり人に会ったりする暇がないという。しかし、よく考えてみると、その時間に自分の好きなこと、やりたいことを優先してやっているではないか。忙しいというのはいいわけにすぎないのである。」p.35
・「人間にひとつの口とふたつの耳があるのは、話すことの二倍聞かなければならないからだとは、いにしえの知恵のことばである。」p.37
・「相手に話のきっかけをつくる質問をしたり、あいづちをうったりすることは、単純ではあるが、人を愛そうとするとき、ひじょうにたいせつなことなのである。」p.39
・「愛するということは、なんらかの形で自分を与えることである。愛のもっとも深い形は、自分の体、または心を、直接人に与えることである。」p.44
・「ちょうど、ろうそくがみずからを燃やすことによって光を放つように、愛するための唯一の方法は、自分自身を焼き尽くすことなのである。」p.47
・「「愛は自分を与えることによって(=手段)善を創造する(=目的)」」p.51
・「「よい人」とは、自己が統合され、また自然・人などほかのすべてのものと調和がとれている人である。その人は、ほかの人を愛し、新しく善をつくりだすことのできる人である。」p.54
・「まさに、自分のなかに善をつくりだすこと――愛する能力をみがくこと――が、人生の目的であるといえよう。」p.56
・「私たちの多くは、おそらく無意識にではあるが、五十対五十のフェアプレイを基盤にして生きている。  私たちは、相手が私たちを受け入れ、親切にしてくれるかぎり、相手にもそうする。しかし、もし相手が私たちをだましたり、傷つけたりしはじめたら、私たちも態度を変えてしまう。冷淡になり、相手と同じ戦術を使うのである。」p.57
・「苦しみは、その意味を見いだすやいなや、もう苦しみではなくなるのである。(ヴィクトル・フランクル)」p.60
・「人間の愛はみな不完全なものである。すべての人間を愛することはできないし、ひとりの人間を完全に愛することもできない。」p.66
・「しかし、深い愛とは、愛する対象に自由を与えるものである。愛は、たとえそのために二人が離れなければならなくなったとしても、相手の向上を願う。愛が深まれば深まるほど、執着心は減るのである。そして愛する人にむかって、「勇気をもちなさい。外へすすんで出てゆきなさい。自分を磨きつづけなさい」というようになる。」p.67
・「私たちは地震罹災者をあわれんで百円をカンパするが、それ以後は二度と彼らのことを考えない。私たちの「愛」は五分間しか持続しなかったわけである。」p.73
・「「愛」の反対は「罪」である。」p.84
・「要するに、よく遅れてくる人は、まだ愛という梯子の低い段に立っていて、人を尊敬する心が十分できていないといえるだろう。」p.88
・「利己主義が男性の罪であるように、高慢は女性特有の罪である。利己主義は恐しい罪であるが、高慢は最悪の罪である。」p.93
・「自由とは抑制のないことであるが、これをつきつめると、完全な孤独を意味する。」p.97
・「自己愛は、罪悪であるどころか人間にとって義務なのである。にもかかわらず、世のなかには利己的な人は無数にいても、真に自分を愛する人がなんと少ないことだろう。」p.103
・「あなたのありのままの姿を見るものは、ひとりしかいない。それは神なのである。そして不思議なことに、ありのままのあなたを見て、神はあなたを全面的に受け入れ、愛しておられるのである。すべてをご存じの神がこの私を愛しておられることを信じることによって、はじめて私は自分自身を愛することができるのかもしれない。」p.108
・「根気よく努力し、祈ることによって、私たちはすべての欠点を克服することができるのである。これが真の自己愛というものである。」p.115
・「自己愛は、すべての愛のうちでもっともむずかしい愛であるといえよう。」p.117
・「世界の歴史をふりかえってみると、おそらくすべての人間のうち、90パーセントの人びとは、恋愛の経験がほとんどないか、まったくないのではないかと思う。  かつては、日本でけではなく西欧でも、両親が結婚をとりきめた時代があった。」p.123
・「しかし、恋愛とは社会福祉事業でもなければ、たんなる同情でもないのである。もし自分の気持が愛ではなく、ただの同情であることがはっきりしたならば、いちばんよいのは彼女を捨てることである。」p.131
・「「恋愛感情は、結婚の可能性があるかぎりもちつづけてよい。しかし、もしあきらかに結婚が不可能ならば、恋愛感情は断ち切らなければならない。そしてそれは早ければ早いほどよい」」p.132
・「愛の種々の形態のなかで、もっともむずかしいのはおそらく親子間の愛であろう。なぜなら、友情や恋愛では、相手を自由に選択することができるのに、親子ではそれができないからである。」p.146
・「完全な幸福をこの世において獲得することはできない。私たちはみな不安であり、たえずなにかを追い求め、渇きを覚え、なにかを欲している。」p.167
・「人間の愛はもちろんよいものである。しかし、それにはふたつの欠点がある。第一に人間の愛は限られており、第二に不確かである。」p.169
・「つまり人間の成長とは、彼がどれだけ愛し、また愛されているかによってはかられるものなのである。」p.171
・「人間は食物がなくても数週間、水がなくても数日間、空気がなくても数分間は生きていられる。しかし、神なしには一秒たりとも生きてはゆけない。(中略)「私たちは、神のなかに生き、動き、存在するものである」」p.177
・「「芸術とはコミュニケーションであり、美は愛を伝えるものである」」p.188
・「芸術家は自分の作品(間接的には彼自身)を他人に見せようとする。これは万物の創造者である神も同様である。神はまずはじめに、山河や植物や動物をつくった。しかし、それらの創造物を見てくれる人がだれもいなかった。そこで神は人間を作ったのだ。」p.201
・「彼らは、楽器をかなでることによって私たちに勇気、安らぎ、感動を与えてくれる。ヴァイオリンやチェロは、愛を語る口なのである。」p.204
・「ほんとうに純粋な動機をもっている人などほとんどいないのだ。芸術家は、自分が愛を伝え、美を分かちあうという使命、特権、喜びをもっているのだということを、もっともっと自覚するよう努力しなければならないと思う。」p.204
・「現在の資本主義制度は、自由、進取性、柔軟性、新しい冒険を試みる勇気、個人の責任を奨励する点ではすぐれている。しかし、あまりにも動機としての利益に重点を置きすぎているのは残念としかいいようがない。一方、社会主義は、労働の目的を共通の利益、社会奉仕としており、この理想においてより人間らしいといえるだろう。しかし、とかく全国民が同じ型にはめられ、個人の進取性、表現、活動が不当に制限されがちである。共通の利益の追求のもとに、個人が犠牲にされてしまうのである。  この両極端のあいだに、私たちは理想の社会を探し求めなければならない。」p.213

《チェック本》
エーリッヒ・フロム『愛するということ』
芥川龍之介『地獄変』
コメント (2)
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