先日、岡山のGID学会から戻ってすぐ
松山市内にある日本基督教団の教会に行ってきたのです。
四国の教会の皆さんで「性差別」を研究しているそうで、
今回は松山で 性的マイノリティを課題にするというのでどんなことになるのだろう?と
参加してきました。
こんな機会はめったにないので、レインボープライド愛媛の仲間で
キリスト教の信者さん(日本基督教団とは別)に声をかけて3人で出かけました。
講師にバブテストという別会派の教会の牧師さんが来てくださっていていました。
その方の教会に来られている信者さんがトランスジェンダーの方で、そのことが縁で
LGBTのことを日頃から熱心に考えてくださってのお話しでした。
よく勉強されていて、当事者以外の方がこのように分かりやすく
自分たちのことを話してくださるのは本当にありがたいことだなあと感じました。
質疑応答の時には、自分も質問に答える機会をいただけたので
少しでも理解が広まればと話しました。
今回の勉強会が今後教会の中でどのように取り組みとしてなされるのかは分かりません。
質疑のときに、参加の牧師さんたちが
「自分の教会でも信者さんから相談を受けることがある。個性として捉えて話している」とか、
会場となった教会の牧師さんからは
「今までの聖書の読み方を変えて、改めて読み直していく必要があるのだろうと感じている」
といった発言も出るなど、向き合っていただける兆しは感じました。
同性愛は地獄に落ちる行為として厳しくタブー視している印象のあるキリスト教。
日本キリスト教会とは違うと思いますが、
自分たちと関わる機会があった仲間がいたのですが、牧師さんに厳しく咎められ
関係を絶たれてしまったことがありました。今どうしているでしょうか。
ゲイの彼は自分のことで大変苦しんでいましたが、自分たちと知り合い
少し明るくなっていたのですが、牧師さんと相談しているうちに、
「自分は家族と教会のために生きます」と連絡が一切出来なくなりました・・。
この地方で、今回のような教会での勉強会を自らしていただけたことはありがたいことです。
当然のことですが、同性愛である自分と聖書の間で悩んでいる信者さんもたくさんいると思います。
自分を肯定し力強く生きていける後押しを教会がしてもらえるようになって欲しい。
そのためには、まずは牧師さんの意識かなと感じます。
それぞれの教会の中でどのように向き合っていけるか、偏見を植え付けないか?
それぞれの牧師さんにかかっているでしょう。
より良い方向へ導けるよう、学んでいただけるといいのですが
どうなっていくでしょうか?
日本の場合では、宗教が社会体制そのものではないのでそんなに難しいことではないように思うのです。
信者さんも含めてマイノリティへの寄り添いが出来るかどうか?そういうことではないのでしょうか。
松山市内にある日本基督教団の教会に行ってきたのです。
四国の教会の皆さんで「性差別」を研究しているそうで、
今回は松山で 性的マイノリティを課題にするというのでどんなことになるのだろう?と
参加してきました。
こんな機会はめったにないので、レインボープライド愛媛の仲間で
キリスト教の信者さん(日本基督教団とは別)に声をかけて3人で出かけました。
講師にバブテストという別会派の教会の牧師さんが来てくださっていていました。
その方の教会に来られている信者さんがトランスジェンダーの方で、そのことが縁で
LGBTのことを日頃から熱心に考えてくださってのお話しでした。
よく勉強されていて、当事者以外の方がこのように分かりやすく
自分たちのことを話してくださるのは本当にありがたいことだなあと感じました。
質疑応答の時には、自分も質問に答える機会をいただけたので
少しでも理解が広まればと話しました。
今回の勉強会が今後教会の中でどのように取り組みとしてなされるのかは分かりません。
質疑のときに、参加の牧師さんたちが
「自分の教会でも信者さんから相談を受けることがある。個性として捉えて話している」とか、
会場となった教会の牧師さんからは
「今までの聖書の読み方を変えて、改めて読み直していく必要があるのだろうと感じている」
といった発言も出るなど、向き合っていただける兆しは感じました。
同性愛は地獄に落ちる行為として厳しくタブー視している印象のあるキリスト教。
日本キリスト教会とは違うと思いますが、
自分たちと関わる機会があった仲間がいたのですが、牧師さんに厳しく咎められ
関係を絶たれてしまったことがありました。今どうしているでしょうか。
ゲイの彼は自分のことで大変苦しんでいましたが、自分たちと知り合い
少し明るくなっていたのですが、牧師さんと相談しているうちに、
「自分は家族と教会のために生きます」と連絡が一切出来なくなりました・・。
この地方で、今回のような教会での勉強会を自らしていただけたことはありがたいことです。
当然のことですが、同性愛である自分と聖書の間で悩んでいる信者さんもたくさんいると思います。
自分を肯定し力強く生きていける後押しを教会がしてもらえるようになって欲しい。
そのためには、まずは牧師さんの意識かなと感じます。
それぞれの教会の中でどのように向き合っていけるか、偏見を植え付けないか?
それぞれの牧師さんにかかっているでしょう。
より良い方向へ導けるよう、学んでいただけるといいのですが
どうなっていくでしょうか?
日本の場合では、宗教が社会体制そのものではないのでそんなに難しいことではないように思うのです。
信者さんも含めてマイノリティへの寄り添いが出来るかどうか?そういうことではないのでしょうか。
教派を選ぶ際も、もっともリベラルでメジャーな教派を選びました。また出身校の経営母体でもあったので(LGBTが多数派を占める教派もあるらしいですが・・・)。
先日知り合ったゲイでクリスチャンの先輩は、「牧師に言わなくていいよ、神様は知っておられるから」と言ってくださいました。すごく勇気づけられました。
うちの教派には名古屋にMtFの司祭がおられ、毎月、性的少数者のための聖餐式というのをされています。一度、それに参加してから、洗礼、堅信について考えてみたいと思います。
あっしの場合も、教会で信徒のみなさんに親切にしていただいてるので、それで通い続けている部分がかなりあります。
カミングアウトして、あの方たちから総スカンをくらったら、もう通えないでしょうね・・・(>_<)
そうなったら、あっしは神様との向き合い方が不十分で希薄なので、教えを棄てちゃうかもです・・・。
4月から新しい司祭が赴任してこられますが、どうなることやら不安です。以前、一緒にお酒飲んだりしたことがあったのですが好人物です。その先生に「GID・LGBTについてどう思われますか?」とは聞けないよなー(>_<)
説教で、それらのことにネガティヴな意見を言われたら、離れてしまうかな・・・
あっしの場合も、教会で信徒のみなさんに親切にしていただいてるので、それで通い続けている部分がかなりあります。
カミングアウトして、あの方たちから総スカンをくらったら、もう通えないでしょうね・・・(泣)
そうなったら、あっしは神様との向き合い方が不十分で希薄なので、教えを棄てちゃうかもです・・・。
4月から新しい司祭が赴任してこられますが、どうなることやら不安です。以前、一緒にお酒飲んだりしたことがあったのですが好人物です。その先生に「GID・LGBTについてどう思われますか?」とは聞けないよなー(汗)
説教で、それらのことにネガティヴな意見を言われたら、離れてしまうかな・・・