今回の東京パレードのついでに、俺たちは話題の靖国神社「遊就館」を見学してきた。
8/15小泉参拝の後、加藤議員の自宅放火と続き、どうしてもこのことは書いて
おかなければ、と思ってね、長くなるけど読んでください。
=========
言うなれば、自分の我を通した小泉首相の心意気は、見ていて気持ちよいのかも
しれない。
なんと、今回のことで世論調査したら参拝を賛成する人が反対より多いらしい。
次の首相には自重してもらいたいが、小泉は今回のみ特別賛成といったところらしい。
めちゃくちゃな小泉の論理に国民が煽られてしまっている。
最近の世論も本当に恐ろしいものを感じるのです。
さて、靖国神社「遊就館」・・・入館して最初に映画を鑑賞、
そして立派で金のかかっている充実した展示を次々目のあたりにして、
この神社は戦争に行って死んだ人を哀悼するための施設ではなく、
「国のために死んだ人を褒め称える場所」であることがよく分かった。
小泉の参拝により、テレビ番組で靖国問題が取り上げられてはいるけれど
戦後の日本はずっと靖国神社のことを曖昧にしてきた、
このことこそ、日本人として先の戦争の総括が出来ていないことの現われだと俺も思う。
その曖昧さに付け込んで、あわよくば戦争の出来る真っ当な国?に
戻ろうとする動きが目に見えて出てきた。
「靖国で会おう」などと言って死んでいったという彼らは、
俺に言わせば戦争に加担し、国民を煽った立場の人間たちだと思っている。
当時の体制派だと言っていい。
彼らの遺書を読むにつけ、若いのに凄いなとは思うけれど、
本心でこんなことを書いているのか?見本があるのだろう?と、うがってしまう。
若者ほど純朴で突き進むのだ。
親たちは本心で息子の死を誇りに思い、称えているのか?
こんな展示があった。
若くして結婚もせず亡くなっていった20歳前後の息子のために
親が供えた花嫁人形。
立派な人形が数多く展示されていた。
花嫁人形って・・女性は人形か?
人形をあてがって自分の心を静める親も親・・と思いながら眺めていると、
「息子よ、良く国の盾となって死んでいった。立派だ!」
などと母親が書き寄せていた・・。うーん
そう言わねばならぬ時代だったろう、
それは十分想像できるし酷い時代だったと思う。
しかしだ、そのような状況が一足飛びに起こったのではない。
しぶしぶでも、拒否することなく親も息子を進んで戦地に送ったのです。
このことで戦争遂行に加担し、近所や周辺にもその感覚を広げ、
兵役拒否などありえないのだという風潮を作り、
戦争に突き進む国に対して疑問に思わず、
国を間違った方向に持っていく指導者たちを放置し、支えていった。
その親も子も、そう、国民全員が責任者である、と言いたい。
当時の日本は主権は国民になかったから責任もない?とんでもない。
結局、多くの犠牲を払って責任を取らされているではないか?
先の戦争の総括とはそういうことだと思っている。
今を生きる我々国民は、この過去をよく理解することによって、
「決して過ちを繰り返さない」と確認しあっていくことだと思う。
未来の日本のためにも、俺たちにはその責任がある。
靖国問題は日本の国内問題だ。
A級とかB級とか関係ない、
他国から決められた戦犯とかでもなく、私たち日本人自身が
国を崩壊させるに追いやった人々を追及できないのは何故なのでしょう?
ここを向き合わねば、同じ過ちを繰り返すに決まっていると思うのです。
実際その方向に向かっているのではありませんか!?
今、そのことに気がつかねば、先のように従うしかないような社会に
なってしまう!その時には手遅れなのです。
その危機感を日々感じている。 ②へつづく
8/15小泉参拝の後、加藤議員の自宅放火と続き、どうしてもこのことは書いて
おかなければ、と思ってね、長くなるけど読んでください。
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言うなれば、自分の我を通した小泉首相の心意気は、見ていて気持ちよいのかも
しれない。
なんと、今回のことで世論調査したら参拝を賛成する人が反対より多いらしい。
次の首相には自重してもらいたいが、小泉は今回のみ特別賛成といったところらしい。
めちゃくちゃな小泉の論理に国民が煽られてしまっている。
最近の世論も本当に恐ろしいものを感じるのです。
さて、靖国神社「遊就館」・・・入館して最初に映画を鑑賞、
そして立派で金のかかっている充実した展示を次々目のあたりにして、
この神社は戦争に行って死んだ人を哀悼するための施設ではなく、
「国のために死んだ人を褒め称える場所」であることがよく分かった。
小泉の参拝により、テレビ番組で靖国問題が取り上げられてはいるけれど
戦後の日本はずっと靖国神社のことを曖昧にしてきた、
このことこそ、日本人として先の戦争の総括が出来ていないことの現われだと俺も思う。
その曖昧さに付け込んで、あわよくば戦争の出来る真っ当な国?に
戻ろうとする動きが目に見えて出てきた。
「靖国で会おう」などと言って死んでいったという彼らは、
俺に言わせば戦争に加担し、国民を煽った立場の人間たちだと思っている。
当時の体制派だと言っていい。
彼らの遺書を読むにつけ、若いのに凄いなとは思うけれど、
本心でこんなことを書いているのか?見本があるのだろう?と、うがってしまう。
若者ほど純朴で突き進むのだ。
親たちは本心で息子の死を誇りに思い、称えているのか?
こんな展示があった。
若くして結婚もせず亡くなっていった20歳前後の息子のために
親が供えた花嫁人形。
立派な人形が数多く展示されていた。
花嫁人形って・・女性は人形か?
人形をあてがって自分の心を静める親も親・・と思いながら眺めていると、
「息子よ、良く国の盾となって死んでいった。立派だ!」
などと母親が書き寄せていた・・。うーん
そう言わねばならぬ時代だったろう、
それは十分想像できるし酷い時代だったと思う。
しかしだ、そのような状況が一足飛びに起こったのではない。
しぶしぶでも、拒否することなく親も息子を進んで戦地に送ったのです。
このことで戦争遂行に加担し、近所や周辺にもその感覚を広げ、
兵役拒否などありえないのだという風潮を作り、
戦争に突き進む国に対して疑問に思わず、
国を間違った方向に持っていく指導者たちを放置し、支えていった。
その親も子も、そう、国民全員が責任者である、と言いたい。
当時の日本は主権は国民になかったから責任もない?とんでもない。
結局、多くの犠牲を払って責任を取らされているではないか?
先の戦争の総括とはそういうことだと思っている。
今を生きる我々国民は、この過去をよく理解することによって、
「決して過ちを繰り返さない」と確認しあっていくことだと思う。
未来の日本のためにも、俺たちにはその責任がある。
靖国問題は日本の国内問題だ。
A級とかB級とか関係ない、
他国から決められた戦犯とかでもなく、私たち日本人自身が
国を崩壊させるに追いやった人々を追及できないのは何故なのでしょう?
ここを向き合わねば、同じ過ちを繰り返すに決まっていると思うのです。
実際その方向に向かっているのではありませんか!?
今、そのことに気がつかねば、先のように従うしかないような社会に
なってしまう!その時には手遅れなのです。
その危機感を日々感じている。 ②へつづく