ふむ道,小道,数多く

趣味いろいろ。2014/9に別ブログを合体したので、渾然一体となってしまいました(笑)

The Joy Luck Club ひとやすみ

2013-05-19 23:04:23 | BookClub
An-meiおばさんとLinおばさんの生い立ちの投稿終了。
Ying-yingおばさんもまた強烈な記憶があります、が、来週位にまた投稿します。
日本含むアジア圏全般に言える事ですが、昔の中国の女性もまた、いろいろ我慢しなくてはならない事が多かったのですね。この本、久しぶりに面白いです♪



The Joy Luck Club : LINDO JONG - The Red Candle (2)

2013-05-18 20:22:29 | BookClub
The Joy Luck ClubThe Joy Luck Club
価格:¥ 1,639(税込)
発売日:2006-09-21

その夏、長雨で汾河が氾濫してうちの畑をダメにしたわ。家も住めなくなった。周辺の家も皆根こそぎの木や壊れた壁や死んだ鶏が散乱する状況。父は上海の南のWushiに家族で移る事を決意。しかし私は、Hunag家に嫁がされた。

父は家に残った家具で嫁入り道具として十分だと言う。しかし母は赤翡翠のネックレスをくれたの。この時母は悲しんでいると察したわ。そして「新しい家族に従いなさい。幸せな顔をするのよ。あんたは幸運なんだから。」

Huang家も川の傍だけれど、高台だったので、うちとは違い、洪水の被害は全く受けてなかったの。そしてうちより遙かにお金持ちと初めて知ったわ。彼らはうちを見下していたの。それでHuang Taitaiの鼻が長い理由がわかったわ。

Huang家には大きな庭と使用人の家、そして彼らの住処。世代別の家族が住む4階建てで、何代にも渡って使われた、複雑な家よ。家自体は急いで建てられたもののようだけど、後からいろいろな飾り付けがそれぞれの階にされていたわ。見栄えよくするために正面のベランダに2本の赤い丸柱が付けられていた。そしてTaitaiが付けた龍の頭。

家の中にはいろいろ余計な飾りだらけ。唯一良かったのは、客間だけね。他は20人もいる親類で狭くて騒々しかったわ。

私がHuang家に着いた時、Taitaiは何もしてくれなかったし、Tyan-yuも出て来なかった。それどころか、2階の召使い用の台所に追い立てられ、自分の立場がわかったの。
初日は私の1番のドレスで、台所仕事をする事になった。すぐに家族が恋しくなり、お腹の具合も悪くなった。でも両親の顔を立てると誓ったの。Taitaiが決して母に面汚しとは言えないようにしたの。

考え事をしていたらテーブルの向こうで魚をさばいていた召使いと目が合ったわ。泣いているのを見られたら告げ口されると思って、思い切り微笑んだの。

で、私って何てラッキーなの?!と言いながらついついナイフをその女性の前で振り過ぎたので、何てバカな奴?!と言われたわ。

Tyan-yuは小さいくせにわがままで何とか私を泣かせようと努力する奴。スープがぬるいと言ってわざとこぼし、私が座れば早速おかわりを要求する。なぜそんないやな顔をするんだと文句を言う。

数年間Taitaiは召使いに、私に枕の縫い方やHuang家の名前の刺繍の仕方を教えるよう指示。妻は手を汚さなきゃ旦那様の家族を支えられないよと新しい仕事を与える、Taitaiは手を汚したとは思えないね。

しかしTaitaiはさらに、正しい米の研ぎ方を教えろ、旦那様に泥付きの飯を食わせるわけには行かない、携帯トイレがきれいになっている事を確認する為に、中に鼻を突っ込め、と言う。おかげで私は従順な妻として、臭いだけで肉に塩が入り過ぎてるとわかるようになり、刺繍は絵の如くに指せるようになり、Huang Taitaiがブラウスを掃除前の床に投げてもまた着れる位になった(おかげで彼女は毎日同じ服)

やがてこの暮らしは悪くないと思うようになったわ。最初に傷ついたので違いはわからなかった。皆が私が用意したピカピカのキノコや筍を見ているのを眺める以上の幸せな生活ってあるのかってね。Huang Taitaiの髪の毛を100回梳いて誉められ、Tyan-yuが文句も言わずに麺を食べきって、これ以上何を望むかって。

やがてTyan-yuは神、Taitaiは本当の母のように思えてきたわ。16になった時、Taitaiは次の春までに孫が欲しいと言った。とても他へ行くことなんて考えられなかったわ。日本人が来るまでは。

Tyan-yuの祖母は、日本兵が招かざる客としてやってきたから誰も来なかったのだと言う。

Huang Taitaiは綿密な計画を立て、村中に招待状を出したの。戦争が人の心を変えるとは思ってなかったようだわ。私は隣家から輿入れする事になった。ところが雨が降り始めた。風も強まった。とても悪いサインよ。私は自分の不運を嘆いていたの。でも、赤いベールを被ったら不思議と力が湧いてきた。
式が始まり、輿が進むと、悪天候の中やってきた勇気ある僅かな人達が見えた。召使は家族も駆り出して精一杯パーティを大きく見せていたわ。Tyan-yuは誇らしげにベールを取ってお客さんに微笑んだけど私は見なかったわね。

両側に新郎新婦の名が書かれ、それぞれ芯のついた蝋燭が出されて、灯をともし、翌日仲人が、小さく残った燃えかすを指しながら、これで婚礼は整った。如何なる事があってもこの婚姻は破れる事はないと宣言。これで私はTyan-yuが死んでも再婚できない事が決定。

でも、本当は蝋燭がどうなったか知ってるわよ。一晩中泣いていたから。


式の後子供や夫の友人の祝福の後、夫は私にソファに寝ろと言った。これはラッキー、とても嬉しかった。夫が寝たのを見計らって外に出ると、仲人が黄色い明かりの部屋で眠そうに蝋燭の番をしていた。しばらく居眠りしていると、突然雷鳴。居眠りしていて日本軍と勘違いした仲人と彼女の召使が慌てて外へ逃げ出したの。私は大笑い。蝋燭の部屋に入って、こっそりと…、後は新居に戻ったわ。

翌日、仲人は誇らしげに、お役目を果たしたと報告。


私はTyan-yuがいつ上に乗って義務を果たすって考えただけで気分が悪かったけど、幸い最初の1ヶ月は彼はベッド、私はソファ。朝晩食事を作り、甲斐甲斐しく過ごしていたら、突然Taitaiにひっぱたかれた。「悪い嫁め!息子と寝るのを拒否したら許さないからな!」夫は母に嘘をついてたな。でも私は両親との約束のために黙っていた。

仕方なく義母に従い、まず自らTyan-yuのベッドに入りたいと言う、やがて添い寝するようになったが、彼は何もしない。ついに逃げ出す決意。ただし両親を裏切ってはいけない。Huang家が私を追い出すよう仕向けるようにしなくては。

計画の実行に選んだのは、ご先祖様のお参りの日。

夢の中でTyan-yuのお爺さんに会ったという話をでっちあげたの。この結婚は本当の結婚ではないという3つのサインがあると。1つは、Tyan-yuの背中のあざ。これが年々大きくなっていく(私はTyan-yuと添い寝するうちに見つけたのよ)そして私の歯。1本ずつ抜けていく。そして、Tyan-yuの本当の子供を身ごもっているのは、召使いの女の子で、彼女は貧しい家の出身のふりをしているけど実は高貴な生まれという事に。

彼らは、仲人の召使いを尋問して、仲人から赤い蝋燭に本当に起きた事を聞き出したわ。

そして召使いの女の子を呼びだしたの。実は、彼女はハンサムな郵便屋さんに恋をして、子供を身ごもり、困っていたの。だから彼女は高貴なご先祖様について聞かれて、とても喜んだわ。Tyan-yuの妻になってからは、毎日ご先祖様のお墓をきれいにしているそうよ。

これで話は終わり。Huang家の人達は私をそれほど非難もせず、北京行きの切符と、アメリカに行くのに十分なお金をくれた。ただこれは秘密にしておいて欲しいとだけ。

その後私は主人と出会い、2人の男の子と娘を生んだ。その度にブレスレットを買った。皆24金よ。でも思い出すのはあのPure Brightnessの日、私はその時していた全てのブレスレットを取り去った。元をただせば、結婚式の日に赤いスカーフを被った時に自分の運命を切り開く事を知ったのよね。あの日のあの少女に戻って、赤いスカーフをとったら明るい未来が開けていた事を見てみたいもんだわ。


The Joy Luck Club : LINDO JONG - The Red Candle (1)

2013-05-18 10:24:18 | BookClub
The Joy Luck ClubThe Joy Luck Club
価格:¥ 1,639(税込)
発売日:2006-09-21


続いてLinおばさん、ちょっと甘えん坊のAn-meiおばさんに対して、しっかり者のLinおばさんですが、その理由がよくわかるエピソードです。

私は両親との約束を守るために人生を犠牲にした事があるのよ。通常、約束とは全然意味がないわよね。両親と夕食を一緒にすると約束したって、頭痛や交通渋滞や好きな映画のために守られない事がある。
アメリカ映画で、兵隊さんが女の子に、戻ってきて結婚すると約束しても、金と同じ位大事な約束と言っても、結局戻ってこない。彼の金なんて、あんたと同じ14金よ。

中国人にとっては14金なんて本物じゃない。24金じゃなきゃ。今更あんたに言っても遅いけど、あんたの子供のため。いつかその子が「お婆さん、金をありがとう。絶対忘れないわ」と言ってもすぐ約束を忘れて、お婆さんがいた事も忘れるんじゃないかと思って。

さて、その映画では、アメリカの兵隊さんは、家に帰って他の女の子に結婚を申し込んだわ。彼女は目をパチクリ、まるでそんな事予測しなかったみたい。で、突然視線を落とし、彼を愛していた事に気づくの。そして涙してイエスと言い、彼らは永遠に幸せに結婚したのよ。

私の場合は全然違うわ。
村の仲人さんがうちに来た時私は2才だった。誰も言わないけど覚えているのよ。
それは暑い日で、私は母に抱かれて蝉の声を聞いたり紙の鳥?が飛び交う様子を眺めていたの。その時、2人の婦人がやってきたわ。1人はお化粧が溶けた変なシュルシュル訛り(後でわかったけどそれは北京訛り、太原の人たちにはかなり違和感がある)の女性。もう1人は木の幹のような女性。

木の幹は村の仲人で、北京訛りはHuang Taitaiと言って、婚約相手のお母さん。

中国では女の赤ん坊は価値がないのよ。ただ、どんな子かによるわね。私の場合おいしい匂いがしたという事でそれなりの価値があったみたい。
仲人さんが「土の馬と土の羊のような良い相性ですよ」と言って私の手を撫でたから、私はその手を払ってやったわ。Huang Taitaiさんがシュルシュル声で、多分、私の事を怒りっぽい奴とか文句言ってたと思うけど、仲人さんは「いえいえ、この子は強い馬。良く働きますよ」

するとHunag Taitaiさんが私をじっと見下ろしたの。まるで私の考えを読んでるみたいに。そしてやおら微笑んで(金歯がっ)、まるで私を飲み込まんばかりの勢いで口を開けて笑ったわ。

こうして私はHuang Taitaiの息子の婚約者になったの。彼の名前はTyan-yu(黄空余?)Tyanは空でyuは余り。彼が生まれた時父親が死にそうになって彼は父の人生の余り分になったという事。そんな事があって、とても大事に甘やかされて育ったの。

でも事前にそんな悪い奴と知っていてもどうしようもなかったわ。田舎の遅れた人達の生活はそんなものよ。馬鹿馬鹿しい古い慣習は最後まで残るの。他の町では男は自分で妻を選べたわ。両親の許しは必要だったけど。

もし新しい考えを聞く事はできたとしても、悪い噂にしかならないのよ。そんな悪い妻達のせいで息子達は親を放り出すようになったとか。だから太原では、母親達はこぞって、決して親を放り出さず、長い事お墓を守ってくれるような家庭の娘を選んでいるのよ。

Huang家に嫁ぐ事が決まったので、家族はまるで私を他人のように扱ったわ。おにぎりを幾つも食べたりしたら「Huang家の娘だったら幾つ食べられるか考えなさい!」だって。
母は私を愛さなかった。自分の物じゃないから、何も望まなかったわ。

私は従順な子だったの。暑いか疲れたか病気の時は辛い顔をしていたけど。だけどそんな時母は「そんな醜い顔したらHuang家がもらってくれない。うちを侮辱する気?」だから泣いてもっと醜い顔になってやったわ。「これは契約んだよ。破るわけにはいかないんだからね。」と言われてますます激しく泣いた。

8才か9才になるまで未来の旦那様は見なかったね。私の知ってる世界は質素なうちの敷地だけだった。うちのあった場所は、漢字で天国まで3歩と書く。(三歩天か?)でも実際は、何百年にも渡って汾河の土が体積した場所だ。家の東側は川で、父は小さい子は飲み込まれるぞと言っていたわ。1度は太原の町全部を飲み込んだらしい。夏は茶色で、冬は狭い場所では青緑、広い場所では凍って白だった。正月には大きなぬめぬめした魚を捕りに行ったよ。

その年、未来の旦那様を見た。花火に驚いて赤ん坊のように大口開けて叫んでた。1ヶ月の赤ん坊のお祝いの席でも見たね。その時彼はお婆さんの膝の上にはみ出しそうな体で座り、何を勧められても臭い漬け物でも近づけられたような顔して嫌がっていた。

だから、すぐには好きになれなかったね。Huang家とりわけTaitaiには礼儀正しくするよう躾られた。実の母に「あんたの母さんに挨拶しなさい」と言われると、どの母さんの事かと一瞬混乱したわね。で、実の母の方を一旦振り返ってから、Taitai母さんに餃子をプレゼントしたわ。実の母さんは、それは私が作ったものだとTaitaiに言った。本当はちょっとつついただけなんだけど。

12才の時人生が変わった。



The Joy Luck Club : AN-MEI HSU - Scar

2013-05-15 21:07:20 | BookClub
The Joy Luck ClubThe Joy Luck Club
価格:¥ 1,639(税込)
発売日:2006-09-21


An-meiおばさんの生い立ちです。

私は寧派;という町で育った。
子供の時、婆ちゃんから「お前の母さんは幽霊だ」と言われたので、母の記憶がない。幽霊とは語らざるべからず人物、の意味。従って、私の家族は父と弟と思ってた。

時々、幽霊は子供をさらうそうだ。とりわけ聞き分けのない女の子。しかし私と弟は、がちょうのはらわたのような、誰も欲しがらない卵なので、幽霊にさらわれる心配はないと婆ちゃんは言う。(An-meiは1914年生まれ)

婆ちゃんはいつも怖かったけど、病気になった時はもっと怖かった。私が9才の時、婆ちゃんは業病にかかり、体中腐って異臭を発していた。すると婆ちゃんは私を呼び、いろいろな話をした。。。

ある欲張りな女の子の話。彼女のお腹はどんどん膨れた。ある日誰の子供と聞かれて、服毒自殺した。お腹を開けると、大きなまくわうりが出てきた。「もしお前が欲張りになるとお腹にはお前のお腹を空かすものが入るんだよ」と婆ちゃんは結論する。

また大人の言う事を聞かない女の子の話、ある日彼女は、おばさんに頼まれた簡単な頼み事が嫌で、首を降り続けたら、ついに脳味噌が出てからっぽになってしまった。「あまりいろいろ考えていると、他のものが出ていってしまうよ」

そしていよいよ病気がひどくなる直前、婆ちゃんは言った。「母さんの名前を決して言うな。それはお前の父さんの墓につばをかけるようなもんだ」

私は家の広間の肖像画でしか父を知らない。いつどこにいても、睨んでいるような肖像画だった。婆ちゃんによれば、父は何でも見てるという事だったので、友達に石を投げたり、不注意で本をなくした時は部屋に隠れた。

私にとって、この家は不幸の固まりだったけど、弟にはそうではなかったようで、彼はいつも無邪気に自転車を乗り回し、笑い、おじさんおばさんがいない時はソファで跳ね回っていた。

しかしそんな弟も不幸にする事件が勃発。ある日葬列を見ていたら、家の前で亡くなった人の絵が落ちて、それを笑った弟をおばさんがひっぱたいて「お前にはshouがない。ご先祖様を敬う気持ちがない。お前の母親と一緒だよ」

「お前の母親は北から持参金も持たずに嫁に来た。10組の銀の箸も持たずに来た。お父さんの墓にも敬意を持たない。そして2人の愛人と妻を持つWu Tsingという男と結婚しちまったんだ」弟はそれをなじった。すると弟を、門に押しつけつばを吐いて「よくも言ったな、お前なんか何でもない。お前の母親は裏切り者の最下層の女だ。悪魔にも見下されるんだぞ」私はそれを聞いて、婆ちゃんの話がわかってきた

自分の母親は考えの浅い、よく笑い、人の言う事を聞かない女だ。箸を何度も甘いものに漬ける女だ。婆ちゃんと不幸な父さん、聞き分けのない子供達から解放されて幸福になった。そんな女の子供である事は不幸で、置いて行かれたのも不幸だ。。。という事を、父の絵から隠れている時に考えていた。

ある日、女性が家に来た。
記憶になくても、それは母だとすぐわかった。母は背が高く、学校の横柄な宣教師のような容姿だ。おばさんは目をそらし、お茶も出さず、使用人はさっさと逃げ出す。思わず目が合った母の顔は自分と瓜二つ。

おばさんは婆ちゃんの部屋で防御。しかし母は構わず、「あなたの娘よ。帰ってきたわ」婆ちゃん目をぱちくり。もし元気なら母をさっさと追い出すだろう。

母は美人でスタイルが良い。
部屋に戻ってくるとそこに母がいて、まるで毎日そうしているかのように、長いすに座って、髪の毛をすきはじめた「An-mei、いい子だった?」

私は、自分はお腹に冬瓜を抱えた少女だと思えてきた。
「私が誰だか知っているわよね」
耳から脳味噌が出た。
彼女は私の首筋の傷跡を見つけると撫で始めた。母の記憶が肌に戻る。母は泣き出した。

その時私はは4才。夕食の時間、赤ん坊の弟が婆ちゃんの膝に乗っていた。これから食べようという時、ドアに長身の女性が立っていた。会話が止まる。声を出したのは私。母の所へ走ろうとするが、おばにひっぱたかれる。母は私の名を呼ぶ。婆ちゃん「誰だこの幽霊は?3番目の妾か!娘を連れて行ったら、娘もそうなる。顔なしめ!顔を上げるな!」しかしさらに娘を呼ぶ母の声、

母が近づいて来たその時、テーブルのスープ鍋が倒れて、中身が私の首にぶちまけられる。このような恐ろしい出来事は、子供から記憶を消し去ってしまうのだ。私の鳴き声はすぐにやんでしまった。なぜなら、スープが彼女の喉を焼き、呼吸を困難にしたからだ。

その記憶を思い出した私は、しゃべる事ができない。

さてその事件の夜、(婆ちゃんは信じられない事を言う。)「An-mei、聞きなさい。お前の死に装束を作った。安いやつだ。お前はまだ子供だからな。お前はまだ子供だから死んでも、家族に尽くす義務がある。お前の葬式は小さい。私達が喪に服す時間も短いぞ」
そしてさらに悪い事を「お前の母親は、涙を使い果たした。お前の事などすぐ忘れる」

婆ちゃんは頭が良い。私は、すぐにあの世から母を捜しにこの世に戻ってきた。婆ちゃんは私の喉に冷たい水をあてて、手当をした。婆ちゃんの指はピンセットのように上手に死んだ皮を剥いた。2年かけて傷が癒えて、傷口が閉まり、痛い記憶も一緒に封じ込められ、母の記憶がなくなった。

私は夢の中の母が好きだった。今目の前にいる母は、夢の母とは違うけど、好きだ。謝りに来たのではない。婆ちゃんが、私が死にそうな時に追い出したのだ。私にはわかっている。他の男と結婚して幸せを入れ替えた事もわかっている。

私は母を好きになった。母の中に自分の姿を見たから。その夜婆ちゃんはいよいよ危篤に。私はきれいな服を着て待っていると、母がスープを作っていた。すると母はやおらナイフを取り出し、泣きながら自分の腕を切って肉をスープに入れた。これは母子の縁を取り戻す、古くからのやり方だ。母は婆ちゃんの口を開けてスープを流す。

しかし婆ちゃんは逝った。

私は幼くても理解できた。母と子の絆は骨に深く刻まれている。肉の痛みは何でもなく忘れるべきものだ。絆を思い出すには、傷も皮膚も肉もなくなるまでそぎ落とさなくてはならない事がある。


GW旅行1(月山)

2013-05-08 21:51:17 | 旅行
久しぶりに旅行のお話です。
今年は、月山、八甲田、弘前に行ってまいりました。

旅行には、連休始まってすぐ出発し、土曜のうちに月山に到着しました。今年は雪が多かった上に、4月に入ってから新雪が積もったという事で、雪面は真っ白。しかもGWとは思えない寒さのために、月山スキー場の看板に、「えびのしっぽ」ができておりました。


月山スキー場を滑った事のある方はご存じと思いますが、姥々岳斜面の真ん中をトラバースするコースが毎年GWの頃には自然にできているのですが、今年は4月末の時点で未完成。仕方なくたくさんあるスキーの跡を辿って反対側の斜面に出ましたが、これが急斜面で足元がフワフワ過ぎるため、こわいのなんって!(笑)(いつもはこわいと思っても、コースがちゃんとできているので止まれないだけです(笑))結局、4回チャレンジして、2回怖くて断念しました。(^^;)

写真はリフト乗り場に日替わりで貼られていたメッセージです。

2日目(月曜)は絶好のスキー日和。青森に行かなくちゃならないのに、しっかり昼まで滑ってしまいました。

The Joy Luck Club : JING-MEI WOO -The Joy Luck Club (2)

2013-05-05 11:20:15 | BookClub
The Joy Luck ClubThe Joy Luck Club
価格:¥ 1,639(税込)
発売日:2006-09-21

Joy Luck Clubに参加すべく、周さんの家に行くと父が既に来ている。
実はJing-Meiは遅刻の名人だったようで(笑)

しかしJing-Meiはとても緊張していた。一体、自分は母の代わりになれるのかと。
仕草など母と似ている所はあるが、生前母にそれを言うと一蹴。「知らないくせに」

父はJongさん一家の中国旅行の写真を眺めている。が、うわの空。実は彼は無関心。でも、違いがわからないから皆同じって、中国語で何て言うの?父は母が亡くなってそういう事で困っている様子。

周さんの家は、いつも狭いキッチンで炒め物しているので、ちょっと油臭い。母はそういう油臭い家やレストランに入ると、決まって「鼻がくっついちゃうわ」とわざと大声で言っていた。

周家は昔子供の頃見たそのまま。25年前、チャイナタウンからサンセット地区にAn-meiおばさんとジョージおじさんが移ってきたが、ソファもかえでの机もランプも当時のまま。カレンダーだけが毎年代わってる。

Jing-Meiが覚えていたのは、昔JLCのゲストとして来ていて、年下の子供達の面倒を見なくてはならなかった事。Jing-Meiはお姉さんだったので、もし何かこぼれたり、壊れたりしたら、誰がやったのであろうと全部自分の責任。

当時、母やおばさん達はチャイナドレスに身を包んでいたが、幼いJing-Meiの目には「変な服」JLCも、中国の変な習慣かと思っていた。

今回のJLCは、皆普通の服。まずは会計報告から。
前回はSuyuan(Jing-meiの母)が亡くなったためキャンセル、という話題になったので、母の話が始まると思いきや、皆頷いたのみ。ちょっと心配になる。その後も、皆株(カナダの金)に夢中で一向に麻雀を始める気配なし。

An-meiおばさん、ワンタンを包み始める。
ところで何故、株なのか。。An-meiおばさんによれば、賭け麻雀をすればいつも勝負は決まっているので、株にしたとの事。

you can't have luck when someone else has skill.
中国の諺っぽい

でも今では株のおかげ?で勝ち負けは平等。と、ワンタン作りながら話すおばさん。
おばさんはワンタンを殆ど無意識のうちに作れるのはいいけれど、頭を使わない、と、母が文句を言っていた。領事館に行って、弟のために登録用紙を取って来るようアドバイスしたけど、それを聞いた誰かに、弟は中国で困った事になるとか、あなたはFBIに捕まるとかある事ない事言われて大慌て。

改めてAn-meiおばさんを見ながら、うちのお母さんは、なんでこう人の悪口ばっかり言ってたのかしら?と思うJing-mei
母は、人はみな「5つの要素」から成っていると言っていた。火の要素が強すぎると、癇癪持ちだと。Jing-meiも言われたけれど、父もそう。いつも煙草を吸い、母を怒鳴っていたから、母は心のうちを話す事ができなかった。父はこれを後悔している。

木の要素が足りないと、簡単に人の意見に左右される。これはAn-meiおばさんの事。水の要素が多すぎると、いろいろな事に流され、何をやっても飽きっぽいとか。(Jing-meiの事)

批判好き、迷信好きな母に対して、Jing-meiは、批判は良くない、何も期待してないじゃないと論理的に諭したが、それは期待させるような事をしてないからよと言い込められる始末。

An-meiおばさんのワンタン出来上がり。クレメント通りの醤油付きの五目焼きそばをあさる父。ワンタンはパクチーを散らしたスープで良い香り。豚肉のテンメンジャン炒め、
thin-skinned pastries filled with chopped pork, beef, etc
とは、生春巻?

食事は、Jing-meiがかつて母から聞かされ想像していた桂林版のJLCのお上品さとは全然違い、皆ガツガツ食う。

食事が終わるとめいめいで皿をシンクに運んで(皿ではなく)手を洗う。それは何の儀式だ?なJing-mei、ですが、大人しく彼女も従う。そしていよいよ麻雀。Jing-meiは、誰にも教えてもらわなくても、母が座っていた場所がわかっている。それは東。いつも母は「東は全てが始まる所、日が昇る所、風が吹いてくる所」と言っていた。

An-meiおばさんがパイを混ぜると、向かいからLinおばさんが「お母さんのように強いの?」「いえ、学生時代にユダヤ人の友達とちょっとやっただけです」「ユダヤ人と!?それ麻雀と違うわよ!」

かつて母に、ユダヤ人の麻雀はどこが違うのか、聞いたことがあるが、母の答えは英語で「全然違うわよ。彼らは自分のパイしか見てない。自分の目でしか見てない」そして中国語で「中国の麻雀は頭を使うの。他の人が何を捨てるかよく見るの。ゲームがうまくいってない時はユダヤ麻雀と一緒だわ。あなたは他の誰かがミスするのを見てるのよ」しかし2つの言語を使っての説明ではどうもピンと来ない

Linおばさんにも違いを尋ねてみる。すると「アイヤ~!お母さんから何も聞いてないのか?」Yingおばさんがやさしく手を叩いて、「あんたはおりこうさんだ、私達を良くみていればいい。まずはパイを並べて4つ壁を作るのを手伝っておくれ。」

…という事でゲーム開始。
(ここからペース上げます)
Linおばさんは手が速い。まずはLinおばさんが(日本式に)親。
An-meiおばさん「あんたのお母さん、うまかったよ。プロみたいだよ。」
ゲームをしながら適当な雑談が始まる。Linおばさん「ポン!」といい「マージャン!」(日本式ではロンですね)で上がり。(ちなみに、中国麻雀には、リーチがないそうです)

いろいろな雑談が交わされた後、そろそろおいとましなきゃ、と、Jing-meiが立ち去ろうとすると、JLCのおばさん達は、お母さんの事であなたに伝えたい事がある、と、彼女を止める。話はとても切り出しにくいようだったが、ようやくYinおばさんが口を開く。

「あんたのお母さんは強い人だった。自分よりあんたを愛してたよ。だから理解してね。お母さんには別に2人の娘が中国にいるのよ。生きているうちに会いたがってたわ」

Jing-meiは桂林の双子の赤ん坊を思い出す。
道ばたで泣いていた彼女達を誰かが連れ去ったのだ。

「お母さんは何年も捜して、手紙をやり取りして、ようやく去年住所がわかったの。お父さんに言おうとしていた所だったのよ。ひどい話よ、生涯待ち続けたのね」

そしてAn-meiおばさんから渡された紙には、青いインクで漢字できちんと書かれている。少しにじんでいるのは涙? 姉はちゃんと中国語理解できるのね、と、思うJing-mei。

気が付くと、おばさん達はまるで奇跡のようににこにこしている。
さらに$1,200入りのJune(Jung-meiのアメリカ名) woo宛の封筒。

「姉達が送ってくれたの?」
「いえいえ!違うわよ!私達はずっとお金を貯めていたのよ。あんたのお母さんが1番強いから、ほとんどは彼女のお金ね。これで香港へ行って上海行きの列車に乗って、お姉さん達に会いに行きなさい!」
「お姉さん達に会う…」
「そしてあんたのお母さんの事を話すのよ」
「何言おうかしら?何も知らないんですよ」
するとおばさん達はびっくり。
「お母さんを知らない?あんたの骨なのに!」
「家族について話しなさい。どう成功したとか。」
「お母さんから聞いた事を話しなさい。お母さんから聞いて、心に入った事。」
「親切だった事」
「頭が良かった事」

すると突然、おばさん達は気づく。
自分達の娘も、自分達の事を知らないのではないか?
アメリカに持ってきた真実や希望も伝わってないのか?
中国語が完全には理解されず、英語ヘタクソと思われていたのではないか?
Joy Luckは正しい英語ではない、英語で育った娘達には伝わっているのか?
孫ができたらもう気持ちが伝わらないのではないか?

「全て話します。お母さんの事で思い出せる事」

おばさん達は、最初疑うような顔をしていたが、やがてにっこり。心配だが、やがて伝わってくれる事を願いつつ。

皆食事に戻り、また世間話を始める。
Jing-meiも、母の座っていた場所、東、すなわち、全ての始まりの位置に、座る。


The Joy Luck Club : JING-MEI WOO -The Joy Luck Club (1)

2013-05-04 09:08:28 | BookClub
The Joy Luck ClubThe Joy Luck Club
価格:¥ 1,675(税込)
発売日:2006-09-21

Jing-Meiは2ヶ月前に亡くなった母に代わってJoy Luck Clubに行くよう父から依頼された。父によると、母は何かを思い過ぎて頭が一杯になって亡くなったという。医者によれば死因は脳動脈瘤で、母の友人達は、うさぎのようにあっと言う間に亡くなったわ、と言った。

母は次回のJoy Luck Clubの幹事をやる予定だった。母は亡くなる前の週、リンおばさんは赤い豆のスープを作ったから私は黒ごまのスープを作る、と張り切っていた。どちらも同じようなものよ、と言っていたが、全然違う。
これは中国語で言う所の、

that means the better half of mixed intentions.

でも理解できないのでよく覚えてない。

サンフランシスコ版Joy Luck Clubは1949年、Jing-Meiが生まれる2年前に始まった。両親はその年おしゃれな服だけをもって中国を出発。他のものを詰める時間がなかったのだ。(と母は後で父に説明したらしい)

両親はサンフランシスコに到着後、絹のドレスを隠した。やがてバプティスト教会の世話役と知り合いになり、ちょっと大きすぎる服をもらった。その義理で教会に通う羽目になり、水曜夜の聖書勉強会と、土曜朝の雑用会で英語を習い、そこで周さん、Jongさん、St.Clareさんたちと出会う。彼らもまた人に言えない悲劇を中国に置いて来て、下手な英語では表現できない夢を持っていた。

夫人達のnumbnessを見て取った母は、Joy Luck Clubの開催を提案した。

Joy Luckとは母が桂林で最初に思いついたアイディアだ。暇さえあればいつでも母はその話をしていた。会った事のないバンクーバーの親類から送られたスキーセーターを取り出して、よじれた毛糸を引っ張り、皿に起きながら話してくれた。

「私はそれまでずっと、桂林を夢見ていたのよ。尖った山々や曲がりくねった川。そして川岸の苔。これを食べると元気になるし、落ちても柔らかい苔が受け止めてくれるの。頂上に登ればどんな心配もなくなるのよ。

中国では誰でもそう信じていた。しかしいざ着いてみると、実際の山々は大きな揚げた魚が幾つも重なってその陰が重なり、迫ってくるような怖い所だった。

でも実は私は桂林の美しさを見に来たのではなかった。夫が私と2人の子供を呼んだの何故なら、そこが安全と思ったから。彼は国民党員だったの。そしてその後彼は私たちを2階建ての小さな家に置いて、重慶に旅立ったの。

その頃日本軍が迫っていた。町はあちこちから逃げてきた人で一杯。お金持ちも貧しい人も、上海人、広東人、北の人達、そればかりでなく、外国人や宣教師まで。そして国民党員。彼らは、自分たちが1番偉いと思っていたのよ。

難民達はしょっちゅう争っていた。皆お互いを見下していたわ。私はわけのわからない言葉を喋って言いよってくるアメリカ空軍兵が大嫌いだった。でも最悪なのは北からの人達。あいつらは、手で鼻をかんで他の人になすりつけて、嫌な病気をうつすのよ。

だから桂林の美しさなんてあっという間に吹っ飛んだわ。日本軍は一体どこに潜んでいたのかと思った。ある日赤ん坊を抱えて隠れていた時、サイレンの音で飛び出して、洞窟に隠れたの。でも山が崩れそうで怖かった。外も怖い。一体どこへ逃げたら良いのかわからなかった。空襲が終わった後、私たちは町へ戻ったの。

最初のJoy Luckパーティを思いついたのは、蛾も落ちてしまいそうな蒸し暑い頃。
私と同じように希望を持った顔の3人の若い女性に声をかけたの。軍人の奥さん、上海のお金持ちの家の出身だけど着の身着のままで逃げてきた女の子、貧しい家の生まれでお金持ちの老人と結婚して、すぐに旦那さんに死なれた若い未亡人。

私たちは毎週集まって、縁起の良い料理を作って楽しんだわ。食事の後は麻雀。そしておしゃべり。しかし苦しみや悲しみに目をつぶっていたわけではない。皆怖かったの。だから、毎週正月のようなふりをして、悪いことは終わってしまったようなふりをしていたの。

私は麻雀はたくさん買ったわ。でも、お金持ちにはならなかったわね。紙幣の価値がどんどん下がって、千元紙幣でもトイレの紙ほどの価値もなくなってわよ……」

母の桂林の話はいつもエンディングが違う、中国のおとぎ話と思っていた。

「価値のない千元でお米をカップに半分買って、お粥にして、糊ににして豚足2本と交換して、6つの卵と交換…」(わらし長者かw)のようにどんどん膨らんでいった。

しかしある日、トランジスタラジオをおねだりしたのに買ってくれず「何で持った事のない物を欲しがるの」と、言いながら、全く新しい話を始めた。

要約すると、母は、軍の将校がやってきて、重慶にいる夫のもとへ逃げるよう言われた。友達が賄賂でゲットした荷車に荷物と2人の子供を乗せて、急いで重慶に向かいます。難民達の間では、虐殺の噂も流れていましたが、国民党は桂林は中国軍に守られているので安全だ、と、言い張る。

ところが、数日後、桂林の路上は国民党の勝利を報じる新聞がばらまかれるが、その紙面には、肉や魚のように横たわる人々の姿が……

母は荷車が壊れるまで押し、その後、自慢の麻雀台を捨て、子供と鞄を2つかかえて重慶に向かった。泣く力もない。そのうち傷だらけの腕で耐えられなくなり鞄も捨ててしまう。周りの人も皆同じ状況。

人々は持っていられなくなった財産と希望ををどんどん道に捨てる。母も、重慶に付いた時は上着のように羽織っていた絹のドレスだけ。そして、

「その時の夫はあなたの父さんではない。連れていた子供もあなたではない」


Run!Run!Run!