ぺんぺんぐいん

ぺんぎん歩きは卒業したよ。

でんわ

2007-11-20 00:15:02 | いろいろ
気付いたらひろせくんもかたがみさんも随分と有名になってしまいました。

なので

もろもろ気軽にブログのネタにできなくなりました。ざんねん。

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おほほほ。月日の経つのは早いもので。。

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あー。そうか利益をあげるために活動するのか。
働くってことは学生生活とは全く違うわけね。

今日はそんな文章を読んですごく納得した。

荒海の中から"利益"をかっさらってくるような技術と意志が必要になる場所、
それが社会なんだって。別世界だよね。

将棋で勝つためにやるのと一緒で、やっぱり面白いのかもしれないけど。



でもさ、時代はかわってくじゃん。

四次元ポケットはいまだにないかもしれないけれど、
"知識の"四次元ポケットは生まれてしまった。インターネット。

資本も人脈もなく、日々画面に向かうだけでお金が気軽に稼げるようになった。



緒方貞子は「政治」と「技術」で世界が動いていくと言った。
20世紀を率いたのは「冷戦構造の崩壊」と「グローバリゼーション」であるとのこと。

シリコンバレーを代表するベンチャーキャピタリストの一人、原丈人は、
「経済が文化をつくり、技術が政治をつくる」と言った。

王権時代には豪奢な宮殿なりが作られそれが文化となり、
あるいは印刷技術や輸送手段の発達により、民主主義が可能となったとのこと。

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世界がどう変わっていくのか、というのは絶えず気になるところ。

例えば少なくとももう10年以上前から文系最優秀のアメリカの学生は
投資銀行やらコンサルティングファームに入るようになっていて。

今、東大の中でも優秀と言われる学生は投資銀行・コンサルティングファームに進む人が多い。
官僚の人気は確実に落ちている。

アジアの学生を振り返ってみても、僕の知る限り、
北京やら香港に台湾、シンガポールの学生でも、
やはりいわゆる優秀どころはたいてい、投資銀行にコンサル。

(あるいはgoogleも?今日、スタンフォード工学部の人と
 チャットで話していたらgoogleはすでに見学済みとのことだった、、やっぱ食堂は良いらしいw)



世の中の流行廃りがある中で、10年以上続いてきた流れに乗るのはちょっとあぶないんでないの、
たとえその業界の先細りする姿が見えないにしても、とも思うのだけれど

じゃあどうするのか。

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デジタル技術は今なお世界を変えている。
人々の価値観も変わってきている。

マス的な流行を追いかけるのも、もしかしたら賢いやり方なのかもしれないけれど。
その道が20年後に本当に面白い分野なのか、といわれると、それはわからないし、
たとえば、じゃあ仮に10年だけ働いて1億円くらいの貯金ができるとして、
その1億円を貯金している間に、なにか大切なものを失わないか。

自分の問題意識に本気でぶつかって得られる有形無形の財産と、一億円。
(しかも期待値で考えたら10年で一億の貯金ができるかというと、
 それは投資銀行のトレーダーでばりばりやってもやっぱり大変な気がする。)

ま、失ったら失ったで何も気にならず、なるように生きていけるんだろうなともすごく思うけれど。

やっぱり世界の中でいるなら、なにかしらホットな場所に身を置けたら面白いと思う。

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国連などなどを機軸とした貧困削減の歩みの先もなんとなく気になる。
WTO体制にはすでに翳りが見えてるんでしょ?
多極化する世界の中で戦後以降設けられてきた体制もきしみ始めているという議論はまったく珍しくない。

あんまり明るい未来はなく、しばらくすればまた政治的に
大きな緊張を孕む世界になっているのかもしれないし。

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引用。今日は原丈人という人の本を少し読んでいたのですね。
どこぞの副会長がおすすめだったらしい。

   新しい技術が生まれ、世の中の枠組みが変化すれば、
   すべてが変化するということを忘れてはいけません。
   西部開拓の時代からアメリカ各地で発達し、重要な交通機関となった
   幌馬車のことを知っている人がいま、どれだけいるでしょうか。
   各地で設立されたたくさんの幌馬車会社をつぎつぎと買収し、一握りの大企業が
   ようやく独占的な支配を確立した頃、現れたのが鉄道です。
   そして巨大化した幌馬車会社は、あっけなく消えてしまったのです。
   歴史が教えてくれるこういう事実は、今から振り返ればごく当たり前のことでしょう。
   しかし当時、長距離を移動する乗り物といえば幌馬車しか知らなかった大多数の人々にとっては、
   いつか幌馬車会社がなくなるなどということは想像すらできなかったのです。

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どんな世界でも飛び込もうと思うし、どんなことでもやってみようと思うけれど、
それはやっぱり世界を掴むための活動に位置づけたい。これは学生のわがままか。



社会といわれる範囲での状況があって、自分がリアルに認識できる限りでの世界があって。

資本主義も民主主義も組織論も経営手法も諸々がそう遠くないうちに問い直されるんだろうなと思うから

未来から見た時の"クラシックな"現場に敢えて飛び込むのも
アリだろうし、それとも飛び込まないのもいいかもしれない。

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なにかの選択肢を選んだ時、きっとあっぷあっぷするんだろうなと思う。
会社で働いて上司に飲みにつれていかされてぐだぐだに潰されて次の日も9時出社。ああ大変。

身体的な限界は確実にあるわけで、自分の生命が脅かされることは簡単なことだとも思う。
そうして入院でもしたら、世界がどうとかもうどうでもよくなるんだろうなぁ。

とはいえとはいえ。


やっぱり"常識"になってることってちょっと"ホントなの?"って思いたくなるじゃん。

ひねくれてるかな。



一番見晴らしのいい場所はどこなんでしょう。世界を眺めるのにいい場所。

モンブランも地中海もよかった。日本ならやっぱり富士山?
それもいいんだけど、でもそれは古典的な"見晴らしのいい場所"だよね。

動的なダイナミズムを持つこの社会をもっともリアルにそしてリアルタイムに眺められるような場所。

ぼくはこれを"7つの職業"と表現している。

変わり行く時代の中で、流れに浮かびつ沈みつ、気ままに、世界を舐めるように眺め回せる立ち位置。



どこをどう歩いたらたどり着くのでしょう。

とりあえず3歳から103歳まで、いろんな人と話していこう。