ぺんぺんぐいん

ぺんぎん歩きは卒業したよ。

うおうお

2007-11-27 20:11:47 | いろいろ
ふと気になって、自分がいまやるべきことを全て書き出してみた。

・・・

やばい。やばすぎる。山積みだ。やまづみくん。

++

特に根拠もなく「最近は時間に余裕がある」と思っていたら
明らかに思い込みでしかなかった。
どおりでなんとなくもやもやしていたわけだ。

AISEP直前期に負けず劣らずの状態なのかもしれない。
たしかにほとんど毎日終電帰りって明らかにおかしい。

それなのに自分はヒマなはず、特に何もやらなくていいはず、って思い込んでたから
妙にやるべきことが溜まりに溜まってしまい。 



覚悟を決めて、ばりばり動くようにします。

++

それにしても就職活動、終わりが無いというのはなかなか大変なことですね

はろはろ

2007-11-27 03:57:22 | いろいろ
ねむい。

人のブログにコメントしようとしたら、
「コメントは最大500文字までです」とか表示されて困りましたw

なのでココに書きまする。

元ブログはこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/shennmulu/38106434.html

一般向けのパフォーマンスをするのと、自己表現を追及することの、
どちらをとるべきなのか色々考えている後輩のブログでした。

+++++

最高美を追求すればいいんじゃないの?w

学園祭とかなら多様な人が見に来てるわけだし。
サークル員の自己表現の場でもあるわけだし。

ただ、たとえば幼稚園のお楽しみ会の営業に行って、
暗黒舞踏みたいのを見せるのは、
1)先方の依頼を受けている(=先方のニーズに合わせる必要性)
2)暗黒舞踏のようなわけわからないものは、
  「幼稚園児に見せたいもの」という依頼者のニーズにそぐわないであろうこと
から、不適切と考えられる。けど。

+++

もちろん学園祭のような多様な人がいて、かつ、
「自己表現のための場」という要素がある場においても、
もし演者の自己表現を追及したものが、
見に来ている人のある程度多数が「つまらない」と思うようなものであれば
自己表現を追及することに懐疑的になるのもうなづける。

そういう場合、「自分の表現したいこと」群と、「観客の求めているもの」群との
ある程度の刷り合わせを試みるのも良いだろう。

++

さて「一般ウケするものを」という話の由来については

「ジャグラーしかわからんようなマニアックなものをやるのはまずいんでないの?」
という話なんだと認識してる。

例えばまらばりステージは案外サークル員やジャグリング関係者が
観客の6-7割を占めていたりして、
「関係者しか楽しめないものではなく、学園祭に来たより多くの人が楽しめるものを」
という目的の下にステージを構成するのであれば、
ジャグリング専門知識の無い人たちでも楽しめる演技内容を作る必要があるだろう。

それは例えば、「超難易度の高いが地味な技を、汚くよろよろしながらでもやる」よりは
「難易度は(ジャグラー的には)易しいものでも、形も綺麗にできる技を多く取り入れる」
という姿勢を打ち出すなどして実現される。

(ちなみにこれは、ジャグリングの専門知識がなければ、
 技の難易度は相対的に理解しづらく、難易度の高い技を
 やることにこだわる意義が若干薄れることに由来する判断。)

++

だから、まらばりで言う「一般向け」の話と、
「自己表現か、観客の嗜好に合わせるか」という命題とは、厳密には少し違うと思う。

前者においては、
「ジャグリング技術を専門的に知っている人にはウケるが、
 ジャグリングをよく知らない人相手にはもっと別のやり方の方が
 ウケが良いようなパフォーマンス」が問題となる。

他方、後者はもっと一般的な話で、
たとえば専務のパフォーマンスも、ジャグリング技術に特化したものではなく、
いわゆる芸術的なパフォーマンスのため、
もし専務のパフォーマンスを駒場祭でやることの是非を問うのであれば、
こちらの枠組みで考える必要があると思う。

++

ただし、ダリの例については一言指摘したくて。

ダリはたしかに「わからない芸術」の例として適切だけど、
一般の人が見に行くに際してはけっこう「わからないものを見に行く」
という意識が強いんじゃないかと思う。
それで解説読んでわかった気になってみたりして。

それは、ダリが社会的に認められているからこそ、
「わからないけど、(有名だし)見に行ってみたい」という奇特な感情が
一般人にも起きるわけだよね。

自分のパフォーマンスと比較対象して考えるなら、
本当にわけのわからなくて、かつ、まったく無名な現代芸術を考えるといいのでは。
そして、そういう現代芸術に、わざわざ足を運ぶ一般人はなかなかいないよね。

++

「自己表現が許されない場」はなかなかないと思う。

幼稚園の例だって、ある程度ちゃんと幼稚園児も愉しませる内容が含まれているなら、
幼稚園児がぽかーんとするような謎な演技をちょっとやったって
クライアントが不満に思うことはないだろう。

また、観客が全く愉しまなかったとしても、
なにかしらの影響を観客に与えることもできるかもしれない。
「ふうん。へんなの。」としか思われないとしても、
少なくとも「へんなの。」と思ってくれてるわけだから、反応は0ではない。
「なんでこの演者はこんなことやってんだろ?」と少しでも考えてくれたなら、
それで成功といえるかもしれないわけで。
「なにかを感じてくれた」ら良しとする、というのもアリ。

だから無名の現代芸術だって、学園祭に展示することは全然アリだとぼくは思う。

++

なんかコメント記入の欄が小さくて、
今どれだけ長々と書き連ねているのかよくわからないけどwww、

専務の今回のパフォーマンスは、
まあ、ぽかーんとした人は(特に前半部分で)わりかしいるとは思うけどね。^^;

もしも、まらばりステージが、まらばりステージに見に来る人の
大多数が本当に見たいものだけを提供するために開催されているのであれば、
適切なパフォーマンスではなかったと言える、かもしれない。

でも、駒場祭のステージは自己表現の場としての要素もあると思うし、
専務のパフォーマンスを面白いと思わないような人に対して
「こういうのもアリでしょ?」と敢えて問題提起する、
という意義もあったと思う。

+++

ま、個人的には、震えが来たパフォーマンスは専務のだけだったから、
むしろ断然愉しませてもらったわけなのだけれども。

と、諸々専務のパフォーマンスを引き合いに出してしまい
しかも長々と書いてしまいましたがどうなんでしょ。

++

バレエのも諸々つっこみたいところはあるのだけれども。

それも社会的権威をすでに獲得しているところが大きい。
すでに、「一般的な個人のわかる/わからない」によって
内容の是非を問うことはできないと思われる。

個人的に理解できなくても例えば「バレエを見た」ことでもう満足する観客もいるだろうし、
個人的に理解できなくても例えば「理解したければ、ちゃんと事前学習してきなさい」
と言うことすらまかり通るだろう。

まあそんなところで。

もろもろおつかれー

++


なんで人のブログに3000文字もwww