ぺんぺんぐいん

ぺんぎん歩きは卒業したよ。

今日は

2006-03-15 12:08:36 | いろいろ
ロダンとポロックを見てくる。両方初めて。

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小学生のころ海外で一緒の日本人学校だった人と、連絡がとれた。今は同じ大学。

小学3年生にして、「ナポレオンっていう名前は『+*&%$#』って意味があるんだよ」とかなんとか、
なんか異様に博識だったのを覚えてる。
(てかナポレオンの由来ってなんだ?レオンはライオンなのかな?ナポは?誰か教えて。。)

というか、「博識な小3」っていったい・・

4年前、大学に入ったばかりのころ見かけたような気がしたのだけど、
実はむこうもその後学館で僕が将棋を指してるのとか見かけていたらしい。
あとは高3の高校竜王戦のでインタビューされた記事とか。

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ひさびさに麻布掲示板に書き込んで、ふと「公の場にさらされる事柄というのが多くなったな」と思った。
こういうブログもそう、mixiなどのSNSもそう。

ほんとなら、中学生とか相手に接する時ってたぶんこっちは大人っぽく振舞ってみせるものなのだと思う。
が しかし ブログ書いてると「あぁこの人はヘンな人なんだ」とか
「なんかくだらないことで悩んでるなぁ」とか、全部筒抜け。笑

それでも、小学生の頃の知り合いをネットで探そうとしてもなかなか見つからない。
よっぽど偶然の縁でもない限り。

当時の連絡先だって、つながる可能性はまずない。
不景気だったことで、多くの企業は海外支社撤退とか縮小とかしてるから。

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日本人学校は一学年20人程度の、今思えば小さな学校だった。

それでも教育はしっかりしていた、というよりむしろ理想に近い教育が施されてい
たのではないかと思う。

今日本に戻ってみて、例えば「南米のペルーの日本人学校」って聞いたら、たぶん自分を含めて多くの人が
「あまり立派でない校舎、教科書、日本人も少なくて大変な環境」のような感じで思い浮かべると思う。

でも今思い返してみると、
口にはせずとも先生たちが「理想」を心に秘めて毎日に取り組んでいるということが幼い自分にもはっきりと伝わってきていて、
異国の地でのマイノリティ同士のつながり、という意味では家族のような距離で接することができた面もいろいろある気がする。

「そっか、ここでは自分たちが「外国人」なんだ」、っていう発見とかなんとか。
異文化の中で暮らしてるからこその体験とかは、よく言われているように、いろいろある。

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だけど自分は結局英語を完全に忘れちゃって中学1年の頃には
「CAME?SWAM?あー えーと なんだったっけ?」みたいな状態だったし、

あとアメリカ行く直前は1週間ごはんが喉を通らなかったらしいし、
帰ってきてからもなんか漠然とした喪失感みたいなのがあったし、
あと弟は日本の夏にむちゃくちゃ苦しんでいたし
(生まれてからずっと温暖な気候で過ごしてきたから、うまく汗がかけなかったらしい)、
現地校に通ってた人なら「ひらがなとカタカナがよくわからない」とかよくあるし、
日本人の子供は誘拐されることもあるし、(しかも身代金目当てじゃなくて、そのままどこかへ売り飛ばされる!)

まあいろいろと心配事は絶えない。

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なんかまとまらないうちに家を出ることに。

あ、べつにペルーに住んでいたわけではありません。笑 たとえね、たとえ。