goo blog サービス終了のお知らせ 

うちのおばはんはのんきにスイーツをむさぼっていたけど

2013-08-05 22:13:17 | インポート

こんばんは~、マリーで~す。

今日はね、うちのおばはんお昼過ぎから夕方までずっと荻窪にいたの。もう何年も前から知り合いの人たちの噂になっていた有名な喫茶店がなんと荻窪と吉祥寺にも出店したのよねえ。あの人、コメダ珈琲っていうそのお店が東京に来たら絶対行ってみたいと思っていたのよ。あの人があこがれていたのはそのお店の名物スイーツのシロノワールっていう、ソフトクリームが乗っていて、その上にまた蜜をかけて食べる大きな菓子パンだったの。

うちのおばはんて、お酒はまるっきり飲めない代わり、甘いものは大好きって人だから、あの大きなシロノワールをぜひ一度食べてみたいと思っていたわけよ。こんなお菓子なんだけどさ。

     

こうなると味よりまずはビジュアルでたべてみたくなるじゃないの。 もちろん味もおいしいけどね。

それでコメダに行ってみたら、これがすごく居心地のいいお店だったの。座席も広くてゆったりしているし、のんびりしていてもせかされないし、あの人、タブレットを持って行ってたから、そのまま夕方までずっと涼しいコメダにいたんだわさ。

確かにあそこはすっごくいい雰囲気のお店よ。

だけどあの人がのんびり半日過ごしておうちに帰ってきてテレビをつけたらちょうど沖縄のヘリコプター墜落のニュースが入ってきたところだったの。沖縄は○次嶺さんていう、あの人の代母さまが沖縄の人だったから今でもなんとなく気になるのよね。

さっきの9時のニュースでも、沖縄ではオスプレイのこともあってかなりの問題みたいじゃないの。難しい問題だけど簡単に片付けたりしないで今後のためにもちゃんと考えてもらわないと困ることなんだと思うわ。まったくもう、うちのおばはんも甘いお菓子のことだけじゃなくて、辛い現実もちゃんと見てよね。ほんと。

まあ、この辺でやめないとあの人、睨んでるから沖縄ってほんとに難しいんだってことでおしまいよ。

ほんじゃまたね。

 


あれっ、ちょっと待ってよ

2013-08-04 23:27:09 | インポート

こんばんは~、マリーで~す。

今日はねえ、ちょっと大きな地震があったじゃない。うちのおばはんの目の前で扇風機がガタガタ揺れ動いちゃっててもあの人、最初は地震に気がつかなかったのよ。今お隣のマンションで中の改築工事をやってるから最初そのせいかと勘違いして、隣は音はうるさいけど振動はないなあって、やっと地震に気がついたのよ。

ほんでもってYahooの地震速報をみたら予想以上に大きめの地震じゃない。あの人一昨年の大震災の時を思い出して出かけるのがこわくなっちゃって行く予定だった千鳥が淵の戦没者墓苑も行くのをやめちゃったの。

今、杖をついてよたよた歩いていて、千鳥が淵は交通の便がよくないのに万一何かあるととても歩いて帰れないって心配になっちゃったのよね。もう2年も経ったのにまだあの日のことが忘れられないんだわさ。

そんなわけで今日はおうちで久しぶりにウォークマンの曲の入れ替えをしながらユーチューブであの人の世代の懐メロを聴いて懐かしがってたの。あの岡林信康さんの灯台守の歌なんて想像もしたことがなかったわよ。ああ、そっか、でももともとは牧師の息子だし案外今もこころは社会の灯台守なのかもね。

今日はそんなこんなで、あの人もなんだかしょぼくれた一日だったみたいよ。なんたって、ツイッターで知ってる人のツイートに人生の残り時間の計算法なんてのがあって、あのひと面白がってつい試したら現在63歳と8ヶ月か9ヶ月のうちのおばはんの場合、長くても20年いけばいいほうなのに気がついちゃったのよ。そこまでいかない可能性だって高いもんね。

あの人も相変わらずのお間抜けさんよね。自分の今の年齢を考えてみれば、後どのくらいのことができるかとか予想がつきそうなものなのに、考えてないのよねえ、まったくさあ。あっという間におしまいに近づいちゃうじゃないの。

もうちょっとまじめに考えてほしいわよ、ほんとにもう。それとも考えてなくても感じてるのかな? 岡林信康さんが歌ってる灯台守じゃないけどさ、意味のある人生を送ってちょうだいよね。ま、今日はそんなとこかな。ほんじゃまたね。

 


夏の土曜日は朝からのんびりモード

2013-08-03 11:08:20 | インポート

部屋の掃除と洗濯だけは終わらせて、合間にテレビ。あまちゃん、間をあけて水谷豊さんの美術館案内に久しぶりに若大将の散歩。見ながら仕事をしてまた間をあけて、今日はお昼から夕方まで5時間半の「相棒祭り」があるそうだ。なんとも本当にのんびりした夏休み気分。でも残念ながら最後まで見ているわけにいかないから、夕方は四ツ谷。また何かあれば続きは夜。


夕方、まだ時間があるからと思い、ゆっくり歩いて西荻窪から荻窪まで各駅停車で一駅乗って荻窪で下車、ここで快速に乗り換えれば土・日・休は中野まで止まらないから四ツ谷には十分余裕をもって着くはずだったのが、なんと今日はその時間は吉祥寺で急病人がでて、そのために快速が遅れ遅れて、四ツ谷についたのはとっくにミサが始まっている時間だった。まあ、時にはこういうこともあるというわけだ。

おかげで電車を待っている間にこの間から気になっていた、昔、NHKみんなのうたで聞いた歌の歌詞を今朝検索で見つけてメモしておいたのを読み直していた。歌の題も忘れて覚えていたのは別役実さんの作詞だったことだけだったのだが、NHKみんなのうた、別役実作詞でちゃんと出てきたのにはびっくりした。風の子守歌という題の歌だ。

歌自体は子供でもすぐに覚えられるくらいの軽いあまり印象に残らない歌なのだが、大人が聞くと歌詞のことばの意味の重さがずんと心に響いてくる歌だった。読んでみたい方はご自分で探してみてほしい。プロの劇作家・詩人の詩だ。あまり気軽に引用したくない。あの言葉の重さ、意味の重さのわかる方に読んでほしい気がする。https://www.youtube.com/watch?v=FEYRCPUocgw  これです。

あのころはまだカセットテープが優勢だったから、この歌もテープにとって何度も聴いていたのだが、引越しのときについにテープを処理してしまい、その後みんなのうたのどのCDに入っているのかもわからないまま年月がたってしまった。でも、ぜひあの歌や歌詞をもう一度なんとかしてと、うろ覚えの記憶を頼りにあれこれ検索して見つけたのだ。風の子守唄、とてもよい歌だと思う。※私が持っていたのは女の子が歌っていた版で岸部四郎版ではないのでお間違いなく。

  



今年は住まいの契約更新

2013-08-02 21:36:25 | インポート

こんばんは~、マリーで~す。

うちのおばはんはさっき四谷から帰ってきて、大家さんの住まいに寄ったのだけど、会計を担当している奥さんがお留守だったからまた後で出直さなくちゃならないのよね。今年は部屋の契約更新の年で、うちのおばはんもこの二年のうちに次の住まいを探さないと、足腰が悪くなって外階段の三階じゃきつくなっちゃってるんだけど、とりあえずもう二年の契約更新よ。

今、あの人が住んでるのは大家さんの個人マンションだから一部が大家さんの住まいで、大家さんの都合で家賃も銀行振り込みじゃなくて、毎月大家さんに直接払いに行くの。最近は大家さんご夫妻もお年で、新しい住人はもう不動産屋さんに任せているらしいけど、古い人はまだ大家さんの直接管理なのね。

不動産屋さん管理のほうは部屋も改築してお風呂もついてるけど、うちのおばはんの住んでるところは古いまま。そのかわり、このあたりとしては安いし交通も便利だったのに、あの人自身の健康状態がここに向かなくなってきちゃったんじゃ、これはどうしようもないわよ。

まあ、この先、どうなるんだかよくわからないけどどこかに移らなくちゃならないことだけは確かなんだわさ。今月の半ばくらいに介護保険のほうも動くみたいだから、それからでないとまだどこから手をつけたらいいのかあの人もよくわからないみたいなのよ。

とにかく暑いうちは動きようがないし、秋の涼しい季節になったらこの先のことも本気になるんじゃないかしら。今はさあ、あまりの暑さで毎日何をしててもまるで心ここにあらずで半分ボケーっとしちゃってるからもうちょっと時を待つしかないみたいよ。まあ、冷房がないんだし、あの人も熱中症にだけは気をつけてほしいんだわ。

 


八月

2013-08-01 21:27:55 | インポート

日本の八月はやはりなんといってもお盆の季節だろう。都会では最近は新暦にあわせて七月にお盆を済ませたりもするが、多くは今も旧暦で、郷里に帰って親類縁者とともにこの時期を過ごす。

この時期は今ここに生きている自分と遥か遠い昔の先祖たちとのつながりを思い起こす時間だろう。ふだんは何も考えずうわべの時間を生きているけれど、人生はやはりそれだけではない。一人暮らしで帰る故郷もない人だとしても、思い出を取り戻す時間かもしれない。

思い出とか、心の世界というのは思っているより重要なものなのだ。心が充足していれば、一人暮らしだろうと、貧しい生活だろうと、将来が見通せない状況だろうと、実はなんとかなるのだ。

では心の充足はどこから来るのかといえば、当方は一応カトリック信者だから「祈り」の効用を信じている。ただ、その「祈り」というのは、あれがほしい、これがほしい、こうなればよいとかいうような求めるだけのもののことではない。
 
「祈り」というのは神様とお話することだそうだ。人間と人間の間での話し合いでも、どちらか一方が言いたいことを言うだけで、相手の言うことを聞こうとしないとしたら、それこそ話にならないわけだ。話はこちらが話すだけではなくて相手の言う言葉も聞かなくてはどうにもならない。

姿もなく声もなく気配もない神様の語る沈黙の声をどうやって聞き取るのかといえば、これはもう自分の心を耕すしかなかろう。昔々、ある方は内面の充実という言葉をおっしゃっていた。そう、必要なのは心の豊かさというものなのかもしれない。

こういったものがないまま、外に向かっての働きかけ、宣教だ、伝道だといっても中身がなければ何も生まれてはこないのだ。

今、日本ではお盆の近づいてくる時期、今、ここにいる自分とおじいさん、おばあさんとのつながりでもいいし、さらにはもっと遠いご先祖様でもいい、とにかく、今、自分がここに生きて存在していることの不思議を見直すあたりからはじめたらどうだろうか。

この世のどこにもいなかった自分が今生きてここにいる不思議、そんなことに思いを向けてみるにはお盆はよいときかもしれない。