たしか、うちのおばはんの記憶にある一番古いパパ様のお名前がピオ十二世だったと思うんだけど、この方が、発表した回勅(アド・チェリ・レジナム)で決まったんですって。ほんでもって、“マリアは神の母であり、新しいエバとしてイエスのあがないの業に参与した”って言う教えを発表したのね。昔々から大抵の信者は心の中でそう思っていたけど、ピオ十二世が認めるまでは教会として正式な教えになってなかったの。そんなのすごく変よね。ピオ十二世は勇気のあるとっても深い心を持ったパパ様だったんだと思うわ。
だからってわけじゃないけど、今日はあの人と一緒に四ツ谷の昼ミサに行って、終わってから水曜ティー・サロンを覗いたら、あの人の聖歌隊にいた頃の昔の知り合いがいたから二人であれこれ、おしゃべりしてたの。知り合いは中医学を勉強している方で、中医って、普通の漢方よりももっと素人のうちのおばはんにはむずかしい世界みたい。セミの抜け殻だとか蛇もお薬の範疇に入るらしいのよ。もっともおばはんの知り合いの方はそういうものが大嫌いでいじりたくなかったんですって。
昔の知り合いにあって話したおかげで、あの人、聖歌隊は基本辞めたけど、新垣先生のいらっしゃる日だけもぐりこもうかなって、考え直してたわ。このあいだ隠れキリシタンの子孫の知り合いもそんなことを言ってたし、歌えなくても新垣先生のお話は聞くだけの価値があると思ったみたいよ。
今日はもう二十二日でしょう、八月ももうあと十日もないのよね。この先どうなるんだかさっぱりわからないけどさ、とにかくあの人も出来ることを一生懸命やってくしかないじゃない。少しは気合を入れようってんで。信者じゃない若い子達にロザリオのネックレスがはやってるそうだから、うちのおばはんも目立たない程度に真似することにしたのよ。
でも美しい本物のガーネットのチョーカーにもなりそうなロザリオはまさかぶら下げられないから(目立ちすぎてはずかしいからやだって)、フィリピン土産のプラスチックの丈夫なスカプラリオとロザリオが一緒になったようなのをぶら下げてみるつもりみたい。もうちょっといい品物のほうが見た目もいいのになんだか、うちのおばはん。どうも中途半端なんだわさ。まあいいけどね。
なんでもやってみてちょうだいね。気まぐれでもなんでも次に移るエネルギーの発火点にならないともかぎらないもんね。ってことで本日の話はおしまい。
ほんじゃまたね。
あ、いけない。忘れてた。こんなの。地味すぎの感じだけど。