リマのローザという聖人の名前を聞くと、30年も前の記憶がよみがえってくる。その頃、当方は毎朝、会社に出勤する前に四ツ谷の教会の早朝のミサに出て、そのあと飯田橋の会社まで歩いて出勤するのが日課だった。
今と違い、若くて元気だった頃だから早起きも早出も平気で、時には朝の7時のミサではなくて6時のミサに出たくらいだ。確か昔々の四ツ谷の早朝のミサは5時半、6時、7時、7時半だったと思う。
ある日、たまたま朝の6時のミサに出ると、知っている顔を見かけてちょっとびっくりした。同じヨンパルト神父様のグループで一緒の若い女性だ。名前も忘れてしまったが、とても可愛らしい方で、ご両親はお医者様、裕福なご家庭の彼女は一人娘ですでに結婚している方だった。彼女は洗礼を受ける前から自分の霊名は、リマのローザと決めていてみんなにそう話していたし、実際、リマのローザの名を霊名にした。彼女とそれほど親しいわけではなかったのに覚えているのも、リマのローザという聖人の名が当時、珍しかったからだ。
その彼女がなぜか早朝のミサに来ていたのだ。おまけにミサの後、声をかけてきて、時間があったらどこかで朝ごはんを食べて行かないかと誘ってきたので、会社に行く途中にある喫茶店でコーヒーセットを頼んでおしゃべりをしたわけだ。内容も教会のこと、キリスト教のこと、信仰のことを話しただけだ。
それが彼女と話した最初で最後だった。しばらくして彼女は自殺してしまったのだ。これは結構ショックなはなしで、何の苦労もない幸せそうな方がなぜ? どうして? 彼女にとってリマのローザはなんだったのだろう、とその後かなり考えてしまったがわからないままに終わった。
その後、自分が代母を引き受けた女の子が引きこもりから回復して安心していたら、鬱病で自殺してしまったのだった。これもショックだった。なぜ? その子のお母さんはその子の自殺をきっかけにカトリックになったのだが、しかし、その子の死への なぜ? は消えない。
知り合いのある女の子は、幼児期に実のお母さんとお父さんのお母さん、彼女にとってのお祖母さんが仲がわるくて、ある時お祖母さんが首を吊って死んでしまい、幼い彼女が第一発見者だったのだそうだ。それ以来末っ子の彼女はお祖母さんの死で、険悪な仲になったお母さんとお父さんの間でいつしか二人の取り持ち役を務めていたのだそうだ。
その子は、今ではおかしな全能感をもってしまっていて、まわりを困らせているのだけれど、その始まりのお祖母さんの自殺を考えると、ただやたらにも責められない気がする。とにかく、人の自殺と言うのは周りの人々にとっても大変な問題なのだ。
リマのローザを霊名に選んだあの人はもしや、今となっては確かめられないけれど、一人っ子で、多分ご主人は養子だったのかもしれないし、何の不自由も問題もなく見えても、家庭内ではもしかして家族間のいさかい、実のご両親と養子のご主人の関係で何かあったのかもしれないし、いまでいうドメスティックバイオレンスの問題も考えられそう。もうだれも真相にたどり着かないとはいえ、彼女がリマのローザの名を選んだのは、何の意味もないことだったとは思えないのだ。
家庭内の問題は当事者にしかわからないことで、回りはその結果で起こる、さまざまな問題に悩まされるものの、根源にある問題をどうすることもできないのだ。リマのローザについて書かれた短い説明の中のこの言葉は実は非常に意味深なもののような気がしてならない。
『彼女は、南アメリカで生まれた最初の聖人であり、「ロサ・デ・サンタ・マリア」として知られている。家庭内の問題、傷害に際して、彼女の取り次ぎを求める人も多い。』
家族、家庭は人にとって愛を学ぶ一番初めの場であり、同時に、人間関係の複雑さ、ドメスティックバイオレンスのようなゆがんだ愛の生まれる場でもあるのだ。リマのローザという方にあまりなじみがないのだが、家族の問題に悩み、傷ついている方々のために取り次ぎをお願いしたい気がしている。
今と違い、若くて元気だった頃だから早起きも早出も平気で、時には朝の7時のミサではなくて6時のミサに出たくらいだ。確か昔々の四ツ谷の早朝のミサは5時半、6時、7時、7時半だったと思う。
ある日、たまたま朝の6時のミサに出ると、知っている顔を見かけてちょっとびっくりした。同じヨンパルト神父様のグループで一緒の若い女性だ。名前も忘れてしまったが、とても可愛らしい方で、ご両親はお医者様、裕福なご家庭の彼女は一人娘ですでに結婚している方だった。彼女は洗礼を受ける前から自分の霊名は、リマのローザと決めていてみんなにそう話していたし、実際、リマのローザの名を霊名にした。彼女とそれほど親しいわけではなかったのに覚えているのも、リマのローザという聖人の名が当時、珍しかったからだ。
その彼女がなぜか早朝のミサに来ていたのだ。おまけにミサの後、声をかけてきて、時間があったらどこかで朝ごはんを食べて行かないかと誘ってきたので、会社に行く途中にある喫茶店でコーヒーセットを頼んでおしゃべりをしたわけだ。内容も教会のこと、キリスト教のこと、信仰のことを話しただけだ。
それが彼女と話した最初で最後だった。しばらくして彼女は自殺してしまったのだ。これは結構ショックなはなしで、何の苦労もない幸せそうな方がなぜ? どうして? 彼女にとってリマのローザはなんだったのだろう、とその後かなり考えてしまったがわからないままに終わった。
その後、自分が代母を引き受けた女の子が引きこもりから回復して安心していたら、鬱病で自殺してしまったのだった。これもショックだった。なぜ? その子のお母さんはその子の自殺をきっかけにカトリックになったのだが、しかし、その子の死への なぜ? は消えない。
知り合いのある女の子は、幼児期に実のお母さんとお父さんのお母さん、彼女にとってのお祖母さんが仲がわるくて、ある時お祖母さんが首を吊って死んでしまい、幼い彼女が第一発見者だったのだそうだ。それ以来末っ子の彼女はお祖母さんの死で、険悪な仲になったお母さんとお父さんの間でいつしか二人の取り持ち役を務めていたのだそうだ。
その子は、今ではおかしな全能感をもってしまっていて、まわりを困らせているのだけれど、その始まりのお祖母さんの自殺を考えると、ただやたらにも責められない気がする。とにかく、人の自殺と言うのは周りの人々にとっても大変な問題なのだ。
リマのローザを霊名に選んだあの人はもしや、今となっては確かめられないけれど、一人っ子で、多分ご主人は養子だったのかもしれないし、何の不自由も問題もなく見えても、家庭内ではもしかして家族間のいさかい、実のご両親と養子のご主人の関係で何かあったのかもしれないし、いまでいうドメスティックバイオレンスの問題も考えられそう。もうだれも真相にたどり着かないとはいえ、彼女がリマのローザの名を選んだのは、何の意味もないことだったとは思えないのだ。
家庭内の問題は当事者にしかわからないことで、回りはその結果で起こる、さまざまな問題に悩まされるものの、根源にある問題をどうすることもできないのだ。リマのローザについて書かれた短い説明の中のこの言葉は実は非常に意味深なもののような気がしてならない。
『彼女は、南アメリカで生まれた最初の聖人であり、「ロサ・デ・サンタ・マリア」として知られている。家庭内の問題、傷害に際して、彼女の取り次ぎを求める人も多い。』
家族、家庭は人にとって愛を学ぶ一番初めの場であり、同時に、人間関係の複雑さ、ドメスティックバイオレンスのようなゆがんだ愛の生まれる場でもあるのだ。リマのローザという方にあまりなじみがないのだが、家族の問題に悩み、傷ついている方々のために取り次ぎをお願いしたい気がしている。