4本目の蝋燭が灯った

2011-12-17 22:01:10 | インポート
毎年のことなのだが、今年もついに待降節の蝋燭が4本灯った。あっという間にもう来週はクリスマスだ。

聞いた話では今、ヨーロッパの国々ではキリスト教は日本の仏教と同じように衰退してきているのだそうだ。歴史や文化の背景としてのキリスト教は歴然として生きてはいるのだが、多くの人々の宗教的な飢えや渇きを満たす力を失っているのだという。その代わりにその昔の植民地だった国々からの多くの移民たちのもたらしたイスラームの教えに心を惹かれる人々が増えているのだそうだ。子供の出生率等から言っても将来のヨーロッパの各国はイスラームの国々になる可能性が極めて高いのだという。

ヨーロッパ、特にフランスでのイスラームのことは30年以上も昔、多少かかわりのあったイエスの小さい姉妹の友愛会という、シャルル・ド・フコーの影響から生まれた修道会のシスターに伺って少しは知っていた。その会は砂漠のイスラームの民と一緒に住んだりしているとも聞いた。また東方典礼のカトリック教会についてもこの会のシスターからうかがった。今のローマ教皇庁大使閣下は確かインドの東方典礼のカトリック教会出身ではなかったかしら。

日本のカトリックは本当に歴史の浅い根のない切花のようなカトリック教会だから、こんな狭い小さな世界で何が正統だ、何が異端とうるさい方々もおいでだが、もっと視野を広げて全体を眺めるなら、今はそれどころではない時代に入ってきているのではないか。カトリック教会の力が衰えているというのも、実はキリスト教の本当の中心が見失われかけているからではないのか。

それこそはこのクリスマスの意味、神が人間になって地上に降りてこられ、赤ちゃんの姿や、パンの形で人間のすぐそばに来てくださった意味が見失われかけているということなのではなかろうか。それは今、おそらく世界中でそうなってきているのかもしれない。神様はすべての人間の親であり、人はみな兄弟姉妹として助け合い、触れ合っていくという信者の基本的な、生き方は今の教会の中に弱くなっているからこそ、キリスト教よりイスラームに今の時代の人々の心が向いていくのではないかという気もしてくるのだ。

せっかくのクリスマスだ、もっと信仰の初心に戻って考えてみたいと思う。