いもうとよ-9

2017-03-31 13:03:30 | Weblog
こんにちは~、マリーで~す。今日もまた長話になりそうよ。何しろ何十年もの年月が経っちゃったからその間に何があったかなんて一口には説明できないのよね。今まであの人、何とかして話を伝えようとしてもある人がずっと邪魔してたからどうにもならなかったの。だけどうちのおばはんだって、何でもかんでもしゃべればそれでいいなんて思ってないわよ。悪いことをしていた人ももうとっくに亡くなっちゃってるし、生きていても高齢の人をやたらに責めるのは趣味に合わないから嫌だっていうのよ。もうちょっとはっきりさせないと被害の程度も分かってもらえないって言っても、もうどうせこちらも70に近づいてきてるんだし責めたくないの一点張りよ。だからここでも簡単なことしか言わないつもりみたい。まあこっちはかまわないけどさあ。

しょうがないから、あの頃のことを思い出してみるけど、どこから行けばいいのか迷っちゃうわよ。うちのおばはん、証拠も証人もないようないい加減な話をやたらにする人じゃないし、ましてや重要なことは必要のない限りじっと黙ってるほうよ。昔どこに相談したらいいかわからなくて、杉並区の公的な相談室に行って弁護士さんに話したら、問題が大きすぎたらしくって弁護士さんも考え込んじゃって、挙句に、これはあなたは黙っているしかない。とにかく一切黙っているのが一番ですって言われて以来、あの人、教会の告解、それも、これという司祭にしか言わなかったとてつもないとんでもない事件だってあったし、やたらになんでもは話さなくなっちゃったのね。それでもあの人について妬みやいじめで悪い噂は絶えなかったけど、とにかくおとなしくしていたんだわさ。敵の方もそのころのあの人のブログを外から読めないようにしたりしてたわよ。でももうその敵もこの世にいなくなっちゃってるわ。

チェルノブイリ事故の起こる前、うちのおばはんは普通に会社に勤めて、あの頃はパソコンどころか、やっとワープロが出てきた時代だから、あの人は和文のタイピストをしていたの。そこで同僚の人と話したのがきっかけで、久しぶりに遠藤周作先生のご本を読んだのよ。死海のほとりっていうの。その本に感激して遠藤先生に手紙を書いて、以来向こうが読んでも読まなくてもずっとこちらからは定期的に手紙を出していたの。でも多分お読みになっていらっしゃったと思うわ。

だって、あのひと、普通に就職できなくなってからは、童話とか物語とかを書いてみたんだけどそれがみんなある伝手でさるお方にお読みいただく結果になってたの。足を引っ張る人たちが多すぎて知られざる話になっているけど先生方はご存じだったはずよ。多分それで直接の反応はなくても、週刊誌、月刊誌、新聞、ラジオの心の灯、いろいろな場面に先生の反応があったから、遠藤先生と霜山徳爾先生には先生方が生きておいでの間は気が付かないふりをして手紙もだしていたの。何のことはない、やめるにやめられなかったというだけなのよ

それより話を少し戻して、ある時、ニュースにもし第三次世界大戦が起これば核の冬現象で人類は絶滅するだろうっていう科学者たちの研究結果があちこちに出てたの。会社に出勤する前に四ッ谷の教会で早朝のミサに出ていたころだったわ。ある日、その日のミサはオボンク神父様司式だったけど、神父様がすごく変だったの。脈絡もなく人類の危機という言葉を何度もおっしゃっていていたの。それがあったからか、その前だったか覚えてないんだけど、ずっと胸の奥深くにしまい込んで忘れていた市川教会で見たファティマのマリア様のご像のことや何かをうちのおばはんもぱぁっと思い出したわけ。

このままいくとあのファティマのマリア様の予言は実現してしまうんだって感じて、先生たちにその話を手紙に書いたの。何故かロシアが気になってたから、ロシアで何かあるような気がするとかそんなこと。ところがそのときはいつものくだらないおしゃべりの手紙ではすまなかったのよ。どうしてそうなったのかなんてあのひとにだってわからない。とにかく手紙を出したら翌日の新聞に大きくロシアのチェルノブイリの原子炉事故のニュースが出ていて、それ以来あの人の人生はめちゃくちゃよ。巫女だの、シャーマンだのって書きたてるマスコミやら、誰かに頼まれたやくざ屋さんやら、なんとかあの人を利用しようという変なのばっかりつきまとってきてたの。知らん顔で気が付かないふりをしていたけどちゃんとストレスで舌痛症にはなるし、もう散々よ。

ただの若い女の子だったのよ、あのころのうちのおばはんは。ただの普通の会社員でなんてこともない毎日を送ってたのよ。それがあるときから、変な人たちに付きまとわれたり、おかしなことばっかり起こってきたの。そんな話、親に話せば心配するばかりだと思ったから一切言わなかったの。でも時々実家に帰った時にお父さんがぽろっと口を滑らせた言葉を総合して考えると、たぶん、お父さんは、家の親類も精神神経科関係では結構知られた人物だったし、その関係からも霜山先生とも直接お会いしてた気配があったのよね。親も子もその辺の話は一切しなかったけど、なんか普通じゃない状況は分かってたんだと思うわ。だっておとうさんにまで右翼の街宣車がつきまとってたのよ。ひどいはなしだわ。

どこの誰がとかはあの人も一応信者だからこれ以上はいわないけど、某巨額の費用の必要とか個人の名誉欲、権力欲、あれやこれやで、うちのおばはんもお父さんもとんだ大迷惑を被っていたの。お金の問題には必ず悪いものがわんさか寄ってくるのよ。今はもう過ぎたことだけど、おかげであの人、普通に就職できなくなって、いまだに生活保護のままじゃないの。なんかこれって正義とかその辺で変な気がするのも確かよ。お墓に入っちゃったお父さんに申し訳ないってあの人だってやっぱり思ってるのよ。妹のみいちゃんだって、お姉ちゃんがこんな状況ではなかったらもうちょっとなんとかしてあげられたかもしれないのにね。

本日はなんだか文句と愚痴のオンパレードになってきたからこのへんでやめとくわね。でもさあ、人間の世界の現実は聖なるものと、アダムとイブ以来の人祖の罪の結果が入り混じっている世界だから、なんでもありなのよね。その中でどう生きてくかがひとりひとり、だれにとっても問題なんだわさ。てことで今日はおしまい。ほんじゃまたね。