始まりの時間がわからないので早めに出かけ、早めに着いた。まだ大分待ち時間がある。続きは家に戻ってから。
ということで、講話とミサが終わって上野毛から西荻窪に戻ってみると、なんとパソコンめがまだセットの途中だったのを忘れていた。仕方がないからミニパソコンのほうから書き込んでいる。
しかし、今日は久しぶりに上野毛に出かけてみてよかったのかもしれない。ずいぶんご無沙汰している気がした。いろいろと複合的な原因でつい足が遠のいていたわけだが、つい最近、とうとうさすがに頭に来て黙って我慢するのをやめて思っていることをどんどん表にもだし、四ツ谷だけが教会ではないと、隣駅の吉祥寺にもたびたび行くようになってから、なんと言うか四ツ谷一辺倒のものの見方もしなくなったし、四ツ谷を庇うのもやめ始めた。
生きているうちはかわいそうだからそれ以上はいわないが。関係者はなぜこちらが何十年にもわたって黙って我慢していたのか、なぜわからないのだ、と言いたくなってしまう。まあすでに亡くなった方もおいでなのだが。
が、それはここには関係がないからこれ以上は書かない。しかし、昨日某別の教会で告解したら、そこの司祭いわく、どこに行っても同じだと思うよと言っておられた。なるほどそういえばそうだな、人間の世界だからどこも同じだと思ったわけだ
すると今日もまた上野毛である方から同じ言葉を聞いてびっくりした。どうも神様がどうしてもそこを私に言いたいお気持ちらしいと言う気がした。
昨日もそうだが、このところ自分も回りも少しずつ変わってきていて、どうしてそんなことになるのかわからないような誹謗中傷は消えてきたし、こちらもなんとなく自分に素直になって、あまりへそ曲がりにならずに正直な気持ちで動き始めたもので、今日は思い切って自分もカルメル在世会に入れるだろうかと聞いてみた答えだ。
年はとったし、足腰は悪くなる、記憶力はおちる、お金もないでいいところなしのようだが、その代わり結構いろいろと経験が増えた。どこでも同じというのも良くわかる。文句など言っていないで可能なら入ってみたいなあと本気で思っているところだ。
なんといっても子供のころの祖父の急死以来いつも心の奥にある、終わることのないものがほしい、朽ちることのないものがほしいという気持ちは未だに全然変わらないのだもの、今の自分でも可能な形の、神様を追い求めていく生活、これ、いいじゃないかと思うわけだ。
相手があることだから、こちらの気持ちだけではどうにもならぬ、とりあえず上野毛教会に電話で問い合わせてみようと思う。