北上市川岸地区のイカリソウ(碇草/錨草)2008年4月22日




2008年4月22日(火)、北上市立花の展勝地公園桜並木がある所から
北上川に架かる珊瑚橋を渡って、対岸から桜並木を眺めてみました。
その後、妻が見たいという安倍正任(まさとう)の城柵跡(黒澤尻柵)
を見に行ってきました。黒澤尻城柵跡は、JR(東北本線&東北新幹線)
北上駅の裏側の方(川岸1丁目辺り)にありました。
街路を歩いていたら3種類のイカリソウ(碇草/錨草)が花を咲かせて
いました。
















北上市川岸地区の黒澤尻柵跡


黒澤尻柵跡は、川岸1丁目辺りにありました。桜の木の下で
お昼を食べました。



陸奥の豪族安倍氏は平安時代後期、北上川沿いや平坦な地に柵を造営し、
柵主には一族をあて地域支配の拠点とした。また、極楽寺を中心とした
その周辺の寺院にも深くかかわっていたことが考えられる。この周辺に
「黒澤尻柵」が設けられ、頼良の五男正任(まさとう)を配した。この
地域は「安倍舘」と言い伝えられている。
永承6年(1051)前九年の合戦が起ったが安倍氏の勢力が強く、陸奥守
(むつのかみ)鎮守府将軍源頼義(よりよし)は出羽の豪族清原氏に援
軍を請うた。康平5年秋(1062)、安倍軍は源氏・清原軍と厨川柵で最後
の決戦を行う。この合戦の途中、黒澤尻柵が落ちたが、正任は出羽に逃
れ、後に投降したが伊予に配流されたと言われている。







イカリソウ(碇草/錨草)メギ科 イカリソウ(エピメディウム)属
Epimedium grandiflorum var.thunbergianum
日本全国の樹林下に野生する多年草で、葉はふつう2~3回3出複葉で
長い葉柄をもつ。花は長い花柄の先端につける。花色の変異は強く、
淡紫から濃桃色にわたる。白花もある。地味だが、山草として庭植え
あるいは鉢物として栽培される。
また花色が黄色のキバナイカリソウE.grandiflorum spp.koreanum
や、常緑で大型のトキワイカリソウE.sempervirensも栽培される。
そのほか、同属のベルシコロルE.versicolorなど多くの雑種がある。
[栽培]容易。繁殖は株分け、実生。[花期]4~5月。
イカリソウ(エピメディウム)属の植物は、地中海からアジアに25種が
分布する多年草。根茎は這い、葉は3出または2出複葉。




2008年4月22日(火)、北上市立花の展勝地公園桜並木がある所から
北上川に架かる珊瑚橋を渡って、対岸から桜並木を眺めてみました。
その後、妻が見たいという安倍正任(まさとう)の城柵跡(黒澤尻柵)
を見に行ってきました。黒澤尻城柵跡は、JR(東北本線&東北新幹線)
北上駅の裏側の方(川岸1丁目辺り)にありました。
街路を歩いていたら3種類のイカリソウ(碇草/錨草)が花を咲かせて
いました。
















北上市川岸地区の黒澤尻柵跡


黒澤尻柵跡は、川岸1丁目辺りにありました。桜の木の下で
お昼を食べました。



陸奥の豪族安倍氏は平安時代後期、北上川沿いや平坦な地に柵を造営し、
柵主には一族をあて地域支配の拠点とした。また、極楽寺を中心とした
その周辺の寺院にも深くかかわっていたことが考えられる。この周辺に
「黒澤尻柵」が設けられ、頼良の五男正任(まさとう)を配した。この
地域は「安倍舘」と言い伝えられている。
永承6年(1051)前九年の合戦が起ったが安倍氏の勢力が強く、陸奥守
(むつのかみ)鎮守府将軍源頼義(よりよし)は出羽の豪族清原氏に援
軍を請うた。康平5年秋(1062)、安倍軍は源氏・清原軍と厨川柵で最後
の決戦を行う。この合戦の途中、黒澤尻柵が落ちたが、正任は出羽に逃
れ、後に投降したが伊予に配流されたと言われている。







イカリソウ(碇草/錨草)メギ科 イカリソウ(エピメディウム)属
Epimedium grandiflorum var.thunbergianum
日本全国の樹林下に野生する多年草で、葉はふつう2~3回3出複葉で
長い葉柄をもつ。花は長い花柄の先端につける。花色の変異は強く、
淡紫から濃桃色にわたる。白花もある。地味だが、山草として庭植え
あるいは鉢物として栽培される。
また花色が黄色のキバナイカリソウE.grandiflorum spp.koreanum
や、常緑で大型のトキワイカリソウE.sempervirensも栽培される。
そのほか、同属のベルシコロルE.versicolorなど多くの雑種がある。
[栽培]容易。繁殖は株分け、実生。[花期]4~5月。
イカリソウ(エピメディウム)属の植物は、地中海からアジアに25種が
分布する多年草。根茎は這い、葉は3出または2出複葉。
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