peaの植物図鑑

旅芸人繁太夫の「筆満可勢」にみる奥州~芦東山記念館館長講座 2015年1月21日(水)

芦東山(あしとうざん)記念館(岩手県一関市大東町渋民字伊勢堂71-17)主催の館長講座第5回目が、「旅芸人繁太夫の『筆満可勢(ふでまかせ)』にみる奥州」と題して2015年(平成27年)1月21日(水)13:00~14:30時 同記念館で行われました。講師は岩手大学名誉教授で同館館長の細井計(ほそい・かずゆ)氏

 『筆満可勢(ふでまかせ)』というのは、江戸深川仲町、富本節の繁太夫(しげだゆう)という男の文政11年(1828)6月12日~天保2年(1831)2月30日までの奥羽越後紀行日記で、江戸時代の庶民の生活を記録したものとして貴重なものだそうです。

講師の細井館長は、三一書房発行(1969年)『日本庶民生活史料集成』第三巻から抜粋した原文をもとにしたA4紙6ページのプリントを配布して、旅芸人・富本節の繁太夫が1828(文政11)年6月12日(陰暦)に江戸を出立するところから、1829(文政12)年9月4日までの日記の内容など、当時の盛岡藩の様子を主に紹介されました。

”(陰暦)9月9日 南部の国、大根はことの外風味克(よく)、網す杯(など)決してなし。大根せん六本をヒキナといふ。出行ことをデワハルといふ。玉茎(陰嚢)をシンズッコと云。陰門をベベ、ヘッペともいふ。行すぎ者のきいた風杯(など)いふ事をキイタブリと云。小児をワラシ。惣してシの字はスと違ふ。イエの仮名相違・…仙台にては金壱分の事を一ト切れといふ。其義理にて、金弐朱を半切れといふ。…両国(仙台・盛岡)とも女芸者の事を女太夫不濁、といふ。始て聞し時は、乞食小屋より出る女太夫と思ひし也。何事も物の出来することをデルと言う。向ふより何か出てくるといふをデキルと言。此唱へ江戸杯(など)とは行違ひ也。南部国風にて何事を申にも詞の跡へナス、ナモといふ事を付る。譬へは、江戸杯(など)にて是はとふもむずかしひなともいふ事を、是はどふもナモむつかしい杯(など)言。上方杯(など)にて、是はナ夫はナ杯(など)いふくせ有り。是はナス、夫はナス杯(など)言。此二つ口くせにてうるさし。”

因みに江戸時代の通貨制度は (小判1枚)一両=四分=十六朱(四進貨幣)、 一貫匁=千匁、(ゼニ)一貫匁=千文、十文=銭一疋。これに対する相場は時代によって大きく変動し、繁太夫が旅をした文政年間から天保の初期にかけては、金一両に対して銭六千五百文から七千文というのが相場だったようです。上の文章の仙台における相場は、金壱分=一切れ(=4朱)、2朱=半切れだったそうです。 

  この『筆満可勢』については、同じ三一書房刊『日本庶民史料集成』第二巻及び第三巻所収の『筆満可勢』をテキストにした織田 久著「江戸の極楽とんぼ~『筆満可勢』ある旅芸人の記録」(無明舎発行)という本がありますので、興味がある人は読んでみてください。


今年の3月で85歳の「後期高齢者」。花や木の実、特に山野草が好きで何時もデジカメを持ち歩いています。

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