(上)講師の村上徳一先生。
2018年2月21日(水)、一関市東山市民センター:主催、東山図書館:共催の「平成29年度東山文学講座」(毎
週水曜日、全4回、10:00~12:00)が、東山地域交流センターの2階会議室で始まりました。今回のテーマは、
『笑話・わらいばなし』。講師は村上徳一・先生(千厩町在住)。テキストは、安楽庵策伝・編『醒睡笑(せいす
いしょう)』、『笑府』など。初日は、配布されたB4判16枚16ページのプリント[テキストは、角川文庫、鈴木棠
三(すずき・とうぞう)校注『醒睡笑』(上・下)]により解説されました。
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『醒睡笑(せいすいしょう)』について:浄土宗の説教僧であり誓願寺(せいがんじ)法主の安楽庵策伝(あんらく
あん・さくでん)が編纂した作品である。そして一千余話(全八巻八冊・千百三十余話)という膨大な話数を収める
江戸時代初期の笑話集。近世笑話集を代表する作品でもある。作品には中世説話にみる笑話に近世初期の笑話を加え、
さらに策伝自らが創作したと思われる笑話も収めている。のちの近世笑話集や小咄(こばなし)集に影響を与えたこ
とでも知られる。
作者 安楽庵策伝(あんらくあん・さくでん)略伝:策伝は僧侶として一生を過ごした人物として知られる。笑話を
蒐集する土壌は、はやく小僧時代から培われたと序文にも記しているが、文学的活動は入寂までの19年間に限られて
いる。すでに関山和夫の『安楽庵策伝 咄の系譜』(これを増補して改題したものが『安楽庵策伝和尚の生涯』)と
『説教の歴史的研究』、鈴木棠三の『安楽庵策伝ノート』に詳細な伝記考察が見られる。)
●天文23年(1554)美濃国で生まれる。姓は金森、俗名は不詳。浄土宗西山派の僧。説教僧。策伝、日快、然空日快、
然空策伝日快、日快策伝上人、安楽庵、前誓願安楽庵老などと名乗った。
●永禄3年(1560)7歳、美濃国浄音寺で策堂文叔(教空)に師事して策伝と号した。
●永禄7年(1564)11歳、山城国京都東山禅林寺の智空甫叔に学び、然空日快と号した。浄土変曼荼羅、観経曼荼羅事
相教旨を覚える。[天正4年(1576)織田信長が安土城を築く。)]
●天正6年(1578)25歳、山陰へ布教の旅に出て、備後、備中、安芸、備前国での15年の布教活動をする。[天正13年
(1585)豊臣秀吉が関白になる。]
●文禄3年(1594)41歳、和泉国堺正法寺十三世住職となる。(「椿」の変わり種を集める。)
●慶長元年(1596)43歳、美濃国浄音寺二十五世住職となる。[慶長7年(1600)関ヶ原の戦]
●慶長18年(1613)60歳、山城国京都誓願寺五十五世住職となる。
●元和元年(1615)62歳、板倉重宗京都所司代に笑話を話しはじめる。
●元和2年(1616)63歳、清涼殿で曼荼羅を進講する。(この年、徳川家康が没する。)
●元和5年(1619)66歳、紫衣の勅許を得た。
●元和9年(1623)70歳、住職を退き、誓願寺境内の塔頭(たっちゅう)竹林院の茶室安楽庵に住まいを移す。
「安楽庵」と号し、庭園・茶道を楽しむ。同年に『醒睡笑』が完成、序文を記す。
●寛永5年(1628)75歳、『醒睡笑』8冊を板倉重宗京都所司代に献上する。
●寛永7年(1630)77歳、100種の椿の花の形状、名称、和歌など記す『百椿集(ひゃくちんしゅう)』をまと
める。[作者の生前、寛永年間に京都で『醒睡笑』の約七百話の抄本が出版された。)
●寛永8年(1631)78歳、この年から4年をかけて諸家と贈答した狂歌、俳諧をまとめた「送答控」(「策伝和尚
送答控」)を残す。[関白・近衛信尋、烏丸光広、小堀遠州、伊達政宗、松永貞徳、林羅山と交流があった。]
●寛永11年(1634)81歳、伊達政宗に『自撰家集』(「送答控」の抜粋)を献上する。
●寛永19年(1642)89歳、正月8日、入寂。[正保元年(1644)中国で明が滅び、清が支配する。]
(上)より理解を深めるために購入した講談社発行、安楽庵策伝・編、宮尾與男・訳注『醒睡笑(全訳注)』
(講談社学術文庫2217、定価:本体1800円+税)の表紙カバー図版:『古今はなし揃』巻二(夕霧軒文庫・
宮尾しげを記念會所蔵)。
この絵は、この文庫本の133ページに記載されている下記の文章のものと思われます。
56 小僧あり。小夜ふけて。長棹をもち。庭をあなたこなたふりまはる。坊主是を見つけ。それは何事をするぞと
とふ。空のほしがほしさに。かちをとさんとすれとも。落ぬといへば。さてさて鈍なるやつや。それ程さくがなふ
てなる物か。そこからは棹がとゞくまい。やねへあがれといはれたおでしはさも候へ。師匠の指南有がたし
星ひとつ見つけたる夜のうれしさは 月にもまさる五月雨のそら
現代語訳(宮尾與男・訳):ある僧の弟子がいた。夜ふけに長棹をもって、庭のあちらこちらを振りながら動き廻っ
ている。これを住職が見つけて、「その長棹で何をしているのだ」とたずねる。弟子が「「空の星がほしいので、た
たき落とそうとするが、落ちない」とこたえると、「いやはや間抜けなやつだなあ。そんなことの考えが浮かばない
で、いいものか。そこからでは棹が届くはずがない。屋根へあがれ」といわれた。弟子なりの考えしか及ばないのは
仕方がないが、住職の教えはありがたいものだ。星ひとつ見つけたる夜のうれしさは 月にもまさる五月雨のそら(
星一つを見つけた夜の嬉しさは、月の美しさを越えるほどの五月雨の空である)
訳注者 宮尾與男(みやお・よしお):1948年東京生まれ。日本大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。
日本近世文学会委員を経て、夕霧軒文庫長、近世文学研究者。著書に『元禄舌耕文芸の研究』『上方舌耕文芸史の研究』
『上方咄の会本集成』ほか。
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