2018年8月30日(木)、一関市大原市民センター(所長・佐藤義信)主催のバスツアーが実施されました。これは、平成30年度「室蓬カレッジ・歴史専門講座2018」の第5回として行われたもので、講座参加者27名と主催者側3名の合わせて30名の参加でした。案内人は第1回の講師を務めた畠山篤雄(文化財調査研究員)氏で、大原の製鉄の歴史などについて講義をされた方です。
5番目の見学地である鋳銭場跡に向かいます(11:08時)。出発してすぐの所で石ノ森萬画館が見えました。石巻駅に向かう「石巻マンガロード」には、石ノ森キャラクターのモニュメント等がいっぱいありました。




(下)石巻鋳銭場は、享保年間から幕末まで置かれた仙台藩の貨幣鋳造所です。従って石巻鋳銭場跡は狭い範囲の区画では無く、現在の石巻駅から石巻医師会の建物がある辺りまでの広い範囲だったそうで、研修バスで案内していただきました。
https://www.77bank.co.jp/museum/okane/10.htm[「石巻鋳銭場」鋳銭年表]
鋳銭場:江戸幕府は貨幣経済の急速な発展に対応する為、寛永13年(1636)寛永通宝の鋳造をはじめ、通貨の統一を図りました。江戸以外の各地にも銭座がつくられ、仙台藩でも鋳造が認められ、はじめ栗原郡の三迫で作られました。享保13年(1728)には石巻に銭座が移され、「寛永通宝」や「仙台通宝(撫角銭)」が作られるようになりました。
石巻に鋳銭場が置かれたのは、北上川の船運によって、原料や燃料があつめやすかったためと考えられています。石巻の鋳銭場での鋳造は何度も中止されたり、再開されたりして、明治の鋳造廃止まで行われ、年間最大178,000貫あまりの銭が鋳造されました。[下記Webサイトより]
http://www.i-kanko.com/archives/692[鋳銭場:一般社団法人・石巻観光協会]
http://mitinoku.biz/hist_walk/hist_miyagi/?p=1699 [鋳銭場跡:みちのく悠々漂雲の記/宮城県]
https://yukisayo62.exblog.jp/9772800/ [鋳銭場跡:田毎の月]
https://www.umimachi-sanpo.com/spot100/019/ [石巻鋳銭場(いせんば)跡:海街さんぽ]






https://blog.goo.ne.jp/pea2005/e/13d81a32c8acb9dc44a5ea90a240fe05 [peaの植物図鑑:宮城県塩釜神社の鋳銭釜]
https://blog.goo.ne.jp/enn37 [ゾウさんと暮らす:歴史講座研修3・石巻鋳銭場絵巻 いつか]



(下)昼食を摂るために予約していた「大もりや」という会席料理・和食堂に向かいます。雨が降ってきたので、石巻駅構内に停めた(11:42時)研修バスから100mほどを歩きました。







大もりやには11:59時に到着。昼食の時間は30分程度でした。



(下2つ)街路樹として植栽されているヤマボウシ(山法師)の樹が、色づいた果実を沢山つけていました(12:48時)。

