人知れずの記録ー障害後期高齢者の日々のつぶやき

日々のリハビリをはじめ、何でもかんでも書いてやろう!という日記帳。

我が国は高学歴社会というが、知的精神的構造は?

2020-03-28 18:56:53 | 日記
 18歳過ぎの青年の群れに小石を放り投げると、ほぼ間違いなく大学生に当たる時代が到来している。大学を選ばなければ全員大学生になることができる器(箱)は誕生した。だからというわけか(そうではないはずだが)、コロナ渦で「納豆が免疫力をつけるから」という理由で商品棚が空っぽの社会現象が起こっている。
 通所施設のあるご婦人との会話。
「なんで普段食べようともしないものに手を出すの?」
「免疫力をつけるとテレビが言ってた。」
「コロナウイルスの正体もはっきりしていないから感染を食い止められなくて大騒ぎしているのに、どうして免疫力をつけるって信じて購入するわけ?」
 さっぱりこういう衝動が理解できません。ぼくが間違っているのでしょうか?納豆の信じられている免疫力って、「万有引力の法則」みたいなものなのですか?そうだとしたら、近い将来、ノーベル賞受賞ですね、納豆製造者さんたち。納豆が「世界遺産」になるかもね 



退院して6年の記念日

2020-03-28 07:51:38 | 日記
雨がちな曇り
130 80 60
何にも手が付かなかった一日。明日につけを回してしまった。明日は寒いぞー。

要介護1から要支援1に介護度が「格下げ」になった。それは機能回復が進んでいるということの書類上のお墨付きだが、同時に、有償ではあるが、介護サービスを受ける品目が少なくなるということを意味している。
 受けてきたサービスは、デイのほか、屋内手すり、外回りの階段の手すりの設置(固定取付)、お風呂の改造、あとは添付寫眞の室内据え置き型手すり。可動性のあるのはこの室内据え置き型手すりだけである。

 で、要介護1から要支援1になるにあたって、これまで受けていたサービスが受けられなくなる品目は、ぼくの場合はない。生活文化を変えなくても済む、というのは大変ありがたい。もっとも、ぼくの方から、「自助自立を可能な限り日常化していきたい」という生活設計があり、受ける権利のあるサービスを返上してきているからだ。
 ということは、現在受けている介護・支援の品目は削られると大変困ることを意味している。据え置き型の手すりがそうだ。ありがたいことに、このサービス品目は削られないという。もし削られるなら、買取をしなければ、生活するのに大変困ることになる。けっこう値が張るようだ。
 日常的にそばにあるとありがたみを忘れてしまいます。これは、ぼくの身体自立・生活自立に必須のツールです。ですが、そのうち不要になるような自分を作り上げたい。退院記念日の願いでした。