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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

9月25日・ウィリアム・フォークナーの根気

2013-09-25 | 文学
9月25日は、ピアニストのグレン・グールドが生まれた日(1932年)だが、米国の文豪、ウィリアム・フォークナーの誕生日でもある。
自分がフォークナーを知ったのは、大人になってからだった。「ヘミングウェイのライバル」で「哲学者サルトルが高く評価した」という評判を聞いて、すこし読んだ。南部の、素朴ながら複雑な事情を背負った人々が登場する、長い小説を書く人である。

ウィリアム・カスバート・フォークナーは、1897年、米国ミシシッピ州のニュー・オールバニーで生まれた。父親は鉄道会社に勤めていた。ウィリアムが14歳のころ、一家はとなりの郡オクスフォードへ引っ越し、ここを終生のふるさととした。
勉強に興味がわかず、高校を中退したウィリアムは、文学青年の大学生たちと交際して 文学的教養を身につけていったが、20歳のころ、失恋したのをきっかけに、米国陸軍の航空隊に志願した。当時は第一次世界大戦中で、米国も参戦していたが、フォークナーは、きゃしゃで身長が低かったため、入隊できなかった。
そこで彼は英国人になりすまし、英国空軍に志願した。すると、こちらには合格した。が、戦場へ出る前に終戦となり、除隊となった。故郷へもどった彼は、しばらく英国軍将校の服を着て、杖をつき、負傷兵のまねをして歩いていたという。
22歳の年に、戦時の特別措置によってミシシッピ大学に入学。彼は大学の学生新聞に詩や小説を発表するようになった。が、やがて学生をやめて、書店や大学構内の郵便局で働きだした。そして27歳のとき、職務怠慢で郵便局をクビになった。
その後、彼は小説を書いては出版社に売り込みをかけ、29歳のころから作品が出版されるようになった。『サンクチュアリ』『八月の光』『アブサロム、アブサロム!』といった作品は、フランスの一部知識人のあいだでは評価されたが、本国では売れず、つぎつぎに絶版になった。彼は生活のため、ハリウッドに行って映画の脚本を書いた。
48歳のとき、絶版になっていたフォークナーの作品を集めて『ポータブル・フォークナー』というアンソロジーが編まれ出版された。
フォークナーは自分の故郷をモデルにして、ヨクナパトーファ郡という架空の土地を設定し、そこで展開されるさまざまな人間ドラマを、たくさんの小説群にして生みだしていった。その「ヨクナパトーファ・サーガ」と呼ばれる一連の小説群が、このアンソロジーによって概観することができるようになり、再評価された。
1949年、52歳のときにノーベル文学賞受賞。
1962年7月、心臓発作のため、ミシシッピ州バイヘーリアで没した。64歳だった。

フォークナーの『八月の光』は、拙著『名作英語の名文句2』でも取り上げた。
それにしても、フォークナーの経歴をながめると、興味深い人生だなあ、と思う。気取り屋で根気が続かず、なにをやってもうまくいかなかったのが、物語を書くことだけは猛烈な情熱を注ぎ込むことができた。それだけは根気が続いた。しかし、それもぱっとせず、ついに日の目を見ずに終わりそうになったところ、アンソロジーによって再評価され、ノーベル賞をもらうことになった。
あきらめずに、なにかに打ち込みつづけることは、大事だなぁ、とあらためて思う。
(2013年9月25日)




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