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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

7月20日・ナム・ジュン・パイクの日本語

2024-07-20 | 美術
7月20日は、女性思想家アン・ハッチンソンが生まれた日(1591年)だが、ビデオ芸術家のナム・ジュン・パイクの誕生日でもある。

ナム・ジュン・パイクは、1932年、韓国のソウル(当時は日本統治下)で生まれた。名前は漢字では「白南準」と表記する。ファミリーネームが「白(パイク)」なわけである。繊維業で成功した裕福な一家だった。17歳のころ、朝鮮戦争から逃れて香港、さらに日本へ引っ越した。
東京大学に入学したパイクは、美学を専攻し、24歳のとき、無調音楽の作曲家、シェーンベルクをテーマに据えた卒業論文を書いて卒業した。
卒業後は、ドイツの大学に留学し音楽史を学んだ。このドイツ時代に、「4分33秒」という無音の曲を書いたジョン・ケージと知り合い、「ジョン・ケージへのオマージュ」というパフォーマンスをおこなった。
31歳のとき、ナム・ジュン・パイクの代名詞となるビデオ・アートを個展に出品。
32歳で、米国へ本拠地を移し、バリオリンやピアノの独奏を含む、さまざまなパフォーマンス、作品展示をおこなった。
以後、ドイツ、日本、韓国、イタリアなど、世界各地で展示、パフォーマンスをおこなった後、2006年1月、米国フロリダ州のマイアミで没した。73歳だった。

ナム・ジュン・パイクは、どんな場所へもビデオを持ち込んだ。
1980年代前半だったか、東京、上野の美術館で、ナム・ジュン・パイクの展覧会があって、見に行ったことがある。熱帯植物がいちめんに置かれた暗い庭の葉陰に点々とブラウン管のビデオモニターが置かれて刻々と移り変わる映像を映し出している「TVガーデン」、テーブルの上ににわとりの卵が置かれていて、それをビデオカメラが映していて、その映像が卵のとなりのモニターに映し出されている「三個の卵」、テレビ受像機が積み上げられた「ヴィラミッド」などの作品がよく記憶に残っている。まだ液晶画面がない時代だった。とくに「TVガーデン」は、不思議と心を引き寄せられる魅力的な作品だった。

ナム・ジュン・パイクは日本に縁が深い人で、福井の永平寺にも参禅して作品を作っているし、奥さんも日本人だし、また、高橋悠治、坂本龍一、細野晴臣といった錚々たる顔ぶれといっしょにパフォーマンスをおこなっていて、その映像も観たことがある。スマートホンやタブレット端末が街中にあふれている現代では、ナム・ジュン・パイクの芸術は、どうということもなく感じられるかもしれない。けれど、じつは、ナム・ジュン・パイクが21世紀のイメージを先取りして表現し、時代がようやく追いつきつつある、とも言える。

ナム・ジュン・パイクが書いた東大の卒業論文の実物を見たことがある。分厚い原稿用紙の束の表紙に「白南準」と署名があった。論文は日本語で書かれていて、彼の字は、明らかに自分より上手だった。未来を創造するセンスとともに、日本語の字の上手さも、高く仰ぎ見るアーティストだった。
(2024年7月20日)



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