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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

8月20日・ロバート・プラントのスタイル

2016-08-20 | 音楽
8月20日は、幕末の風雲児、高杉晋作が生まれた日(天保10年8月20日)だが、ロックバンド「レッド・ツェッペリン」のヴォーカリスト、ロバート・プラントの誕生日でもある。

ロバート・アンソニー・プラントは、1948年、英国イングランドのスタッフォードのウェストブラミッジで生まれた。
ロバートはエルヴィス・プレスリーにあこがれる子どもだった。会計士を目指して勉強していたが、学校をやめ、16歳のころ、家を出てブールス音楽の世界に身を投じた。
シンガーとしてさまざまなバンドを渡り歩いた。下積み生活のなかで、同棲相手が妊娠したときには、一時はふたたび会計士の勉強をはじめようと考えたこともあったらしい。20歳までに芽が出なかったからあきらめようと、アルバイトしながら音楽を続けていた20歳のとき、バンドの新しいボーカリストをさがしていたジミー・ペイジのオーディションを受けた。彼らは意気投合し、プラントがドラマーのジョン・ボーナムを推薦し、ボーナムを強引に説得して仲間に引き入れ、さらにベーシストのジョン・ポール・ジョーンズを加えて、新バンド「レッド・ツェッペリン」を結成した。バンド名は「鉛のツェッペリン号(飛行船)」の意味で、どうせすぐに落ちるだろうさ、というジョークだった。
レッド・ツェッペリンは米国でコンサート・ツアーをおこない、それからデビュー・アルバムを発売した。アルバムは発売前の予約だけで5万枚売れたというから、当時のツェッペリンのライブの魅力たるや恐るべしである。
レッド・ツェッペリンは、シングル盤でチャートをねらうのでなく、ライブとアルバム(LP)で売っていこうとする新しいスタイルのバンドとして成功し、「レッド・ツェッペリン II」「レッド・ツェッペリン IV」「プレゼンス」などの名盤を発表し、世界的なビッグバンドとなった。
プラントが29歳のとき、息子がウイルス感染によって死亡し、彼は精神的に立ち直れないほどに落ち込んだ。
そして、プラントが32歳のとき、ドラムのジョン・ボーナムが泥酔した挙げ句にのどを詰まらせて窒息死すると、レッド・ツェッペリンは解散した。
バンド解散は、しばらく沈黙を間も手いたが、やがてプラントは音楽活動を始め、ソロアルバムを発表し、ツアーをおこない、ジミー・ペイジと共演するなど、活動を続けている。

レッド・ツェッペリンの楽曲の作詞・作曲には、プラントとペイジがかならずかかわっている。有名な「天国への階段」もプラントとペイジの共作で、作詞も二人の名前がクレジットされている。
以前、こんな話を聞いた。レッド・ツェッペリンが人気を博していたころ、元ビートルズのジョージ・ハリスンが、プラントやペイジに言った。
「きみらのバンドは、バラードはやれないだろう?」
カチンときた彼らは、それで「天国への階段」を作ったのだという。

ロバート・プラントは、高音域の出るハスキーでパワフルなボーカルスタイルでポップミュージック衝撃を与えた。世界中の若者が、彼のボーカルスタイルをまねした。
彼のブロンドの長髪、スリムなからだの胸元をはだけて歌うそのパフォーマンスは、ロックのアイコンになった。自分のスタイルをひとつのスタンダードにするというのはすごいことである。
(2016年8月20日)


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