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日本語教師の見た中国とか…

日本語教師が見た中国をつらつらと綴ろうとはじめました。帰国後、大学院生を経て今はとうとう専任日本語教師だ~。

「ありがとう」の文字

2006-12-15 10:23:05 | 日本語教育
 今年もまたまた交換留学生が留学期間を終えようとしています。先日最終テストを終わらせて,ちょいと湿っぽいお別れでした。

 今回担当したインド班は,英語で授業をするというクラスだったので,だだすべりの日もあったし,盛り上がった日もありました(基本的に,僕の英語の調子によって左右されていた気がする)。まあ,自分としては60点くらいかなあという感じです。一生懸命しましたがねえ。

 テストも終了して帰ろうとしたときに,学生さんの一人が手紙と手帳をくれました。手紙をもらうってのはすごく久しぶりだったので,えれーうれしかったです.内容は秘密だけど,英語でつらつらと書いてありました。このクラスはローマ字で日本語を教えているので平仮名カタカナは知りません.しかし,手紙の締めくくりとして書いてあったのはひらがなの一言。


 ありがとう


なんか,ずずーんときましたねえ。この文字が汚いのなんの(習ってないんだからあたりまえ)。それがまたいいんですよ~。

 帰り道,手紙のことを考えながら歩いていました。「こうやって素敵な出会いがある交換留学生班は,また来年もやりたいなあ。」と思う反面,「毎年こんなことしてたら,10年もしないうちにお別れに慣れてしまった無感情なおっさんになるんではないか!」などという心配もしたりしました。

 やっぱ来年はこの担当やめようかなあ。


 関西地方は,どしゃぶりの雨でした。

ロシアはウラジオの生まれです

2006-12-04 14:56:48 | 日本語教育
 新しいクラスにはロシアの子がいるのです。ロシアの大学で大学院生をしており、日本語ペラペラ。ロシアの子にはめずらしく、すげー童顔。

 「ウラジオでは、中古車ディーラーの通訳バイトをしていました。」

これって、まさにステレオタイプのウラジオ人ですよね~。

 「私はすし職人です。父は下級藩士で10石取り、母は祇園で芸者です。」

っていうくらい、ステレオタイプにぴったり。まあ、こんな日本人いないとおもうけど。

 ところでこの学生さん、二人称がすべて「キミ」なんです。

 「キミの出身は?」

 「キミの専門は?」

な~んて聞いてくるんですが、一応僕は先生なんよ~~~。あかんあかん、ちゃんと注意してあげなければと思うんですが、あまりに会話が流暢に進んでいくので指摘するタイミングがつかめないのだ。どうしよどうしよと思っているうちに、ふと気づく。

 「この子の顔には、二人称‘キミ’っていうのがしっくりくるなあ」


う~ん、言葉の使用ってホント、ケースバイケースだなあ。

志村けんそっくりの外国人留学生がいたとしましょう。その留学生が二人称を「チミ」で統一していたら、僕は聞き流してしまいそうだもの。

 「なんだチミは!!」とか言わせてしまう。


でもやっぱりこの子には教えてあげた方がいいよなあ。

予想ガイ

2006-11-24 19:07:15 | 日本語教育
あ、ソフトバンクのCMちゃいますよ。そっちで検索した人ごめんなさい。

日本語を教えていると、学生さんとなんとか会話を続けなければという職業的動機などが働き、どーでもいいようなつまらん質問をしてしまうことがあります。

 「お父さんとお母さん、どっちが好き?」

みたいなやつね。正直、どっちでもいいんだけど、なんとか既習語彙で会話をしたいのです。今教えている中国の学生さん曰く。

 「お母さんです」

ここで話題を変えればいいものを、ついつい、「どうして?」などと聞いてしまうのです。「父は酒を飲んでは暴れて困る」なんて言われてもこっちが困るし、「父は毎日忙しくて2年くらい会っていない」などと言われてもテンションが下がる。どのみちあまり会話の展開が期待できないような気がするのです。それでもでもでも、聞いてしまう。

 「どうして?」

この、ありきたりで、大して展開も見込めないつまらん質問に、学生さんが返した答えは・・・

 「私が生まれたときに痛かったと思うから。」

わははははは。この答えって、すげー秀逸だと思うんですけどね~。

ちょっと予想ガイでおもしろかったなあ。

 「でもねえ、痛がるお母さんを見て、お父さんもきっと心が痛かったのよ」


なんでかしらんが、おやじさんのフォローをしている私でした。


 

 

焼肉しながら世界を語る

2006-11-20 09:01:15 | 日本語教育
そろそろ交換留学の学生さんは帰国時期です。

さびしいから、みんなで焼肉に行きました。参加者は、アメリカ人、韓国人、マレーシア人、中国人、日本代表(わたし)。中国の子以外はみんな男。

なんだか、環太平洋サミットみたいでしょ。

焼酎をガンガン飲んでいたから、みんな焼肉をむちゃくちゃに焼いています。私なんか何を食べていたのかわからないくらいに、いろんなものが鉄板で踊っていました。心配していたのは、マレーの子がモスリムであること。

ところが!

よ~く見ると、すごい器用に、牛肉だけ選んでるんですよ

その箸さばきと言ったら、○○のようでした。
             ↑
        いい例えが思いつかなかった。

酔っぱらった韓国の子に、酒を勧められても絶対に飲まない。ちゃんと飲み会には参加するけど、自分の戒律はちゃんと守る、そのスタンスに感動してしまったのだ。こちらもエチケットとしてお酒を勧めてはいけないなあと思うのです。

みんながちょっとずつ譲歩すればいっしょに騒げるのだなあと実感。

宴もたけなわ、私も意識がおぼろげになる中、酔うた中国の女の子がふいに、

「先生、私は19歳です。」

こらこらこらこら、それは先に言えよ!!!お店にばれたらやばいがな~~


一気に酔いが醒めた日本代表の私(引率者)でした


あ、私が飲ませたわけではありませんからね、あしからず。

紅茶とお茶

2006-11-17 21:11:30 | 日本語教育
質問は不意に聞かれると慌ててしまうものです。

「紅茶ってなんですか?」

「(30秒後)う~んと、tea ですよん」

インドの学生さんにとっては、紅茶というのはtea 茶はgreen tea。日本人にとっては、茶が基本形で紅茶は派生形、インドの人にとってはtea が基本形で green tea が派生形。つまり、感覚が逆なんですよねえ。基本・派生は言語学では、無標・有標などという言い方をします。

 日本人   茶(無標)  紅茶(有標)
 インド人  紅茶(無標) 茶 (有標)

まったく、逆になるんですよねえ。それが学生さんを混乱させていたみたいです。

質問されてから、答えるまでの30秒。

「えーっと、インドの人は何飲むんだったっけなあ、セイロンとかダージリンとかって、インドっぽいしなあ、紅茶を飲むんじゃないかな、そういやチャイっていうのは紅茶ベースだったなあ、しかし多民族国家だから、紅茶とはかぎらないよなあ、意表をついてプーアル茶だったりしたらどうしよう・・・」

頭はフル回転やったっちゅうねん。  

その割にはたいした答え言ってないよなあ。

思考の軌跡くらい伝えたらよかった。


英語母語話者の喜び

2006-11-08 16:34:52 | 日本語教育
英語ネイティブの教え子ちゃんたちに教えてもらった、日本人女学生とお近づきになる方法。

 1、バスの中でお気に入りの子を見つけて近くに座る。

 2、最初は仲間で英語を使いしゃべっている。

 3、お目当ての子に、やさし~い英語で話し掛ける。

 4、相手の英語をほめる。

 5、日本語が下手だから教えてほしいと頼む。

この手順で、かなりの場合、携帯番号を教えてもらえるんだって~~。

 確かに、英語を使いたがっている大学生、多いもんね~。

 ご用心!! 彼らは確信犯ですよ~~~。

 こんなことなら、英語母語話者に生まれたらよかったよ。


 残念! それでも私は日本語大好き。 自分斬り。

  ↑

 なんか古~~い。
 

耳からの習得

2006-10-30 13:12:41 | 日本語教育
今学期から担当しているのは短期滞在のインド人留学生です。

イギリス籍のインド人は教えたことがあるのですが、完全にインドの子は初めてです。最初はすげー緊張した。留学生同士はヒンディー語とか、地域語とかを話しているので、私には全く理解できません。なんだか素敵な空間です。授業は英語でおこなう。←これが悩みの種。

短期滞在ってのがポイントで、ひらがなとか漢字とかは教えないのです。日本語をローマ字表記で教えるのです。

 hon wo yonsatu kudasai

みたいな板書をするんですが、なかなか慣れないんですよね~。そりゃそうですよ、今まで中国の子ばかり教えていたから、とにかくたくさん板書したらわかってくれるという感覚を体が覚えているのです。

 本を・・・

なんて書いてしまうのです。

 反射神経っておそろしい。

何回も何回も漢字を板書してしまうのです。学生さんもあきれ顔。ローマ字表記もヘボン式なのか訓令式なのか迷うし、も~う、教師は大変だ。

ところがところが、文字に頼らない教授法って、結構素敵なのです。みんな一生懸命、音に集中するので・・・

 発音がすげーきれい!!

なんでもやってみるもんだなあ。日本語教育の現場は、ほんまに多様です。

まさか英語で授業する日がくるとは思わなかった。

ブログを振り返る

2006-10-27 00:06:27 | 日本語教育
今年の日本語教育能力検定が手元に届きました。

言語学がそこそこ出ていました。グライスの協調の原理、比喩の問題、ピジン・クレオールなどは、このブログでも扱っていたものなのですが、扱い方が雑すぎた。

でるって言ってくれれば、もっと詳しくつべこべ書いたのになあ。

まあ、出るところがわかっていたら、ブログなんか書かずに、もっとおいしい商売をはじめるけんどね~。

でもでも、「ん」が日本語にはたくさんバリエーションを持つという話は、がっつりでましたよ~。ちゃんとこのブログを読んでくれてた人は(そんな奇特な人は何人いるかしらないけど・・・)最低4問正解しています。

これってすごくない?試験範囲はおそろしく広いんですよ~。

逆に、試験問題が漏れているなんてGメンが調査に来たりして~。どうせなら2チャンネルとかに書き込みすりゃよかったよ。

な~んてね、今回は自画自賛でした。

かなりすごいことだと思っているんだけどなあ・・・

わたしだけ?

最後はなぜか、だいたひかるオチでした。

納豆仮説再び

2006-10-24 12:39:17 | 日本語教育
ずーっと前のブログで、

「納豆が好きな外国人は日本語がうまい」

という、なんの理論的根拠もない仮説を提出いたしました。

・・・実は、まだ、真剣に信じているのです、ワタクシ。

私が勝手に思い込んで、勝手に飲み会の席とかで日本人相手にグダグダ語っているだけのときは害はなかったのですが・・・。ふと、留学生に言ってしまったのです。しかも、超まじめで純粋な中国の留学生に。向こうはまだまだ日本語能力も低くて、ちゃんと意図が伝わりませんでした。

私の仮説は「納豆が好きな外国人は日本語がうまい」というもの。

留学生は「納豆を食べると日本語がうまくなる」って理解したみたい。

こらこらこらこら、似ているけど、この2つは全然ちがうのよ!!下の理解になると、突然インチキ臭くなるではないか~。アガリスクを飲むと、ガンが治るなんてのと同じレベルになるがな。

真に受けた留学生は、一生懸命、納豆嫌いを克服し、とうとう毎日でも納豆を食べれるようになってしまったのです。

 「先生、納豆を食べるようになったのに、日本語が上達しません。」

 「う~ん、もうちょっと待ってね。」

突然言われたもんだから、すげーあせった。勘違いしてるよ~なんて説明もできず、またまたいい加減にごまかしてしまいました・・・

 口にご用心。勘違いさせてゴメンよ~~


それにしても、僕は意外と学生から信頼されているようだ、ふふふふふ。

次は、壺とか消火器とか売ってみようかな。

「この壺を買うと、日本語がうまくなるよ、ほんとほんと。いや、ほんとですよう。」

断食終了

2006-10-22 21:40:25 | 日本語教育
ラマダンって聞いたことあります?ムスリムの断食期間です。ちょうど今日でラマダンは終了いたします。

なんだか私も一安心。

今の教え子ちゃんは、インド系ムスリムなんです。日本に来ているときくらい内緒でご飯食べればいいのに・・・な~んて軽いものではないんですね。いっしょうけんめい、昼間は断食をしているのです。

夕方になってくるとおなかが減るようで、貧乏ゆすりが激しくなります。

がたがたがたがたガタガタ、ばたばたがががが←机が動く音。


先週末、私が担当したのは、「~ながら」という文型の導入。

朝ごはんを食べながら、新聞を読みます。
ジュースを飲みながら、勉強します。
おかしを食べながら、友達と話します。

・・・などと、この文型はどうしても食事に関する例が増えてしまうんですよねえ。

「あかんあかん、ラマダンやがな。」

と気づいて自分を抑えるのですが、ついつい練習とかで、

 カレーを作りながら、彼女を待ちます

な~んて言わせてしまうのです。


あ~あ、もうちょっとデリカシーのある日本語教師にならねばなあ。

反省。。。

数え方

2006-10-11 11:45:16 | 日本語教育
「留学生に、日本語のどこが難しいかと聞くと・・・「助数詞の発音」っていう答えがある。」

小泉保先生のホンに書いてありました。

確かに難しい。特に難しいのはハ行の助数詞、匹、本、杯。

いっぴき にひき さんびき よんひき ごひき ろっぴき ななひき・・・

いっぽん にほん さんぼん よんほん ごほん ろっぽん ななほん・・・

いっぱい にはい さんばい よんはい ごはい ろっぱい ななはい・・・

発音がかなり変化しますね。ただ、ここまでだけなら、規則が見出せるのです。つまり、1+半濁音 2+清音 3+濁音・・・ちゅうふうに暗記すればよろしい(これもたいがいめんどくさいけどね~)。しかし、もっと大変なことに、同じハ行の助数詞でも例外があるのです。

分、発、班←こいつらだ~

いっぷん にふん さんぷん よんふん

いっぱつ にはつ さんぱつ よんはつ

いっぱん にはん さんぱん よんはん

今度は3のときに半濁音が現れてしまうのです。外国人は、ここで規則に変更を加えねばなりません。本まに大変やと思いますわ~。ただ、助数詞の発音に一貫性がないことは言語学的にもおもしろいので、検定にもちょこちょこ出ています。

仲間はずれはどれ?

班 匹 杯 本

みたいなやつ。

ハ行の助数詞にご用心~~。

言葉と状況

2006-10-10 10:02:49 | 日本語教育
 1945年、日本はポツダム宣言を受け入れて敗戦が決まりました。そのときの玉音放送ってのをちょっと読んでみたんですが・・・

何を言っているのかさっぱりわからない

これ、日本語なの?って感じ。

不思議なのは、当時の日本国民はみんなこの放送を耳で聞いて、敗戦が決定したことを理解したというのです。当時のことをよくよく聞いてみると、みんな放送自体はまったく理解できていないんだけど、状況から内容は推測できたというのです。

 全くわからない音の羅列+二発の原爆+大都市の焼け野原+天皇の直接放送

 →敗戦宣告

な~んていう図式でしょうかね。このように言葉と状況から意味は作り出されるのだってのをメインに研究する分野を、語用論といいます。

オースティン、サール、グライス、ウィルソン&スペルベル・・・もう検定直前だから丸暗記しましょう。

 夫「おまえ、最近化粧濃いなあ。」

 妻「ええ?そう?」

こんな会話において、字面だけみると夫は事実を指摘しただけなのに、暗黙のうちに「化粧をもうちょっと薄くしたらええのに~」っていう含意があります。このような間接的な発話の力を指摘したのがサールで、去年の検定にも出ました。

 学生「今夜の飲み会これる?」
 
 学生B「明日テストなんですよ。」

このように、字面だけみたら、全くかみあっていない会話も、実はかみ合っているのです。コミュニケーションを続ける意図を持って人は会話をするという「協調の原理」をたてたグライス。グライスの理論を精緻化した、ウィルソン&スペルベル。

 昔親友のムネ君が好きな子を映画に誘いました

 「なあ、いっしょに「○○(タイトル忘れた)」って映画いこうよ。」

 「ごめんなさい、それは商店街の福引きでチケットが当たって、見てしまいました」

 その、あまりにもミエミエのウソに、うちらはみんなで大笑い。今時商店街で映画チケットなんか当たるかよ~~~、なんてね。

 語用論もやり方が下手だと人を傷つけるのです。

 もう10年前の話、時効です。


二人称の謎

2006-10-09 15:39:54 | 日本語教育
先日うちの叔母が、病院の先生とけんかをしてしまいやがりました。原因はいろいろあるので省略しますが、きっかけは・・・「あなた」という二人称代名詞。

 「‘あなた’なんていう呼び方しないでください!!」

とブチきれたのです。日本語の二人称は使いにくいって、いろんな本で指摘されていますが、確かに初対面とかで「あなた」っていわれるとかなり違和感がありますねえ(けんかするほどのことではないけど)。

金水敏先生は、日本語では二人称代名詞の代わりに、実名・役職・親族名詞などを使うと指摘されています。

 あなたはごはんを食べましたか?(ちょっと違和感)
 →直木さんはご飯を食べましたか?
 →先生はごはんを食べましたか?
 →おじいさんはごはんを食べましたか?

しかししかし、役職・親族名詞ならなんでも二人称になるわけじゃなく、代名詞にならない役職名もあります。

 先生はごはんを食べましたか? ○
 教師はごはんを食べましたか? ×
 校長はごはんを食べられましたか? ○
 学生はごはんを食べましたか?   ×
 
 おじいさんはいつも元気ですね。 ○
 祖父はいつもお元気ですね。   ×
 お母さんはいつもお元気ですね。 ○
 母はいつもお元気ですね。    ×

こうやって掘り下げていくと、二人称って結構難しいですねえ。

日本語の教科書では二人称代名詞にかなり工夫がされています。

 (あなたは)どこに住んでいますか。

のようにカッコ付きで導入されていたり、全く扱っていない教科書もあります。こういった二人称の体系が難しいから、二人称をすべて「先生」で済ませてしまう留学生が特にアジア系で多いです。

 「先生はどこから来られましたか?」
 「俺、先生ちゃうがな~」

みたいな会話をよく耳にします。

日本人にとっても二人称の呼び方って悩みますもの。留学生にはきっと大変に違いない。
 

形容詞のエトセトラ

2006-10-08 20:47:58 | 日本語教育
「あのバンドの新曲いいで~~」

なんていう文を聞いたからといって、私が気に入るかはわかりません。「いい」という形容詞は、かなり主観的に左右されてしまうので、「いい」かどうかは人によって判断が異なるからです。僕なんてビー○のどこがいいかわからへんもの(ファンの方ごめんなさい)。

「あの人、めっちゃかっこええで。」

などというのも人によって判断が違う。だから人間はそれなりに平和なのです。みんなそれぞれ彼女とくっついたり離れたりできるのです。もしかっちりとしたラインが合って、このライン以下の男はブサイク、以上ならカッコイイなんていう二分類がなされていたとしたら、いやだろな~~。

 「頼むから生まれてくる子供はブサイクラインを超えますように!!」

みたいなお願い事がいっぱい出るに違いない。

しかし、「大きい/小さい」なんていう形容詞は、ある程度客観的に判断ができます。もちろん、「大きいぞう」と「大きいあり」の大きさは違うのですが、基準さえ決めたら、なんとか判断ができます。

このように、形容詞っていうのは、主観性の強いものと客観性の強いものがあります。フランス語の感嘆文では、ある形式において、主観的な形容詞しか使えない構文があり、形容詞の主観性ってのは大事なファクターなようです。

日本語はどうか?

主観性の最右翼(右翼なのか左翼なのかはわからないけど。)とでも言うべき、感情形容詞というのがいつも問題になります。

 私はうれしい。
 *彼はうれしい。
 *あなたはうれしい。

*は、ちょっと違和感があります。つまり、日本語の感情形容詞には人称制限があるのです。「彼はうれしそうだ」、とか「うれしいようだ」のように文末を変えないと使えません。他人の感情なんかわからないでしょ?だから断定しちゃだめっていう理屈でしょうかね。

数年前の日本語能力検定で、記述試験にこれが出ました。

一度出たから、もう出ないかもね~。

でもでも、大事な問題だと思うのです。

ちなみに「大事な」なんていうのはすげー主観性の強い形容詞だわね。


(今回の内容は、形容詞と形容動詞は特に区別せずに書いております。)

言葉と偏見

2006-10-07 11:58:20 | 日本語教育
 最近、標準語という言い方をやめて、共通語という言い方に変わっております。われわれが標準だなどと思い込んでいる言葉は、実は東京の山の手の一方言を、これから標準に制定するぜ~って言われて従っているだけなのです。それを標準だなんて言ってしまうと、他の方言はすべて、非標準的な言葉になってしまいます。それはまずいというのが、共通語という用語の発想です。

 一時、日本でも方言話者をひどく差別していた時代がありました。特に琉球と東北が強かったそうですが、方言をしゃべったら方言札というものを首からぶら下げられて、次の方言話者を見つけるまでずーっと首にぶらさげていたそうな。

 黒人英語をきたない英語と考える輩がいるそうな。

 ピジンやクレオールといた混成言語を、能力の低い人間の言語だとみる偏見はあるそうな。

 たかが偏見というなかれ。確かに、日本語でも敬語とかが話せない人を低く見たり、助詞をぬかしてしまう外国人の日本語を低く見てしまうなんてことはあります。これは人間の性なのかもしれません。

 これらの偏見に対して意義を唱えているのが、社会言語学という分野です。共通語も方言も言語のバリエーションとして考えます。当然、白人英語も黒人英語も英語のバリエーション。ピジンもクレオールも言語のバリエーション。バリエーションに差異は存在しても上下関係はないのです。

 (建前として)言語学的には正しい言語なんて用語は使ってはいけないのです。
    ↑
 難しいけどね~。

でも試験とは、建前をのうのうと述べるものです。去年の日本語教育能力検定に、ピジン・クレオールに対する言語学者の見方というのが問題に出ています。それらの言語を肯定的に捉えている選択肢が答え。

社会言語学の発展とともに、方言の地位も上がってきました。
 
 
 関西弁ブラボー!!