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日本語教師の見た中国とか…

日本語教師が見た中国をつらつらと綴ろうとはじめました。帰国後、大学院生を経て今はとうとう専任日本語教師だ~。

断定はせぬぞ!

2006-05-29 10:09:22 | 日本語
 今教えている中国人留学生のリューさん(仮称)は、中国の某有名大学の日本語科所属、かつ交換留学生で日本へ来ている、いわゆる

 超エリート。

ものすごい競争を勝ち抜いてきたリューさんは、まだまだ20才の女の子。

 理解力暗記力に関してはパーフェクトです。一度勉強した単語は、すぐに覚えてしまいます。

 「どうして日本の天気予報では‘~でしょう’を使いますか?」

 「公共の電波を使ってわざわざ天気を予想してみなみなに教えてやろう」なんていう放送において、なんでわざわざ推量の‘でしょう’なんかを使うんだ?というのが彼女の質問。

 「はっきりと断定しなさいよ~」

といいたいようです。日本語は言葉に慎重だと思うんですよね~。未来のことを断定するなんて人間にはできない。などという慎重論が背景にあるのか、はずれて文句言うてきても知らんよ~という責任回避の気持ちがあるのか・・・

 いかんせん、外国人には不思議に映るらしい。


 釣りバカ日誌のハマちゃんが、奥さんにプロポーズしたとき、

 「あなたを幸せにする自身はありませんが、僕が幸せになる自信ならあります。」

と言っていましたが、やはり、他人の不確定な未来のことを断定するのはどうもやりずらいものです。

 「君を一生愛しているからね~」←ああ、またきれいごとばかり言ってるニャア♪
   
  by 大槻ケンヂ

などという歌詞が出るのも同じ感覚かなあ。


 母「あんたいつになったら大学院を卒業するのよ?」

 私「う~ん、今年中には論文書くんじゃないかな~」


未来を断定するのって、勇気がいると思いません?

うふふ。

1匹の犬 1頭の牛

2006-05-26 12:11:08 | 日本語
 日本語には助数詞という、もののカテゴリーを表す言葉があります。

 匹、本、冊、頭、羽・・・

ちょっと、この中で、動物を表すものをあげてみると、

 匹、頭、羽

みっつだけです(人間は除いてね)。ちなみに、‘頭’は英語の‘head’の翻訳として、かなり最近日本語に入ってきたものなので、究極的には、

 匹、羽

だけになります。まあ、飛ばないものと飛ぶものの区別かなあと思うのですが、ハエとか、ガなんかは一匹ですねえ。カテゴリー化は単純ではありません。
 
 それはおいておいて、‘匹’これは、二つのものがくっついた状態を表す漢字です。つまりお尻のことなんです。われわれは動物をおしりでもって数えているんですねえ。だから、正しい日本語を話したければ、


 「あ、犬が三おしり歩いているよ。」
 
 「あるところに、三お尻の子豚が住んでいました。」

などのように使うべきです。ちょっと悪ぶって言いたい方は、

 「さっき、猫が二ケツいっしょにならんでたぜ、おい。」

などのように使ってください。

 それに対して英語起源の‘頭’、これは文字通り頭です。牧畜型言語と農耕型言語という区別をたてている研究者がおられましたが、牧畜してたら、きっと家畜を頭でかぞえるはずです。反対に、農耕に牛馬をつかっていると、いっつもお尻ばっかり見ていることになります。

 そんなこんなで数え方はおもしろい。

 ちなみに中国語では犬やロバを‘一条、二条’と数えます。‘条’は日本語の‘本’に対応するので、ロバの尻尾を数えているといわれています。


 一尻尾、二尻尾、三尻尾・・・


 な~んかかわいいでしょ?


 これも農耕型だなあ。

カンのいい人、悪い人

2006-05-24 20:20:08 | 日本語
 めっちゃカンの悪い人はいるものです。会話してても、そこはわかるやろ~みたいな聞き違いをする人、回りにいません?

  「(共通の友人の)結婚式は梅田になったからね。」

  「わかったよ。」

  「なんか出し物せにゃいかんなあ。」

   「せやな。」

  「ビンゴゲームは司会がやるみたいやで。」

  「ええ!?りんごげーむ!!??」

最近、つれとした会話だす。おまえなあ、どこの世界に「りんごゲーム」なんていう遊びがあんねん!きれましたわ。これをちょっくら言語学的に見てみます。

 話題が結婚式なので、結婚式の出し物に関する知識(スキーマ)が活性化されています。歌とか踊りとかゲームとか手品?とか・・・

 私がビンゴゲームと言った段階で、○○○ゲームというカテゴリーが活性化されて、少なくとも「○んごゲーム」という音はつれに伝わっているのです。


 結婚、出し物、「○んごゲーム」とくりゃ、ビンゴしかないっしょ?

 じゃあ、なぜつれは「りんごゲーム」だと思ったのか。

 つれの頭の中で、「りんご」という単語が非常に慣習化されており、結婚とかいう文脈をすっとばしてでも「りんごゲーム」という単語が頭から離れない。


 どんだけりんご好きやねん。

 カンのいい人って、きっと連想が上手なんでしょうね。

 でもでも、どー考えても、結婚、出し物、「○んごゲーム」とくれば・・・


 ビンゴだろうよお。

たとえの話

2006-05-22 12:11:57 | 日本語
  
 男って狼ね  あの人はじゃがいもみたいな顔だ

などのように、「何かを何かでたとえる」ことを比喩(メタファ)といいます。最近さかんな認知言語学ではよく研究されております。

 英語では選挙を競馬に例えることが多い

neck and neck(競っていて差がない状態:「鼻の差」にちょっと近い)という言葉は、ほとんどが選挙関連ニュースとかに使われるそうです。

 じゃあ日本語はどうなの?

「鼻の差」という語をつかってネットで検索してみました。たった50例だけど・・・

 「鼻の差」が選挙関係で使われていたのはたったの1例、しかもアメリカ大統領選挙のものでした。だからといって、日本語では競馬と選挙はつながらないのだという結論はだせません。

「対抗馬」という用語なら、日本語でもかなりの割合で選挙関係の比喩として使われております。

 なんで競馬と選挙がリンクするのか?

 人を馬にたとえる
 当選をゴールにたとえる
 投票用紙を馬券ににたとえる
 選挙活動を疾走にたとえる
 どちらも裏で金が動いている

 確かに共通項がたくさんあるのです。

 う~ん、人間の発想って素敵だ。

 ちなみに、上の共通項で考えるなら、人を馬に写像しています。ちゅうことは、一番しっくりくる状況は・・・

 円楽師匠の立候補 


 しっかりオチがついたところで、今日はおひらきにいたしたいと思います。


 ちゃんら~ん ← これはこんぺい
 

ゴルゴ13

2006-05-19 11:35:48 | 日本語
 ゴルゴ13にあこがれ続ける31歳の私。何がすごいって、依頼者の女の人とすぐに寝てしまう軽薄さ・・・

 それはおいておいて、彼は言語学的にもすごいのです。ある容疑者が何人かわからなくてあれこれ話し合っているときのゴルゴのセリフ。


 「彼の英語には強い声門閉鎖音があった、きっとデンマーク人に違いない!」


 かーーーーーーかっこいい!!


しかしねえ、言語学者は世界にあまたいれども、デンマーク語の音声学的特徴を、そんなにスラスラ言える人はいったいどれくらいいるのでしょうかねえ。印欧語研究の専門家なら常識なのかなあ・・・


 そもそもゴルゴはいったい何ヶ国語を話せるんだろう?しかも現地人のふりして話さねばならない。これは大変ですよ~。僕なんて3年も中国にいたのに、ちょろっと中国語を話すと、

 「お前は何人だ?」

ってバレテしまうもの。


 「えーっと、あのー、草原の奥地から来たモンゴル人です。」


って、いつもウソつきます。でもでもみんなあんまり疑わない。

 「羊の肉が大好き」

って言っておけば完璧。

 まあ、日本人って言ってもいいんだけどねえ。

声とは

2006-05-17 19:00:56 | 日本語
 ハナレグミの永積さんとクラムボンの原田さんの声がめっちゃ好き。あんな声だったらきっと日本語教師なんかやってなかっただろうなあ。とおもう。


 のどにある声帯という筋肉の幅や薄さによって、声の高さは決まるようです。

 スピッツの草野さんは、さぞかし声帯が狭くて薄いんでしょうねえ。


 声とはそもそも、声帯が震えることによって母音がでるわけなので、そこの声帯がどんなもんかっちゅう加減でいろんな声になるんじゃないのかなあ。

 だとしたら、声の整形なんてのも可能になるのでは?


 手術が進歩したら、将来

 「松崎シゲルみたいな声にしてくださ~い」

 などと言うやからも出てくるかもしれません。そんなリクエストに
  
 「よし、じゃあ美空ひばりくらいの歌唱力をおまけしてやる!」

 なんていう時代になったらすごいなあ(どんな歌手になるんだろう?)。


 なんだか今日は、妄想が膨らむブログでした。

テレビの会議

2006-05-15 09:03:39 | 日本語
 ひょんなことから、テレビ電話を用いた全国会議というのに参加しました。北海道から、沖縄までの各会議場9ヶ所をテレビ電話でつないで全国同時開催だ!っという非常に(私にとっては)オドロキのイベントでした。

 日本もここまできたか~

 150年前は飛脚が走っていたのになあ。

とにかく、ものめずらしくて、ただただキョロキョロしておりました。

 ところが・・・


 どうも、話がぎこちない。。。

 具体的にあれこれ考えていると、誰かが発言している間、その人の発言がずーっと続くわけですが、他の会場の人の反応があまりわかりません。特にあいづちがないと、なんだか、壁に向かってお経を唱えているみたいな感じになるのです。


 日本語は相手のあいずちを確認しながら、発話を継続している


と言われているのを思い出しました。今までなんとなくは感じていましたが、テレビ電話を使うと、ものすごく実感します。

 人の発話を見てて萎縮してしまい、結局一回も発言できなかった・・・


 発話なんて、相手が存在してはじめてできるものですねえ。


 ピンポンの壁うちみたいにはいかないのだ。


江戸時代の流行語

2006-05-06 07:01:38 | 日本語
 東海道中膝栗毛 

 江戸時代に読まれた小説です。これがなかなかおもしろい。基本的に庶民の軽い読み物なので、下ネタ、恋沙汰、旅ネタ、そして狂歌でオチという展開ですが、作者もまさか100年以上後の日本人を笑わすだなんて思ってもいなかったでしょうね。

 「下ネタは国や時代を超える」
    ↑
  私の持論

 当時、江戸で流行っていたらしいフレーズ。

 おもしろい→おもくろい
 了解   →のみこみ山

なんとなく、今でも使えそうな気がしません?

 男「なあなあ、週末映画いかへん?」

 女「ええ、どんな映画?」

 男「探偵もの、おもくろいよ。」

 女「う~ん、どうしよっかなあ。」

 男「ええやんええやん。」

 女「残念だけどやめとくわ、あなたと行くと疲れるの」

 男「う、うん。のみこみ山。」


なんだか、せつない例文になってしまったなあ。


とにかくこんな感じで使ってみましょう。


おもくろい?

連体修飾のエトセトラ

2006-05-03 13:34:21 | 日本語
 つれにムネという「要らんこと言い」がいます。ホモ説がでるくらいの仲良しです。滋賀県の名門、膳所(ぜぜ)高校を通りかかったとき・・・


 私「これが頭のいい膳所高校やで~」

 ムネ「じゃあ、頭の悪い膳所高校もあるの?」

 私「(また、要らんこといいよる、こいつめ。)ないわ!」


膳所高校という高校が複数存在して、‘頭のいい膳所’と‘頭の悪い膳所’があるとするとき、‘頭のいい膳所’といえば、これを

 「制限的連体修飾」

と呼びます。逆に、膳所高校は一つしかなくて、それを補足説明する形で、‘頭のいい膳所’といえばそれを、

 「非制限的連体修飾」

と言います。英語なんかではこの二つを区別するって、受験のときに習いましたねえ。which の前にコンマを打つのと打たないのがありました。日本語ではその二つを区別しないので、冒頭のような会話が成立してしまうのです。その要らんこと言いのムネを言語学的に分析すると、

 非制限的に発話した私の言葉を、制限的に解釈したかのようなふりをしてつまらんチャチャを入れた。

っちゅうことになります。こう考えると、なかなか味があるつっこみ・・・かな。

 「僕の大事な恋人」

 これが、非制限的か制限的かでえれー違いますねえ。

 これからこう言った発話をするときは、

 恋人「愛してるわ

  「僕もだよ、君は僕の大事な恋人だから。」
 
 恋人「・・・」
   
  「え~~っと、これは非制限的連体修飾の‘大事な恋人’だからね。」

 などというように、聞かれてもいないのに余計な説明をすることをおすすめします。誤解を避けるために・・・


 それにしてもベタな会話やなあ。

こぶしと木蓮

2006-04-27 12:51:46 | 日本語
 しらかばーあおざおーら、みーなーみーかーぜ!!こぶし咲く・・・・

でお馴染みの、「こぶし」。実は花の名前であり、それがどんな花か知りながら歌っている人はどれくらいいるのでしょうか?若い人ほど知らないと思うけど、若い人ほど、こんな歌は歌わないから、歌っている人はきっと意味をしっているのかもしれないし、結構割合は高いかも。

 もういっちょ


 会いたくてー会いたくてー、この胸のにゃにゃにゃにゃにゃ(歌詞がうろ覚えだ)・・・ 

ではじまるスタレビの名曲「木蓮の涙」。これも一体「木蓮」の花を知りながら歌っている人が一体何人いるか疑問です。

 というのは、僕自身、意味もわからず口ずさんでいたから・・・

 このように、言葉(特にものの名前)というのはその意味をわかっていなくてもなんとなく理解できたり、それを使ってしまったりなんてことができるのです。例えば、

 庭に、グルグルガガボが咲いているわ。

なんて、わけわからんことを言われても、まあ、けったいな花の名前やろうなぐらいの理解で意味はとれます。

 つまり、言葉は、意味がよくわからなくても平気で使えてしまうってこと。

 庭に、こぶしと木蓮が咲いています。実はとてもよく似ているのです。そしてどちらも美しい。

 「北国の春」と「木蓮の涙」の歌詞から受ける印象は、あんま似てない気がするんだけどなあ。

春が来て・・・

2006-04-19 11:12:33 | 日本語
 実家がある、滋賀の山奥にも春がおとずれました。まだまだ根雪はあるものの、すっかりあたたかくなってきて、さくらも咲き始めました。

 今年の冬は雪がすごかった・・・まさに豪雪。

庭に出ると、両親はいつも「あ~大事な栗の木が折れてしまった。」とか、「おっ、折れたもみじから新芽が出てきた」などと、木々をみては一喜一憂しております。大雪でほぼ全滅してしまった庭の木も、復活したりできなかったりです。

 春を迎えての、こういった一喜一憂は、日本人が何百年と繰り返してきたものではないかと思うのです。「日本語には自然に関する語彙が豊富である。」という指摘をしているのは金田一春彦の『日本語(上)』です。雨に関する語彙の豊富さなどが紹介されています。

 自然の厳しさと、そこから再生産される生命の力強さ、そういうものに一喜一憂する文化と日本語という言語は切り離せないのじゃないかなあと思ってしまいます。

 ってことは、やはり日本語はアイヌみたいな北方言語が起源なのでしょうかねえ(興味ある人は「日本語の起源」参照)。

 
 な~んて無責任な主張はよしましょう。春はうかれてしまう。

 根拠の弱い主張でも、えいやー!!っとしてしまう季節です。

 
 つくしが大量に群生しており、ナウシカのエンディングごっこをしてしまった31歳の私。(←どんなんか想像できます?)

チマチマ活用

2006-04-17 09:09:52 | 日本語
 初級日本語を教えていて思うのは、「初級って、動詞の活用練習ばっかりやんけ~」ってこと。

 「見る」「書く」を例にとれば、

 見ない  書かない  ない形
 見ます  書きます  ます形
 見る   書く    辞書形
 見ろ   書け    命令形
 見よう  書こう   意向形

な~んていう2タイプの変化があります。ここで留学生は

 日本語動詞は大きく分けて2タイプの活用がある(実際にはもうちょっとある)。

っていう規則を暗記します。また、「書く」のように‘書’の後ろが「か、き、く、け、こ」なんていうふうに変化していくやつを五段動詞(1グループ)などと呼び、留学生はすべてひとつひとつ暗記していくわけです。動詞の活用を覚えるだけでもんのすごい労力ですよ。

 なのになのに、「書いて」という形のときは、「か、き、く、け、こ」という変化が適応されず、例外的に、‘い’という音が出現します。これをイ音便といいますが、留学生はまたそれを、例外事項として記憶するわけです。

 つまり、「書く」のように‘く’で終わる五段動詞は、て形が‘い’になる

という規則を暗記しするわけです。「泣く」→「泣いて」、「すく」→「すいて」、「きく」→「きいて」の例を見ると、確かにこの規則はうまくいきます。ところがところが、そこにまた例外が出現します。

 「行く」→「行って」

今後は‘く’で終わるくせに促音便になるへそまがりくんがいるのですよ。だから、

 「書く」のように‘く’で終わる五段動詞は、て形が‘い’になるが、例外的に「行く」は「行って」になる。

っていう規則に変更するわけです。

 こんなにチマチマ活用しやがって!!ちょっとは中国語を見習え!!

 書く:写(xie) 不写  ない形
           写   ます形
           写   辞書形
           写   命令形
           写把  意向形


 3秒でおぼわるでしょ?

 でもチマチマしてても、非効率的でも日本語はかわいい。
 

さくら

2006-04-11 14:53:14 | 日本語
 関西地方は連日の雨、せっかく咲いていたさくらがすっかりしょげています。「咲く」という漢字はもともと「笑う」という意味だそうです。雨のせいで笑いも消えるっちゅう話ですよ、お花見したいのになあ。

 日本人はなんでこんなに桜がすきなのか?

「さくら」というタイトルをからめた曲がいくつあることでしょう。森山直太郎、ケツメイシ、コブクロ、吉いくぞう、インスピ、コブラツイスターズ、サザン。沢木耕太郎が、「売れる歌は売れる歌詞を順列組み合わせにすればいいようだ」みたいなことをエッセイに書いていましたが、まさに「さくら」は売れる歌の歌詞ですねえ。

 「さくら」って響きもいいですよねえ。これが有声音ばかりならきっとこんないい響きにはならないはず。

 ざぐら まずら ごじら ぐじら ばぐら もぐら ねぐら ががが

 どう? 

 さくらは、日本語の表現なんかにも入ってて、桜色とかさくら(客のふりしたスタッフ)とかさくら肉なんてのも。日本語教育能力試験を受けた知り合いが、手紙をくれて、一言だけ、

 サクラサク

とありました。なんだか粋な手紙ですねえ。

 最後に素敵な一句(一般には駄作と言われていますが、僕は好き)


 散る桜 残る桜も 散る桜    良寛

 
 もうすこし散らないで~~ 

サラリーマン川柳

2006-03-26 13:04:32 | 日本語
 俳句にしろ川柳にしろ、たった17文字で味わいのある詩を作るだなんて、日本語はなんて素敵な言語なんでしょう。な~んて、文学評論的な書き出しをしてみましたが、川柳の魅力は、なんといっても笑えるところ。私の心に響くサラセンを勝手に紹介します。

 カーナビは曲がれと言うが今は無理    読み人知らず

先日カーナビを入れたばかりのウチの母は、うれしくて毎日スーパーまでナビを使って行っています。ただし、縮尺設定のいじり方がわからず、曲がる場所がよくわかりません。交差点でアワアワしている母を思わず髣髴とさせる、名作ですねえ(おもいっきり個人的理由だけど)。

 子はゲーム家ではパパが無視キング    昔は虫博士

お父さんの自虐ネタを川柳で笑い飛ばせるっちゅうのは、きっと家庭がうまくいっているからなのではないかなあなどと、この作者さんの家庭まで想像しながら笑いました。カブトムシは世代を超えて人気者、似ているのにゴキさんは人気ないですよねえ。

 
 気にかかるメールがはやいあのおやじ   ハバッチョマン

最後の一つは、文句なしにおもしろい。あるある~って思いながら読んでしまいました。
雅号がハバッチョマンっていうのも、なんだかおもしろい。まさに、命名の言語学ですねえ。


 最後に一句、 


 言語学、変換したら「言語が苦」


 
 論文発表まであと12時間!こんなブログ書いてるヒマはないんだけどなあ。

世界ってなんだ?!

2006-03-22 17:38:05 | 日本語
 王ジャパン、とうとうやりましたねえ~!特に愛国心とかなくても、日本人が外国でがんばっているのはうれしいことです。

 マスコミとかを見てると、アメリカ批判的な話がチョコチョコでてきます。まあ、細かい話は置いておいて、アメリカ批判の中のひとつを紹介します。

 「WBCが始まったんだから、メジャーリーグの優勝決定戦をワールドシリーズって呼ぶのはふさわしくないのではないか?」

なんてのが、取りだたされております。確かに中華思想ならぬ、中米思想的な考えはゆっくり反省していただきたいものですが、ちょっと言葉にひっかかってしまいました。

 世界ってなあに?

ってこと。

 メジャーリーグだけで、ワールドシリーズだなんてのは、ほんとに大げさだけど、WBCだって、一次予選参加国は16くらいじゃないのかなあ。国連加盟国が、現在190ヶ国くらいだとしても、WBCが世界だとはとても思えないんですよねえ。←だったらどう呼べばいいんだよ!なんて言われても困るんだけど・・・

 ましてやましてや、「世界の王」なんて表現を日本のマスコミはしょっちゅう使います。もちろん王監督の偉大さは日本だけには留まらないんですが、なんだかひっかかるんですよねえ。

 なんだか、熱狂に水を差すようなブログになってしまいましたが、言葉の使い方には常々気になってしまいます。ちょっとパラノイアックになっているのかなあ。


 つまらんひっかかりはおいといて・・・王ジャパン、おめでとうございます。

 
 松中の顔が好き!!