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いい日旅立ち

日常のふとした気づき、温かいエピソードの紹介に努めます。

永田和宏の秀歌①~いまごろになって~

2019-04-27 10:46:42 | 短歌


永田和宏と河野裕子は、
花壇でも有名なおしどり夫婦だった。
その結婚生活は40年に及ぶ。

2人は、京大短歌界で出会った。

そののち、めでたくゴールインする。

しかし、河野裕子は、54歳で乳がんを宣告され、
手術を受ける。
これは成功したが、
乳がんは、再発したら、
余命を宣告されるようなものだ。
10年後、河野裕子は、逝く。

60歳前後の永田和宏に次の歌がある。

その頃、永田は、河野に自分の歌をほめてもらうのが
よい歌をつくる力になっていたことに気づく。
……

きみが褒めくるるがわれの力だったと気づくいまごろになって

新つじどう会の作品⑤~自然~

2019-04-23 23:12:09 | 短歌


~新つじどう会の作品~


黒椿 すずめのつがい日ごと来て あはれ花心は餌にかはりぬ

わが夫はハシビロコウのごとくなり炬燵に入りじっとお茶待つ

青白きスーパームーン眺めつつ「月白」といふ釉薬のあり

しんしんと時雨の中に父といて軽くひびきぬつげ駒の音

あらそいは教会の中 襲いおり「災害鑑賞人」とは自称できぬ日々

老いのゆえ受け入れられぬ友のいて助け舟さへ出せぬわれをさいなむ

教え上手な棋友会~会員体験のお薦め~

2019-04-23 10:46:51 | 短歌


わたしの属する地域サークル(将友会)には

こどもさんもよく出られます。
まったく知らない(駒の動かし方も知らない)ところから、
指導します。
教え方は、元会長さんが一番上手だったのですが、
それに負けない教え上手な方(Hさん)が来られるようになりました。

まで級位者ですが、とてもやさしい、
しかも熱心な方です。

駒の動かしかた、
優しい詰め将棋など、
丁寧に教えます。

実際の会員との戦いでは、
自分と相手の指し手を、全部記録しておられます。

子どもへの指導者として、大事なのは、次の3つです。

①優しいこと。
②基本的なルールを易しく教える方。
③実戦で、よく読んでから指される方。
④教材選びが上手な方。

今、小学校2年の子どもが来ています。
私の経験から、すぐに強くなる子だと思います。

期待して、みていますし、指導したいと思います。
会費は、ただです。

場所は、土、日曜日の1時から5時まで。
茅ケ崎市十和田公民館にて。
この時間帯でしたら、いつ来ても、いつ帰っても差し支えありません。
ご希望の方は、十和田公民館にお電話ください。








短歌はこころの糧

2019-04-22 20:26:25 | 短歌


短歌を作り始めて1年になりました。
まだ、300首です。
詠むことは、思うにまかせません。
でも、
自分の感覚を磨いていくには、
絶好の分野だと思っています。

歌人の先輩の指導を受けつつ、
創り続けています。

……

はるかなる天の国なる園の中帰らぬ母あり逝きし父あり

くらやみのなかをはいつつ生きるいみもとめておりぬ青かりしわれ

ひと部屋に老年少年安らぎて駒音ひびく春の夕暮れ

たまきはるいのちのさきのたゆたいのむねのなかなる春の浮き雲

「たとへば君」~出会い~河野裕子のエッセイ①

2019-04-20 13:33:47 | 短歌


「たとへば君」

河野裕子のエッセイより。

昭和42年に、どういう機運でしたか
京都の学生たちが集まって同人誌「幻想派」を
立ち上げました。その第1回の会合が京大の
楽友会館でありました。
夏だったような記憶がありますが。
楽友開館というのは、京大キャンパスの中にあって、
大正末に建てられた趣のある古風な建物でしてね。
あの人が一番初めに来ていたらしくて、立って窓の外を見ていた。
私が入っていったら振りむいた。
それが初めての出会いだったと思います。
テーブルをはさんで、向かい合って座ったんです。
そして須田克太が描いたドクダミの表紙の「塔」の
8月号を渡された。
そのとき、向こうは私のことを生意気な奴だと思ったらしいんですよ。
私も、なんて生意気なんだろうと思ったから、
お互いに生意気だと思ったんですよ。

たとへば君~永田和宏と河野裕子の相聞歌①~

2019-04-20 13:13:43 | 短歌


永田和宏と河野裕子は、
永田が京都大学の学生20歳
河野が京都女子大学の学生21歳の時、
京都大学短歌会で知り合った。
その後も愛を保ち続け、結婚する。

そして、ふたりとも歌壇の頂上までのぼりつめた。

河野が64歳で逝くまで40年間、
2人は相聞歌を作り続け、
各々約500首を捧げた。

エッセイ集「たとへば君」に、主要なものが
書かれている。

恋愛絶頂期の歌とエッセイを見てみる。

……

たとへば君 ガサッと落ち葉すくふやうに私をさらっていってはくれぬか
                             河野裕子

君に逢う以前のぼくに遭いたくて海へのバスに揺られていたり
                             永田和宏

名歌鑑賞29 河野裕子のイタズラ猫トム

2019-04-20 08:17:07 | 短歌


河野裕子の家では、
猫を2匹飼っていた。
一方は、いつも寝てばかりいて、
人懐こしいフー。
一方は、家にいつかない
放浪トム。

トムは、しょっちゅう出かけては、
しばらく帰ってこない。
盛んにけんかしているらしい。

それでも、
飼い主の恩はよく知っているようで、
河野が病気で寝込んだとき、
お見舞いにネズミを布団のところに
置いていった。

その、トムがケンカで怪我をして帰ってきたときの歌。
動物病院の診察券の名義は、「永田トム」になっている。

……

永田トムの診察券を出して待つまたケンカして血みどろのトム

与謝野晶子の世界⑨~黒髪~

2019-04-20 06:59:33 | 短歌


与謝野晶子は、数詞を含んだ歌を多く作っている。
そのなかでも、とくにすぐれた、名歌がある。

歌集{みだれ髪」
にある、次の歌である。

……

その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな

「その子二十」の初句の字余りにみずみずしい迫力がある。
「その子」とは、作者自身のことであり、二十歳の青春真っ盛りの
自らのことを「櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな」
と褒めたたえている歌なのである。

与謝野晶子の世界⑧~ファッション、洋装~

2019-04-20 06:43:24 | 短歌


与謝野晶子は、ファッションリーダーであった。
洋行するまでは、着物で通していた。
ところが、与謝野寛と、フランスにしばらく滞在するうち、
洋装の良さを、しみじみ実感する。
体の線は自然にでるし、体をしめつけられない。

また、フランス女性が流行を追っていると言っても、
それぞれに、最も似合う様子を選んでいることに感服した。

帰朝して、洋装をすることが多くなった。
与謝野晶子は、ファッションリーダーだったのである。

……

朝を細き雨に小鼓おほいゆくだんだら染の袖長き君

紅梅に金糸のぬひの菊づくし5枚重ねし襟なつかしき

新しい詩④たまきはる

2019-04-19 23:20:18 | 短歌


たまきはる

たまきはる命は悲し……
かくはまた老いおとろへし命さへ
いたみなやめる日の空に
柘榴の花は咲き出でぬ
なにごとの合図のこゑか
世はおしなべてみどり濃き昼のしじまに
日よりもあかし
その花あかし
いざさらばわれもうたわな
えしやよし耳貸す人はあらずとも
吾胸底のふる歌を
われもうたわな



俵万智の高校教師時代の歌

2019-04-19 23:02:54 | 短歌

歌人俵万智は、短い間だが、
県立橋本高校で教鞭をとった。
科目は国語。
その頃の名歌5首。

……

青春という字を書いて横線の多いことのみなぜか気になる

シャンプーの香りをほのぼのとたてながら微分積分子らは解きおり

この子らを身ごもりし日の母のことふと思う試験監督しつつ

親は子を育ててきたと言うけれど勝手に赤い畑のトマト

出席簿紺のにブレザ空に投げ週末はかわいい女になろう

名歌鑑賞28 ~俵万智~短歌ブームの火付け役

2019-04-19 18:19:24 | 短歌

俵万智。
昭和37年大阪生まれ。
「心の花」所属。佐々木幸綱に師事。
歌集「サラダ記念日」「チョコレート革命」「プーさんの花」など多数。

早稲田大学出身、
元神奈川県立橋本高校で国語教師に。
のち、沖縄、九州地方に住む。
シングルマザー。

「サラダ記念日」は、200万部売れ、
短歌ブームの火付け役となった。

………

「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答えるひとのいるあたたかさ

恋人や伴侶、そして家族というものの本質を、
見事に言い当てている。
傍らにいて、ただ相槌を打ってくれる存在。
そんな存在があるだけで、
自分の生がほのぼのと温かく感じられる。

……

思い出の一つのようでそのままにしておく麦わら帽子のへこみ

「また電話しろよ」「待ってろ」いつもいつも命令形で愛を言う君




名歌鑑賞28~前田夕暮~金の油を身にあびて

2019-04-19 17:18:00 | 短歌


前田夕暮。
明治16年神奈川県生まれ。尾上柴舟に師事。
「白日社」設立。
「詩歌」創刊。
歌集「収穫」「生くる日に」など。
昭和26年没。

………

木に花咲き君わが妻とならむ日の四月なかなか遠くもあるかな

結婚の「日を」待ち望む青年の気持ちが詠われている。
明治という時代のせいもあるだろうか。
咲き満ちる「花」たちに祝福される
その「日」に対する詠いぶりの素直さが良く出ている。

……

ひまわりは金の油を身にあびてゆらりと高し日のちひささよ

名歌鑑賞27~斉藤茂吉の代表作~

2019-04-19 17:06:28 | 短歌


日本のおとななら、斉藤茂吉を知らない人はないだろう。
念のため、略歴を書いておく。
明治15年山形県生まれ。

伊藤左千夫の門下生となり、「アララギ」に歌を発表。
歌集「赤光」など。

………

ゆふされば大根の葉にふる時雨いたく寂しく降りにけるかも

のど赤きつばくらめふたつ梁にゐてたらちねの母は死にたもうなり

あかあかと一本の道とほりたりたまきはるわが命なりけり

名歌鑑賞㉖~家族の歌~死を見つめながら~

2019-04-18 22:36:39 | 短歌



河野裕子の死の前後、
家族4人が、
歌を作り、
それぞれにエッセイを書いた。

今日は5首挙げる。

……

いつまでも私はあなたのお母さんごはんを炊いてふとんを干して
                           河野裕子
わたしだけがあなたの帰りをまってゐるごはんをつくり灯りともして
                           河野裕子
相槌を打つ声のなきこの家に気難しくも生きていくのか
                           永田和宏
死してのちお母さんと呼ぶをためらわずなりお袋となり損ねたる母
                           永田淳
いろいろなときにあなたを思うだろう庭には秋の花が来ている
                           永田紅