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いい日旅立ち

日常のふとした気づき、温かいエピソードの紹介に努めます。

名歌鑑賞㉕~河野裕子の青春の歌~

2019-04-17 21:02:18 | 短歌


河野裕子と永田和宏との出会いは、
衝撃的なものであった。
学生短歌会に出て、ほどなく相手を恋人として意識するようになる。

年齢は、河野が1歳上だが、
河野が高校で病気のために
1年留年しているので、
同学年である。

出会いから結婚までのことは、

「たとへば君」に詳しい。

河野と永田は、河野の死まで、

河野から永田へ500首
永田から河野に470首

の相聞歌を残した。

河野裕子の学生時代の短歌を4首。
第2首〇は、短歌界でも傑作として有名である。

……

夕映えを常に明るく受くるゆゑ登りつめたき坂道があり

〇たとへば君 ガサッと落ち葉すくふやうにわたしをとっていってはくれぬか

灼きつくす抱擁の時もナイフもて君が心臓さぐりゐしわれ

吾ために薔薇盗人せし君を少年のごとしと見上げてゐたり






与謝野晶子の世界⑦~1人称で生きる~

2019-04-17 20:31:44 | 短歌


与謝野晶子は、女学校(今の中学)しか出ていない。
本人は、高等教育まで受けたかったのだが、
親が許さず、その後は和菓子屋を手伝った。

兄は東大工学部を出て教授になったので、
悔しかったらしい。

それで、自分でたくさん本を読んで
教養を磨いた。

文学書、科学書、哲学書

と読書範囲は広い。
文芸誌「青鞜」にも詩を寄敲している。

ニーチェも読んだ。

……

大いなるツアラストラの蔑みし女の中にわれもあるかな

「サラダ記念日」~俵万智の短歌の英訳~

2019-04-17 11:12:26 | 短歌

短歌の英訳がなされるようになってから、
もうずいぶんになる。
やはり、その中で最も多いのは
俵万智の歌集である。
「サラダ記念日」より。

……

泣き顔を鏡に映し
確かめる
いつもきれいでいろと
言われて

I am advised:
ajways be beautiful.
in the mirror
I check my face to see
If teers make a difference.

愛持たぬ
一つの言葉
愛を告げる
幾十の言葉より
気にかかる

A single word
spoken without love
gets to me more
than any tens intended
to convey love.






与謝野晶子の世界⑥~無痛分娩~

2019-04-17 10:56:07 | 短歌


与謝野晶子の歌。

……

悪龍となりて苦しみ猪となりて啼かずば人の産み難しきかな

1911年2月の出産の際に詠まれたものである。
無痛分娩である。
出産直時に意識を失うほどの難産であった。
全身麻酔による無痛分娩は珍しく、
与謝野晶子はかなり早くチャレンジした。

「私は人間の力で人間の苦痛を除きうる確信を得たことが
近代人の誇るべき自覚の一つだと思っている。
したがって、私は平生から避け得らるべき肉体の苦痛を避けずにいるのは
無益な辛抱だと思っている。」

与謝野晶子の世界⑤~科学への関心~

2019-04-17 09:45:50 | 短歌


与謝野晶子の世界。
与謝野晶子は、科学にも大きな関心をもっていた。
とくに、女性飛行士が来日し、
鮮やかな飛行技術を披露したことには感動したようである。

飛行機という発明のみならず、
それを自由に乗りこなす女性パイロットの「科学的聡明」に感激していることに、
科学への高い関心がうかがわれる。

……

飛ぶ鳥に似たる軽戯ひさかたの飛行機などに人の驚く


名歌鑑賞㉔~死を見つめながら~河野裕子

2019-04-17 09:15:48 | 短歌


河野裕子と永田和宏は、
オシドリ夫婦として有名であった。
刺激しあい、支えあって、
40年の間に、
妻から夫に500首、
夫から妻に450首が
捧げられている。

そして、
永田が逝ってから、
河野が生き抜いたうえ、
2人で天国で暮らそう、
と誓い合っていたのである。

ところが、
河野が54歳で乳がんを発病し、
64歳で早逝してしまった。

このような経緯から、
多くの逸話、歌集が生まれた。

62歳で乳がんは再発した。
乳癌の再発は、余命を著しく縮める。
あと2年、とふまれた。

次に示す3首は、

死を前に静謐な気持ちでつくられた。
心をうたれる。

……

大事なのはお母さんでゐること山茶花よご飯を作りお帰りといふ

泣くのなんかやめてしまった筈なのに十歳の櫂を抱きしめる ああ生きたい

元気ならば生きゐることは楽しからむ烏だってさうだこゑなき分けて










名歌鑑賞㉔~森のように獣のように~河野裕子

2019-04-17 08:53:35 | 短歌


河野裕子は、
多くの弟子、ファンに
「裕子ちゃん」と呼ばれ、親しまれた。

のちに夫となる永田和宏と恋仲であったとき
詠った次の歌は、
若い女性の新しい恋、新しい歌の先駆けとなった。

……

夕闇の桜花の記憶と重なりてはじめて聞きし君が血のおと

夕闇に咲く満開の桜。それは、はなやかでなまめかしく、同時にはかない。
抱き合って訊いた恋人の血の音、心臓の鼓動が思い出される。

……

河野裕子が短歌の世界に登場したのは、
昭和40年代の半ばである。
学園紛争がピークを過ぎ、
当時の学生たちは、
徐々に新しい価値観を模索し始めていた。
戦後の新しい時代の登場が待ち望まれていた。
河野裕子は、この「桜花の記憶」などの歌によって、
その旗手となったのである。

名歌鑑賞㉓~いのちの歌~蝉声

2019-04-16 22:37:05 | 短歌



河野裕子は、女流歌人の旗手であった。
学生時代に短歌で知り合った永田和宏と結婚し、
54歳で乳がんを患い、
一端なおったが、
8年後に再発し、
10年後、
早逝した。

最後の歌集は「蝉声」である。
息子の永田淳の経営する青磁社から
出版した。

その歌は、
死を見つめながら、
諦観と安らぎを与える作品集となった。

闘病中の歌を3首挙げる。

……

八年半転移を待ちゐし細胞が肝臓にあり増殖していく

生きよう この部屋のドア開けしとき部屋が言ふようにわたしも言へり

来年もこの花たちに会えるやうに一晩一晩ふかく眠らねば


新つじどう会の作品③~新年度~

2019-04-16 19:57:25 | 短歌


短歌のジャンルがブログに取り入れられたので、
掲載しやすくなったのは、ありがたい。

4月に開かれたつじどう会の作品を6首挙げる。

……

ひえびえと海の白波よせる浜 吾妹ありせば何をかいはん

経験を信ぜずという娘あり としかさ吾はなにをいはんか

老ひらくの恋実らせしうたびとは67歳 吾はひとり身

七十へ進む足音たかくなり来る保険証みれば高齢の文字

七五では後期高齢者 いつか行く三途の川の舟賃用意

百歳の線を超へるも夢ならずわからぬ最後 いかなる枯葉

与謝野晶子の世界④~コピーライター~

2019-04-16 14:59:09 | 短歌



与謝野晶子は、コピーライターの先駆者である。
1918(大正7年)に、高島屋がデパート業界に進出すると、
商品の宣伝コピーを与謝野晶子に依頼した。

与謝野晶子は、1912(明治45年)に渡欧し、
約5か月、パリに滞在した。
その間、世界最初のデパートである
「ボン・マルシェ」などを訪れている。

その経験から、
消費は新しい文化、という考え方を生み出したのである。

高島屋に依頼されて作った短歌は、
次のようなものである。

……

円き紋飽かず重ねてなまめかし銀紅色とイスパニア紅

なつかしき敷石の道正午なり秋も琥珀茶帯も琥珀茶

……

また、カルピスのキャッチコピーも短歌にしている。

……

カルピスは奇しき力を人に置く新しき世の健康のため



与謝野晶子の世界③~口輪奨励と小説禁止~

2019-04-15 19:15:58 | 短歌


与謝野晶子が、
政府の方針に強い反対の声をあげたことがある。

……

飼い犬に口輪はむると小説を禁ずる触れと行われたる

1909年、政府が文芸院という組織を設立しようとした。
文学者たちは強く反対した。
晶子もその一人である。
当時は、狂犬病がはやっており、
政府は、犬に口輪をはめることを
奨励していた。
このような「おふれ」
への反対を、
意気高く宣言したのである。

与謝野晶子の世界②~ジャーナリストとして~

2019-04-15 18:59:42 | 短歌


与謝野晶子は、幅広い方面で活躍した。
1917年に出版された5冊目の評論集
「愛・理性及び勇気」の目次を読むと、
よくわかる。
「女子と高等教育」
「婦人参政権要求の前提」
「一切の自殺を排す」
「青年と老人」
「世界婦人の飛躍」
「年下の男子と結婚することの危険」
など。

理由を調べると、
1912年に夫・寛とヨーロッパにわたり
見分を広めたこと、
晶子の時代に、
雑誌や新聞といった、メディアが
脚光を浴びたことなどが考えられる。

彼女が広い関心をもったことは数知れず、
よほど
多方面のことがらを調べなければならないのである。

与謝野晶子の世界①~業績の大要~

2019-04-15 10:20:45 | 短歌


与謝野晶子。
明治11年大阪生まれ。
鉄幹が創立した新詩の「明星」に歌を発表。
歌集「みだれ髪」など。昭和18年没。

与謝野晶子といえば、

髪五尺ときなば水にやはらかき乙女心は秘めて放たず

とか、

やは肌のあつき血潮に触れも見でさびしからずや道を説く君

などが有名だが、

童話作家、
科学への深い関心
数学への興味

といった面も持つ。

新つじどう会の作品②~一区切り~

2019-04-15 09:55:48 | 短歌


つじどう会は、藤沢市で結成された短歌サークルである。

講師1名、
会員5名。

長い歴史を持つ。
月1回会をもち、ひとり三句ずつ発表する。

個性にあふれた作品が多く、
人生の種々相が詠われる。

本日は、
その中から6首。

……

ひえびえと海の白波よせる浜 吾妹ありせば静かに語らむ

経験を吾信ぜずてふ娘ありて年かさ吾はなにを言ふらむ

老いらくの恋実らせし歌人は67歳我はひとり身

卒業式終えし末孫は真顔で報告 花桃は今朝咲き初めし

次々と異国に旅立つ孫たちに時の流れとわが身をなぐさむ

国旗はためきさざめく園児 隣接の卒園の日はおだしく過ぎぬ






俵万智の歌①~「寒いね」~

2019-04-15 09:17:40 | 短歌

俵万智。
その作品「サラダ記念日」は、とにかく売れた。
200万部。
おそらく、短歌の歴史の中で、
これほど売れた歌集はないだろう。

まだ大学生の頃、
この大ベストセラーを出版したのである。
その後、さまざまな視点から、
短歌の歴史を塗り替えてきた。、

昭和37年、大阪市生まれ。
「心の花」所属。佐々木幸綱に師事。

日常のことを歌うのだが、
はっとして、その発想に驚くことがある。

……

「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答えるひとのいるあたたかさ

恋人や伴侶、家族という者の本質を、見事に歌い当てている。
傍らにいて、ただ相槌を打ってくれる存在。
そんな存在があるだけで、自分の生が
ほのぼのと温かく感じられる。