昨日からのつづきです。
>○治とQとまさか田舎の同級生が三人そろうとは思ってもいなかった。
あっ今思い出した、Qを佐倉に呼んだのは私だった。その前は埼玉県にいたのだった。
なにはともあれ佐倉市に同級生がそろって、私の人生を大きく変えたのだ。
彼の仕事は奇麗だった、私みたいに省略しない基本に忠実に仕事をこなしていた。
そしてお客さんにも恵まれていたと思う。お客さんはそのところを理解していたと思う。
建物が完成しても、Qは家族ぐるみの付き合いをしていた。彼の性格なのかカミさんが
いいのかいやどちらも人に好かれるタイプだと思う。(ゴマをすりすり)
ある日、その彼が建前まで間に合わない、キザミを手伝ってくれとのことだった。
「ああっ、いいよ」で手伝いにいった。一服の時間に彼が一言つぶやいた。
「オレ、一級建築士考えている」というのだ。一瞬遅れをとったと思った。
私は二級建築士があれば大工として十分だと思っていた。ただ出稼ぎだけは続くのだ。
「そうか一級建築士を取得し、勤めれば出稼ぎから解消される」そう思った瞬間だった。
その年の出稼ぎ後に、学科試験を受験し翌年製図を受験した。結局2年かかった。
結婚前の彼は大変な人だった、なんと言っていいのか上手く表現できないが分かる人は
分かるだろう。結婚後はいい人になった、これはカミさんが上手に操縦していたのだと思う。
今年の2月に佐倉で同級会をやった、12時過ぎまで飲んだのに、私をはじめみんなを
送り届けて、自分が家に戻ったのは深夜2時半だったと聞く。酒を一滴も飲まないで最後
まで付き合ってそして、酔っ払い共を送ってくれるなかなか出来ないことである。
このときの同級会の画像がすべてパーになってしまった。
大切なデータがあった、東京ビッグサイト・海ほたる・木更津の建築に関する資料が
ウイルスによってすべて吹っ飛んでしまった。エロ画像を禁止したのは言うまでもない。
今回の「悪友編」から前回の「飲兵衛編」「仕事編」へとつながるのである。
私の人生において、節目節目で彼ら三人が登場し“ヒント”を与えてくれるのである。
だからこの三人には足を向けて寝られないのである。(足が水虫で困った)
その後現場監督を9年続け独立した。実際は合格した後が大変だった。
独立後は、スーパーゼネコンはもちろん、中央の建設会社や地元建設会社の図面を
請け負って作図した。これが今でも大きな財産となり自分で設計依頼された物件に
大いに役立っている。また現場で工期が間見合わない応援してくれといわれることもある。
昨年は山形県寒河江市で、泊り込みで工期内に完成させて帰ってきた。
「人生の好敵手、師匠編」を書いてみたいと思う今日この頃です。
「人生の好敵手、師匠編」楽しみです。
なかなかコメントがないので嬉しいです。
期待しないで待っててください。www