た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

開田高原散策の試み

2017年09月25日 | 紀行文

 

 開田高原には秋の陽だまりがあった。

 

 所要時間二時間ほどのトレッキングを試みる。観光案内所で散策ルートを丁寧に説明してもらい、指定された場所から歩き始めたものの、すぐに脇道に惹かれてコースアウト。どうしても大道よりは狭い道を選んでしまう悪い癖である。田舎の風景が広がる。ずんずん脇道に逸れる。観光案内嬢には大変申し訳ないことをした。

 民家の敷地を横切り、あぜ道のようなところを下ったら、蕎麦屋に出た。『大目旅館 とうじ蕎麦』とある。普段は旅館をしながら、日曜日だけ昼間に蕎麦屋を開いているらしい。暖簾をくぐってみた。

 

 二十畳ほどの座敷に、低い長机が並び、結構な数の客がすでにとうじ蕎麦をつついている。奥に席を取り、カセットコンロや漬物やらが順番に用意されるのを待つ。開いた窓からは乾いた秋の風が入る。赤い実のなる木が見えるが、名前を知らない。

 とうじ蕎麦は、キノコでだしを取った熱い汁にすんきという漬物を投入し、そこに竹で編んだ杓子に入った蕎麦を浸して、だし汁で味わう。すんきから染み出る酸味が熱でまろやかな旨みに変わり、香り高い開田蕎麦と相まって実に味わい深い。

 ときどき箸を休めて、窓の外の木の実や、日を浴びて揺れる薄や、遠くの田に立つ天日干しの稲を眺めやる。

 

 大目旅館を出たら、細い川に出た。すでにいい気分である。せっかく教えてもらった散策ルートの十分の一もまだ進んでいない。さすがにこのままでは観光案内嬢に申し訳ない。おそらくあの橋は、手元の地図にある橋のどれかなのだろうくらいの適当な了見で橋を渡り、山へ向かったら、地図にも載っていない喫茶店に出くわした。『ぽっぽや』とある。開田高原とはよほど意外な場所に店が建つところらしい。休んでばかりいないで少しは歩かねばと、いったんは店を素通りして地蔵峠を目指したが、満腹の上に上り坂である。峠はそう簡単に見えてこない。歩いてばかりいないで少しは休もうと、自分勝手に考えをひっくり返して下山し、『ぽっぽや』に立ち寄ることにする。

 

 テラス席で、珈琲とスープとパンを注文する。店名の通り、庭には鉄道の模型が敷かれていた。開田の村落を見下ろし、そのさらに遠くには御嶽山が威風堂々とそびえる。あいにく雲がかかって山頂は見えなかったが、なかなかに眺めのよいテラスであった。模型はドイツ製とかで、細部にわたるまで精巧である。線路も起伏をつけ、建物や駅やプラットフォームに佇む人、沿線の牧草地で草を食む牛まで再現されている。好きなんだなあ。好きなあまりこの風景で模型を走らせたくて、それで店を始めたんだろうなあ、などと思いながら眺めていたら、店番をしていた奥さんが、地域の作業に駆り出されていた店主を携帯で呼び戻した。作業着のまま駅長の帽子を被った店長に、三台の列車を順番に動かしてもらう。奥さんのハモニカ演奏つきである。すごいサービスがあったものである。

  

 

 短い人生、好きなことをとことんやって死ねればそれに越したことはない。それができないから人は「便利」という言葉を編み出した。「便利」は好きなこととは違う。人は別に「便利」をしたいわけではない。それでも自分の身辺が「便利」に満ち溢れていれば、それなりに豊かで幸せな人生であるような錯覚を覚える。それで人は都会に暮らすようになった。

 開田高原のような片田舎は、生活を営むのにさほど便利ではあるまい。しかし、自分の好きなことを追い求めて、その地をあえて選ぶ人もいる。

 選ばない人もいる。ときどき都会から観光に訪れ、もし自分がそういう生き方を選んだら、ということを夢想してみる人もいる。

 

 そんなことを考えながら温泉につかり、開田高原を後にした。

 

 

 (観光案内嬢お薦めの散策ルートは、結局最初の数百メートルしか従わなかったことになる。返す返すも、彼女には申し訳ないことをしたと思う。)

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