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言の葉探しに野に出かけたら
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北陸旅情(3)

2017年10月16日 | 紀行文

 山中温泉。石川県加賀温泉郷の山間部に湯煙を上げ、千三百年の歴史と伝統を誇る。古くはあの松尾芭蕉が九日間も逗留したと伝えられる。古九谷焼発祥の地であり、山中漆器で全国に名を馳せる。今なお文化の薫り高い温泉街である。

 そんなことを図書館から借りた『まっぷる』から学び取った我々が目指したのは、しかしながら、温泉にゆっくり浸かって体を休めることでもなければ、陶器や漆器の鑑賞でもなかった。悟りを断念した私と、もともと悟りに興味のなかった同伴者は、すみやかに旅情のシフトを飲食へと切り替え、夜の街を「はしご」することを決意したのである。そのためわざわざ夕食を出さないホテルを選んで宿をとった。

 ちなみにそこは一風も二風も変わったホテルであった。まず各部屋に呼び鈴がある。

 呼び鈴?

 ドアを開けると意外と広い。不必要だと思われる部屋まである。洗濯物が干せそうなベランダ、浴室にダイニングキッチンまで備え付けられている。

 ダイニングキッチン?                                                                

 さすがに気になったので、フロントに問い合わせてみると、もともとリゾートマンションで売り出したものを、ホテル用に改築したとのこと。どおりで、誰かが住んでいそうな気配までしたのだ。不景気になって部屋が全部埋まらなかったのだろう。バブルの遺産、というところか。

 広々とした部屋で、掃除は行き届いており、通路はあちこちで間接照明が雰囲気を作り出している。価格はリーゾナブルだが、ちゃんと温泉もあり、露天風呂まである。売り方と説明次第ではもっと需要が増えそうな気がしてならない。

 ひと風呂浴びて、温泉地らしく浴衣に着替えたら、いざ、夜の繁華街に向け出発。

                                                                                                     

 興奮する我々を待ち構えていたのは、意外に閑散とした通りと、浴衣にはちょっと涼し過ぎる夜風であった。

 その上、あろうことか我々はフライングをした。夕方五時過ぎには、まだどの飲食店も開いていないのである。

 夕闇の迫るひと気のない街並みを、浴衣姿の我々二人は場違いな観光客の面持ちでしばしさまよい、どこかの店が開くのを待った。

 最終的に暖簾をくぐったのは、『魚心』という海鮮料理店であった。

 若い夫婦が切り盛りする小さな居酒屋である。小ざっぱりとした狭い店内の壁一面にメニューが貼られ、聞いたことのない名前の魚も多い。注文したどの魚料理も旨かった。なかでも、キジハタだったか、酔っていたので名前が定かでないが、亭主の機転でメニューにない酒蒸しにしてもらったのが、逸品であった。舌に乗せるとあっさりとした白身だが、噛み締めると深い味わいがある。喉の奥にしまい込み、ぬるめの燗酒をあおる。

 浴衣の袖を振らせながら異郷の地で飲む酒はまた格別である。

 旅情ここに極めり。

 

 店を出ると、二軒目をどこにするかという切実な問題が待っていた。期待していたほど選択肢は多くない。あまり迷っていると、夜風がせっかくの酔いを醒ましかねない。腹具合は先ほどの魚料理で充分である。

 そこで、滅多に採らない選択肢であるが、たまたま目に飛び込んだスナックのドアを押した。

 そこはピカピカに磨かれた重厚な造りの酒棚と、蝶ネクタイを締め背筋の伸びたマスターが迎える、老舗のスナックであった。

 『星』という名前の店であった。カウンターのスツールに腰掛けると、いきなりマスターから、この店は自分が十九の時に始め、五十二年続けてきたが、来月閉店すると聞かされた。五十年以上の歴史があることもすごいが、来月閉店というのもいきなりである。お客さんはたまたま縁あってこういう店を選んでこられたのだから、ゆっくりしていってください、と言われた。

 そう言われても複雑な気持ちである。とは言え、居心地が良いので、数杯飲んだ。マスターの話によると、この店を開いた昭和の時代は、通りは人波で溢れ返っていたらしい。店もバーテンダーを四人雇って満員の客に対応していた。山中温泉内にホテルが二十軒くらいあったが、現在は七、八軒である。高度経済成長、バブル、不景気と、時代の荒波に翻弄されてきたのだ。そんな中でも五十年、看板を降ろさずに夫婦二人三脚で店を続けてきた。さすがにこの歳になって体が言うことを聞かなくなり、閉店を決意したとのこと。

 しばらくするとママさんも現れ、昔話で盛り上がった。やがて常連も一組現れた。背の低い老女が筆頭である。しかし彼女がいったんマイクを握ると、若々しく張りのある声が出るので驚いた。しかも何曲歌っても喉が枯れない。『山中雨情』という地元が舞台の演歌まで歌ってくれた。旅の男と契りを結んだ宿の女の、切ない別れの歌である。我々旅行客にサービスで聴かせてくれたのかもしれない。

 気分が乗ったのでブランデーを一杯注文したら、グラスに火を点け、温めてから酒を注ぎ、供してくれた。昔はこのような技術を多くのバーテンが持ち、夜の賑わいを演出していたのだろう。それははかない夢のような時代であり、夢から醒めたのち、もう二度と夢には戻れない時代になってしまった。それでもこの夫婦は、背筋を伸ばし、毅然として、半世紀も店を切り盛りしてきた。そこにはひょっとして、一つの悟りに近いものがあったのかも知れない。

 「そりゃいろいろあったわよ」

 とママさんがつぶやく。

 「でも、自分がこの店を支えてるんだって自負があったからね」

 そうだ。続けることだ───と私はグラスを手にしながら心に思った───続けることこそが、一つの修行であり、悟りなのだ。どんなに俗世の塵芥にまみれようとも。

 『星』は、自分たちなりに立派に時代を生き抜き、今ようやく休息しようとしている。

 

 店の人と常連と、皆に温かい声をかけられながら店を後にした。自身相当酔っているのにもう一軒、と主張する調子ばかり良い同伴者に乗せられ、三軒目のお好み焼き屋に転がりこんだ頃には、私も同伴者も何が何だかわからなくなっていた。

 

 翌朝、山中温泉はすがすがしい一面を見せてくれた。渓流に沿った美しい遊歩道を歩くと、街の年寄り連中が無料サービスでお茶を振舞ってくれた。仲間内でおしゃべりが絶えず、とても楽しそうである。橋を渡って大通りに戻ってみると、陶器や漆器の店は観光客で賑わっていた。古い店と店の合間に、新しい店がいくつもオープンしているのが認められた。

 この街全体が休息するのはまだまだ先だろう。確かに昔のような好況は望むべくも無いかも知れない。だが年寄りが元気で、若い力も参入してきている。美しい自然と温泉と、伝統工芸もある。どんな時代が来ても、この街は何とか乗り越えていくであろう。

 昼前になってようやく、我々は山中温泉を後にした。計画外に買ったいっぱいの手土産と、いっぱいの思い出を車のトランクに詰め込んで。

 

 北陸二日間の旅は、こうして幕を閉じた。

 

(おわり)

※写真はどちらも山中温泉遊歩道にて。

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