た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

無計画な死をめぐる冒険 55

2007年01月07日 | 連続物語
 「雑誌記事は黙っとけ」叔父は彼の存在意義をばっさりと切って捨てる。「明治には明治を任せておけ。今は平成だ馬鹿野郎が。それより唐木さん、わしはあんたの不信論に興味があるのお」
 「唐島です。また逸れ始めましたな。あの、注いでいただけますか」
 「おお済まん、済まん。唐木順三と間違えたのかな。いずれにせよ、不信ですな」
 「不信です」
 唐島はグラスに口をつけながら大きく頷く。
 まだ当分止みそうにありませんな、という遠くの会話がかすかに聞こえてきた。
 「不信、と言っても、信じられないんじゃない。いいですが、ここが大事なところだが、信じられないんじゃない。むしろ信じたければ簡単に人を信じられる。現代くらい人間の種類に意外性の欠如した時代もない、と私は思っとりますからな。明智光秀の出現を恐れる心配はない。代わりに精神異常者が増えたが、まあ正常な人間であればだいたいが小市民的に善良である。だから信じられる。でも、信じちゃいけない。倫理として、信じちゃいけない。You cannotではなく、You should notとして、信じちゃいけない。そういう意味における不信です。むしろ他人を尊重し、尊重するが故に、他人をとことん信用することを控える。そういう禁欲的な態度においてのみ、先ほど申し上げたように、自由の精神は成立するのです」
 「このたびは誠にご愁傷様です」
 八十一歳の町内会長が、彼らの会話をまったく無視して割り込んできた。土下座をし、 大裕叔父と由紀子に向かって深く頭を下げる。
 「え、ええ。誠に。ありがとうございます」
 面食らった叔父は慌てて頭を下げ返す。面食らったにしてもひどいことを言う。枕元に呪って出るべし。
 冷血女由紀子に到っては、お辞儀を返しすらしない。軽くおざなりの会釈だけして、また唐島に向き直る。
 「なんだかよくわかんない話ね」

(つづく)
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