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無計画な死をめぐる冒険 33

2006年06月22日 | 連続物語
 ヤブ医者が去り、入れ替わりにバスガイドのようによくしゃべる女葬儀屋がやってきた。誠に本日はご愁傷様でございます。では通夜は明後日、葬儀は明々後日ということで。ほんとにおいたわしいことでございますが、大学教授に相応しい葬儀になさることが故人への一番の供養となりましょう。謹んでお悔やみ申し上げます。しかしながら祭壇は華やかな方が故人も喜ばれるかと存知ます。いかがでしょう。お嘆きの気持ちを形に表す上でも、故人の面子を立てる上でも、この『安らぎプラン』あたりにされては。誠に、万事わたくしどもにお任せください。ほんとうにおいたわしいことでございます。
 私は居たたまれなくなって外に出ることにした。博史の帰宅を待ちたくもあったが、遅すぎる。あの親不孝息子は父親が死んでも近くのコンビニで立ち読みしてから帰るぐらいのことをしかねない。かと言って、我が家にこれ以上留まってバスガイド女のきんきん声を聞かされるのはうんざりである。それにしても「故人の面子を立てる」とはどういうことか。葬式は私の面子のために営まれるのか。
 私は理解した。今や十分に理解した。死者は生者にとって多少なりと滑稽な存在なのだ。もはや死体は、片付けるものでしかないのだ。かつてガーガーと唸っていたブリキの玩具が、今は壊れて動かなくなったかのように、遺棄されるものでしかないのだ。一つの人生が終わった、こんなところで終わるとわねえ。いまだ生ける者たちは訳知り顔に、というのも死者よりも明らかに未来のことまで認識しているという自負があるからなのだが、すでに認識能力を失った者に対し、まだ認識し続ける者として、訳知り顔に、死体を見下ろすのだ。しかししかし! 私は死んでなおお前たちを冷徹に認識しているのだ!
 馬鹿酒をかっくらっただと? 美咲もどうしてそんな馬鹿げた診断にうなずくのだ。私は誤診された。妻は私の死を夫婦生活の中で最も従順に受け入れた。使用人は眉をひそめただけである。一人息子はいまだ帰ってこない。世界は私を嘲笑い、片隅のどこかで犯人が、ハンカチで笑い涙を拭き取っている。

(つづく)
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